2011年3月6日日曜日

日本人比較幸福論

明治時代にアメリカに渡った 星 一 (星新一のお父様)のことが書かれています

私は30年以上「日本人比較幸福論」を唱えています(大袈裟ですねぇ、単に勝手に考えているだけです)。

日本では「他人と比較して自分がどうだから、、、」と言ったことが「幸せ」のベースになっています。幸福感は自主的で絶対的なものではないのが日本人社会の特徴だと思うのです。まわりと比較して、自分は「まだいい」とか「まだましだ」とかいって幸せになる。これが私が言うところの「日本人比較幸福論」です。

ビジネス上でもよく似たことが起こります。

名刺交換した時から双方の間に優劣ができます。会社の大きい方が小さい方に対し強気にでるのが常です。会社の名前だけでなく、名刺に書いてある職位も重要です。会社によって職位の呼称などはそれぞれ異なっているのに、、、であります。買う側は、売る側に対し通常は強い態度に出ます。価格交渉に入ってもこの関係は崩れません。売り手は「思い通りの値で売ることができた」、買い手は「思い通りの値で安く買えた」と言う、つまり、双方が「自分が勝った」と思う「WIN-WIN PROPOSITION」でビジネスが成立することはごく稀なのです。

尤も、社会に出る前の学生の人気投票で会社の番付ができ、「一流企業」というイメージができるのがニッポンの現状です。こういった情況は早晩変わらざるを得ないのだろうと思っていました。しかし、残念ながら20、30年たった今でもあまり変わっていません。

中国人はどうでしょうか?

中国人は他人と比較して幸福感を得るのではなく、自分の所有するモノを比較して幸せを感じる人たちです。極めて主観的です。不動産を買うとします(中国で土地は買えませんが)。一旦不動産を買うと、より良い条件の物件に買い換えることを考え出します。自分の所有するモノの価値が少しでも上がれば限りない幸福を感じるのです。不動産が異常に高騰した上海の物件価格で、北海道で条件のいい広大な土地が買えるのであれば、北海道の土地を購入します。勿論、優しく安全な日本で老後を暮らそうという考えもあるようですが。「サザエの殻」なんて考えていない、つまり、国境を越えたダイナミズムは、日本人とは比較になりません。そして、見逃せないのは、比較する物差しは自分独自のものを持っていて自己決定するということです。

日本で自分の物差しを持った場合、小中学生であれば協調性がないと言われ、会社だと生意気なやつだと上司に嫌われませんか?

誤解を与えるといけないので、最後に、、、。 私は自分自身の物差しを持っているつもりですが、サザエの殻は大事だと思っています。殻があって世界の中でうまくやっていけるダイナミズムが正しいと思います。殻がないと世界は崩壊しますからね。

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