2010年10月4日月曜日

社交のすすめ


ここ数週間、「教育」「教養」「文化」といった言葉が頭の中でぐるぐる回り、それらが桂枝雀の落語とクリームのクロスロードと絡み合い、訳が分からなくなっていました。論理的に説明する文章力なんてありませんから、それぞれがどう関連するのか説明なんて出来ません(クリームは、40年ほど昔にエリック・クラプトンが在籍したロックバンドで、クロスロードは当時の代表曲)。

以下の文章から行間を読んで、私の言いたいことを想像してください。

日本人の生き方が日本の「文化」であり、それは今の日本の「教育」では培われないと私は思っています。知識を詰め込む「教育」を一生懸命やっても「教養」豊かにはならないということです。勿論、知識が多いと教養に幅と深みが出てくることは否定しません。落語にでてくる江戸時代のキャラクターは、日々の生活の中で「教養」を培っていったのではないでしょうか? 毎日の生活は日本人の生き方そのものであり、今日という一日は、長く継続してきた日本固有のものの最新バージョンで、したがって、今日を生きる(「Seize The Day」)ことが重要であるのです。毎日を一生懸命に生きることで「教養」が身につく、つまり、魅力的な人柄が形成されていくのだと思います。

現代の日本のように大人も子どもも時間がなく、例え時間があったとしても、そのわずかな時間をマスメディアに占領されているとどうでしょう? 「教養」が身につくスペースがなく、「教育」によって間違った知識がどんどん蓄積されて大人になっていくのだろうと思います。

福沢諭吉、夏目漱石、三島由紀夫、三人とも違った時代を生きた日本人ですが、今の日本を見ずに死んだのは幸せだったかも知れませんね。ただ、彼らの文章力をもってすれば、今の日本をどう表現したのか見てみたいものです。

そう言えば、今年の2月に「教養」について書いていました。

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