小林秀雄が敗戦後すぐに行った講演記録「私の人生観」を読み返しました。 国会中継で大臣の一人が「311大震災は日本人の人生観を変える出来事だった」と発言したのを聞いて、何十年ぶりかで読んでみたくなったのです。
小林秀雄は講演の頭のほうで言っています。
「人生観人生観と解り切った様に言っているが、本当はどういう意味合いの言葉なのだろうか」。
「人生観」という言葉は古くから日本にあったものではないそうです。そこで、小林秀雄は「人生観」を「人生」と「観(VISION)」に分けて言葉の意味を論じています。 内容は多岐にわたっています。私の文章力では簡潔に要約することは不可能です。面白かったのは、小林秀雄が宮本武蔵について説明した部分です。
「私が、武蔵という人を、偉いと思うのは、通念化した教養の助けを借りず、彼が自分の青年期の経験から、直接に、ある極めて普遍的な思想を、独特の工夫によって得るに至ったという事です。戦国時代という時代は、言う迄もなく、教養より、もっぱら実地経験に頼るものが成功した時代で、様々な興味ある実行家のタイプを生んだのであるが、かような経験尊重の生活から、一つの全く新しい思想を創り出す事に着目した人は絶無であったと言ってもよい」。
小林秀雄は、宮本武蔵を語ったあとに、次のように講演全体をまとめています。
「思想のモデルを、決して外部に求めまいと自分自身に誓った人、平和という様な空漠たる観念の為に働くのではない、働くことが平和なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信した人、そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道だと悟った人、そういう人々は隠れていはいるが至る処にいるに違いない。私はそれを信じます」。
小林秀雄は敗戦直後の国民やジャーナリズムの荒廃を憂えたのでしょう。多くの知識人がいとも簡単に180度思想転換しちゃいましたからね。311大震災後、日本の「VISION」を語る上で、小林秀雄が至る処にいると信じたような人は今の日本に隠れているでしょうか? 戦後66年、そもそも思想自体が春の日の陽炎のようになっちゃいましたからね。
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