1983年4月から5月にかけて一か月アメリカに出張しました。当時中国最大の自動車会社の社長や重役達を私が勤めていたコンピュータ会社の施設やユーザー訪問のエスコートでした。12名の中国人を一人の若い日本人が全米を旅するという無謀なものでした。中国の自動車メーカーは後の東風汽車集団(武漢)です。1980年代は「二汽」といって軍事トラックや装甲車を製造していました。1968年に毛沢東の号令により湖北省十堰(シーイエン)に設立した軍事企業でした。
1980年代前半は日米自動車摩擦の話題でもちきり。日本からアメリカへの自動車輸出が最高に達した頃でした。自動車だけでなくアメリカ各地で日本製品排斥運動が起こり、デトロイトではトヨタの車を叩き潰すストリートパフォーマンスまで行われていました。そんな時に中国人の若者がデトロイトで惨殺されました。メディアは「日本人に間違われた中国人が殺された」と報道しました。
12人の中国人との旅程はデトロイトへ行く予定はなかったのですが、LAやダラスでの自動車会社の訪問を含んでいました。ダラスでのユーザー訪問はアメリカが誇る長距離トラックの製造メーカー Peterbilt 社でした。映画『コンボイ』がヒットした直後でもありました。Peterbiltのトラックが映画で活躍します。アメリカ人の友人や多くの人から「注意しろ」とサジェスチョンを受けたのですが、「だったらマシンガンでも持たせてくれるか?」と返答したものでした。
幸いなことに12人の中国人と一人の若い日本人の珍道中は色々と問題はありましたが生きて帰国することができました。
The autoworkers who attacked Chin blamed foreign vehicle manufacturers for hardships in the U.S. auto industry.
The autoworkers who attacked Chin blamed foreign vehicle manufacturers for hardships in the U.S. auto industry.
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