以下は『学問のすすめ』 第四編 「学者の職分を論ず」の結びの一行です。
無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢(みだり)に給料を貪って奢侈の資(もと)となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず。無芸無能のくせに、僥倖、つまり、思いがけない幸運で権力の座につき、高給をもらって贅沢三昧、戯れに政治を操る、こんな奴は自分の友ではない。
『学問のすすめ』から150年、今の日本を僥倖に恵まれた結果とみるか日本人の実力の賜物とみるか、どうでしょう?
江戸も末期に近い天保時代は現代の社会情勢に似てる気がします。
武士の序列社会が腐敗し、武士は武士道を忘れ私利私欲のために悪徳商人と手を結び、民は無能なリーダーの下で生活もままならなくなった。そこで天災や飢饉が起こる。現代の日本の政治家はどうでしょう? 大企業の係長か課長補佐のように小粒で、天保の江戸幕府にも劣るような気がします。民だって最後には一揆を起こして黙っていなかった。
現代の日本は政治家だけでなく国民は虚無的で「公」に「もっと、もっと!」と依存しすぎる。テクノロジーが急速に進化し、何が真理であるか判らない真贋判定のできない時代に突き進んでいます。個人で出来ること、個人がやるべき事は何でしょうか? 徳を積む、道徳心を養うことです。それは自らの思想を形成することでもある。学校教育だけに頼ってはだめだ。
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江戸も末期に近い天保時代は現代の社会情勢に似てる気がします。
武士の序列社会が腐敗し、武士は武士道を忘れ私利私欲のために悪徳商人と手を結び、民は無能なリーダーの下で生活もままならなくなった。そこで天災や飢饉が起こる。現代の日本の政治家はどうでしょう? 大企業の係長か課長補佐のように小粒で、天保の江戸幕府にも劣るような気がします。民だって最後には一揆を起こして黙っていなかった。
現代の日本は政治家だけでなく国民は虚無的で「公」に「もっと、もっと!」と依存しすぎる。テクノロジーが急速に進化し、何が真理であるか判らない真贋判定のできない時代に突き進んでいます。個人で出来ること、個人がやるべき事は何でしょうか? 徳を積む、道徳心を養うことです。それは自らの思想を形成することでもある。学校教育だけに頼ってはだめだ。
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