2019年10月16日水曜日

小林秀雄を思い出した ~ 無常という事

亡き祖父が設計施工した家のリフォームで露わになった屋根裏の「梁」

「記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか」 (小林秀雄『無常という事』昭和17年)。

平成の30年間の日本は目の前のお金やモノ(即ちこれが「無常」ですね)に振り回されてしまった時代でした。「常なるもの」をおおかた見失って思い出す事もしなくなった。

高校の教科書に載っていた小林秀雄の『無常という事』、半世紀近くが経ちやっとこさ半分くらい解った気がします。縦割りの組織を統合する事さえ困難な今の日本に、過去と現在を総合して自己を知るなんてどうあがいても出来ないでしょうね。

小学校から始まる教科ごとの授業と偏差値だけを物差しとする受験システムが、物事を総合的に考える能力をすっかり奪ってしまったのでしょう。それが政治や経済にも悪影響を及ぼしている。家屋の「梁」のように全体を考えて支えるリーダーが育たない。

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