2015年2月16日月曜日

アインシュタインのピアノ


奈良ホテルでアインシュタインが宿泊時(1922年)に弾いたというピアノを見ました。 以前このブログで、アインシュタインの以下の名言を紹介しました。

「学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ」

彼の業績を理解する能力は私にはありませんが、アインシュタインの名言を信じた私は子供の頃から一方的にアインシュタインに愛着を感じていました。 ユーモアのセンスと辛口のコメントを得意としたというアインシュタイン、小さい時からピアノにもバイオリンにも親しみ、情緒豊かな天才だったのでしょう。

「ゲームのルールを知ることが大事だ。そしてルールを学んだあとは、誰よりも上手にプレイするだけだ」

この言葉も名言で、個人の人生でも会社でも国家でも、ルールに汲々としてゲームを楽しめない日本人は損をします。










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2015年2月7日土曜日

まだまだ禽獣の域を脱しない世界


福沢諭吉の極めて厳格な視点からすると、今の世界は依然として『禽獣の域』を出ていないのでしょう。 

人間って、矛盾だらけで間違いだらけ。だから、人間で成り立つ国家も同じようなものなのです。 ここ十数年を振り返っても、アフガニスタン紛争からイラク戦争、アラブの春、シリア内紛、ウクライナ問題、ナイジェリアのボコ・ハラム、コンゴ、イエメン、新疆ウイグルにチベット、そしてISILと言われるテロリスト集団。世界の紛争地帯は無くなるどころか、反対に拡大しています。

福沢諭吉は「恕(じょ)」という事を言っています。それは、「同じレベルの他者には「敬意」をもって対応し、対等でない状態の他者には「情愛」をもって思いやると言うことです。 福沢諭吉は、家族関係が発展し世界中に広がると世界は文明化すると言ったのですが、果たして、どれくらいのタイムラインを考えていたのでしょうか? 500年、それとも1000年?


もしかしたら、人間は永遠に愚かで、愚かな人間の矛盾や間違いに対応し続けるのが「人が生きる」と言う事なのだと言っているのかも知れません。

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2015年2月4日水曜日

インテリジェンスとインテレクト

一神教の宗教と国際テロリズムと日本人の宗教観とは異なる

明確なVISIONを持っていれば、必要な情報は必ずアンテナに引っかかる。VISIONがなかったら情報は集まらない。組織(または国家)でVISIONを共有していれば、ベクトルを同一とする情報が組織(国家)に集まる。したがって、組織(国家)として統一した行動がとれるのです。 個人でも同じです。 明確なVISIONを持っていると成功する確率が高くなると思います。

ここで重要なことがインテリジェンスとインテレクトの違いです。

情報力と言った場合、インテリジェンスだけでなく、更に重要なのがインテレクトです。インテリジェンスは学校で習うことやネットで収集できる量的に測定可能な情報(IQとか偏差値)。一方、インテレクトは断片的なバラバラな情報から全体を把握する力です(想像力と言ってもいい)。 このあたりは、渡部昇一さんの昔の本(「知的生活」等)を読むと詳しく出ています。

要するに、インテレクトなしにインテリジェンスだけ積み上げても役に立たないのです。

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2015年1月28日水曜日

オーナーシップの欠如

スマートキー
(キーを出さずに身につけているだけでドアの開け閉めやエンジン始動もできる)

テロでも戦争でも避けたいと考えるなら、しっかりとオーナーシップを持たないとダメだと思います。 事件が起こった時だけ空想平和的な議論を重ねても、恐らく井戸端会議の域を出ないのです。 TVに出てくる知識人や専門家と言われる人たちには、オーナーシップをもって責任をとる覚悟で発言している人が少ない。

日本企業の会社経営もよく似たところがあります。 オーナーシップの所在が不明確だということです。 「会社は株主だけのものじゃない!」と声高に叫ぶのですが、結局は責任の所在が不明確で、誰も責任をとらない、タイムリーに意思決定ができないということが少なくないのです。 

これって、戦後民主主義教育の賜物だと言わざるを得ないのでしょう。 言い換えると、アメリカの占領政策の薬が効きすぎた。 いつまでも覚醒しないまま夢の中をト~ロト~ロと70年が経ってしまった。 この70年のアメリカのグローバル展開を検証すると、ベトナム戦争を筆頭に、どこも成功していない。アメリカの薬は日本人にだけ薬効があるのでしょうか?!

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2015年1月18日日曜日

河豚を口にせんような人は、、、


上海から仕事仲間が来て、三鷹で新年会を開催しました。

ITの技術的な話から国際情勢の話題まで、ibgの飲み会は刺激的です。個人と会社と国家を行ったり来たり、全部まとめて議論します。

プラグマティックとアカデミックのバランス、又は、理論と実践のバランスが取れて来ている。口だけじゃない、今だけじゃない、金だけじゃない、自分だけじゃない仲間の結束は一番の理想です。

北大路魯山人

皆の者ども食えとはいわない。いやなものはいやでいい。ただ、ふぐを恐ろしがって口にせんような人は、それが大臣であっても、学者であっても、私の経験に徴すると、その多くが意気地なしで、インテリ風で、秀才型で、その実、気の利きいた人間でない場合が多い。そこが常識家の非常識であるともいえる。

死なんていうものは、もともと宿命的に決定されているものだ。いたずらに死に恐怖を感ずるのは、常識至らずして、未だ人生を悟らないからではないか。

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2015年1月14日水曜日

最強のコミュニケーション力とは?

漆器とのコミュニケーションは難しい

コミュニケーションの方法は国によって千差万別です。 ニューヨーク流のコミュニケーションを日本でやったら確実に嫌われます。 異文化でも異文化でなくても、一番嫌われて信用されないのは、「卑怯」で「臆病」なことです。

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2015年1月1日木曜日

いま大切なこと


NYの息子夫婦から年末年始の挨拶が届きました。 普段は全く音沙汰がないのにどうしたのでしょう。 まだ日本人の情緒的なところが残っていたのですね。 安心しました。

世界的な数学者であった岡潔さん(1901~1978年)は、東洋と西洋の違い、キリスト教的世界観と東洋的物の観方には違いがあるということを、全ての考えの基礎としています。 例えば、自然や時間に対する考え方です。 それを「情緒」と言っています。

岡潔の言うところの「情緒」って、「主観的な美意識」と言ってもいいと思います。花を見て色は何色で何科の植物で成分は何々と言うのではなく、「色が鮮やかで綺麗で、自分はこの季節に咲くこの花が好きだ」と言うことです。

人と人との間には「情」がある。人によって情緒の濃淡はあるだろうけど、情緒は組織の潤滑剤にもなります。 相手の立場を考慮して自分の考えを主張する。年をとるごとに、仕事をするごとに、子育ての経験を積むごとに、自分の背骨を太いしっかりしたものにしていけばいい。連続した試行錯誤だと思います。

岡潔は偉大な教育者でもありました。日本の戦後民主主義教育に異を唱え続けた。政府にも掛け合ったけど、とうとう当時(1960年代)の日本政府や教育界からバッシングされてしまいました。

今、これからの時代だったら、もっともっと理解されると思います。だって、上滑りの「口だけ」「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の社会がここまで進んでしまったのですからね(日本も世界も)。

明けましておめでとう!   











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