2011年3月22日火曜日

平成の後藤新平は誰か?

星新一『明治の人物誌』で紹介している10人の中に後藤新平がいます。

某放送局では悪者扱いされたようですが、後藤新平は立派な人です。医者としてキャリアをスタートし、日清戦争後の台湾総督府長官、満鉄の初代総裁、国政では逓信大臣、内務大臣、外務大臣を担当し、その後、第七代の東京市長になります。新渡戸稲造をアメリカから呼び戻して台湾に連れて行き、星新一の父親である星一を台湾や大陸の活動に登用しました。

そして、忘れてならないのは、関東大震災の震災復興計画の立案者であり復興プロジェクトのリーダーだったことです。先の大戦でアメリカに焼け野原にされちゃいましたが、今の東京のフレームワークを設計したのは後藤新平なのです(関東大震災の死者・行方不明者は14万2800人)。

何が凄いか? 以下は後藤新平の名言です。

金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり。

後藤新平のことは是非とも学校で教えてほしいですね。そうだ! 星新一の『明治の人物誌』を中学校の歴史の教科書にすればいいんだ。日本の近代化がよく分かります。

政府は、20日、東日本巨大地震の被災地復興などに取り組む「復興庁」を創設する方向で検討に入ったそうですが、平成の後藤新平は一体誰になるのでしょうか?

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