日本の政治家を見ていて思うのですが、かなり子供っぽい人が多いですね。テレビカメラの前でも簡単にムッとします。しばらく日本にいなかった為に、私の感覚がずれてしまったのですかね?どの国でも、政治家なんて同じようなものかも知れませんが、日本の政治は「政治ごっこ」に見えてしまいます。
なぜでしょうか?
なぜでしょうか?
私は、今の日本の政治家には教養のない人が多いからだと思います。これは、大胆な発言ですね。教養もない浅薄な私が言うのも滑稽な話ですが、私は教養がないから政治家になっていない訳で、国民の代表として国会で活躍する政治家の方々が私のようでは困ってしまうのです。
では、教養とは一体全体何なのか?これは、難しいですね。教養とは一体何でしょう?
少なくとも、一国の政治家たるもの、世界の歴史の流れや今の世界情勢について、ちゃんとした見通しをもってもらわないと、危険で仕方がない。政治家自身が、我が国や国民に対してどのような役割をはたしているのかについて、自覚しているべきです。また、何らかの権威や金力によることなく、自分の生き方を通じて国民に自然に訴えかけていくことが出来ていなければならない(私は私なりに、自分の周りの人たちだけに訴えかける、、、、ホントかね?)。
教養とは、単に学校のお勉強がよくできて、知識がいっぱいあるだけでは不十分だと思います。その人の生き方そのものなのです。 政治がしっかりして、つまり、国がしっかりし、親がちゃんとしていないと、子供の教育は成り立たないし、教養のある人は出て来ないと思います。
「学問のすすめ」 十七編 人望編の冒頭です。
『十人の見るところ、百人の指(ゆびさ)すところにて、何某は慥(たしか)かなる人なり、頼母(たのも)しき人物なり、この始末を託しても必ず間違なからん、この仕事を任しても必ず成就することならんと、預(あらかじ)めその人柄を当てにして世上一般より望みを掛けらるる人を称して、人望を得る人物という、凡そ人間世界に人望の大小軽重はあれども、苟(かりそめ)にも人に当てにせらるる人に非ざれば何の用にも立たぬものなり』。
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教養がないと断言されるのは、痛快ですね。
返信削除確かに、今の日本の政治家には、一国を任せたくなる人望は感じられません。
国民に訴えかける能力(アウトップット)が上手くないことも一因かと思います。
テレビカメラの前での格好良さは、アメリカの足元にも及びません。報道の仕方にも問題があります。首相官邸の壁の前や移動中の取材(いわゆる、ぶら下がり)を受けている姿を見ると、報道するほうもされるほうも、「みっともない」といつも感じています。
お互いに尊敬の念を持って接する、大人の関係になるべきだと思います。
政治家だから、首相だから尊敬しろとか、敬意を表するべきだとか言うのはおかしいと思います。なかなか難しいですが、できるだけ尊敬できる人が政治家になって欲しいですね。
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地位に対しては、敬意を示す必要は無いと思いますが、「失言を期待するマスコミ」に煽られ「準備不足で発言してしまう政治家」が続出しているのは、人を陥れようとする構図に見えて仕方ありません。アウトプットが下手でも思慮深い人も居ると思います。(私は、今の政権を支持しているわけではありません)
返信削除日本の政治は、国民が尊敬できる人よりも政党の利益を重視する人が政治家になっています。残念なことだと思います。
教養の一つになるかもしれませんが、日本人の一般的傾向として、公の議論に感情が入り込んでしまう事が多いと思います。ディベートを教育課程で習わないので、議論の最中に個人が攻撃されている気持ちになって、感情的に反論する姿を見かけます。
返信削除また、政治家に多いのですが、情緒的な発言が気になります。例えば、「私の威信にかけてこの法案を...」です。現首相も「私の気持ち」という言葉を良く使います。首相たる人は、もっと論理的なコメントをしていただくのも、教養と考えます。
情緒的な発言は、私も気になります。
返信削除ロジカルに自分の意見を話せないのであれば、何か話せない事があるのかと疑問を持ちたくなります。
こどもに見せたくないテレビ番組に「党首討論」も含まれそうですね。
日本語もかなり進化してきているのでしょうが、尊敬語とか謙譲語とか、政治家の発言の中で時々辞書で確認したくなる発言がありますね。私は特に政治家の先生方の「申す」という謙譲語の使い方に違和感を感じます。細かい話ですが、、、、。
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