2011年7月23日土曜日

知性の奴隷

氷山の絵を見ていて、小林秀雄の『無常という事』を思い出しました。高校の教科書に載っていましたね。 何を言いたいのか、さっぱり分りませんでした。 実は、今でもよく分らないのですが、、、。

小林秀雄は、「記憶するだけでなく、思い出す事が出来ることが大事で、それも、上手に思い出す事が肝要なのだ」と言っています。 つまり、氷山の海上に見えている部分が「記憶するだけの部分」で、海の中に隠れている大きな部分が「上手に思い出す部分」ではないかと感じました。 『無常という事』の最後のセンテンスは、「現代人には、無常という事がわかっていない。 常なるものを見失ったからである」です。 この、「常なるもの」が、氷山の隠れている部分で、人であれば生き方、国であれば国の成り立ちや歴史、つまり、文化のようなものではないかと思えるのです。

小林秀雄が『無常という事』を書いたのは昭和17年、ミッドウェー海戦が終わりガダルカナル戦が始まるまでの間です。 小林秀雄が、ミッドウェーの戦果を大本営発表通り、「勝った、勝った、また勝った」と承知していたのかどうか分りませんが、鋭い嗅覚の小林秀雄ですから本質は理解していたのでしょうね。 戦後、昭和25年の『私の人生観』で、「知性の奴隷となった頭脳の最大の特権は、何にでも便乗出来るという事だ」と言っています。

戦後の日本は、知性の奴隷を育むことに思いっきり偏っていたのではないかと思います。 昭和の戦争に向かう時代とは違いますが、本質的にはあまり変っていないのでしょう。 何れにせよ、氷山の海の上に出ている部分だけを見ているように感じて仕方がないのです。

英語版です(息子に訳してもらいました。「教養」をどう訳すか困ったようです)

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