2011年8月30日火曜日

思いがけない幸運?

「無芸無能、僥倖に由って官途に就き、慢(みだり)に給料を貪って奢侈の資(もと)となし、戯れに天下の事を談ずる者は我輩の友に非ず」。

さすが、福沢先生!


『学問のすすめ』 第四編 「学者の職分を論ず」の結びの一行です。

無芸無能のくせに、僥倖、つまり、思いがけない幸運で権力の座につき、高給をもらって贅沢三昧、戯れに政を操る、こんな奴は自分の友ではない。 『学問のすすめ』から135年、今の日本を、僥倖に恵まれた結果とみるか、日本人の実力の賜物とみるか、どうでしょう?

水戸黄門の印籠

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2011年8月29日月曜日

油野郎を見てきた

武蔵野の油野郎

「吾輩の運動」じゃないですが、最近あまりにも蝉が喧しいので、散歩がてらに近所の蝉を観察してきました。 油野郎ばかりです。 幼虫で5~6年も土の中で過ごし、成虫としては2週間ほどしか木の上で鳴いていないのに、油野郎なんて呼んだら気の毒ですね。 アブラゼミです。 『吾輩は猫である』の吾輩は、アブラゼミはしつこくていかんと言っています。 失礼な猫です。 吾輩のお気に入りは、ツクツクボウシのようです。

日本だと、子供でも蝉の種類をいくつか言うことができますが(吾輩のように猫だって知っています!)、多くのアメリカ人は「cicada(蝉)」さえ知らなくて、「虫(insect)」でおしまいです。 中国では「知了」です。 ジーリャオと鳴き声から漢字に当てはめたものです。 吾輩のように生食ではありませんが、素揚げにして塩を振って食べちゃいます。 蝉の抜け殻は生薬となります。

蝉の鳴き声って、蝉取りに走り回った小学生の頃に連れて行ってくれますね。 羽根が透明なクマゼミを捕まえるとヒーローでした。 当時も油野郎は、、、、、失礼。

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夏目漱石 『吾輩は猫である』

蟷螂 (カマキリ)狩りに次いで蝉取りと云う運動をやる。 単に蝉と云ったところが同じ物ばかりではない。 人間にも油野郎、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがある。油蝉はしつこくて行かん。 みんみんは横風で困る。ただ取って面白いのはおしいつくつくである。 これは夏の末にならないと出て来ない。 八つ口の綻(ほころ)びから秋風が断わりなしに膚を撫でてはっくしょ風邪を引いたと云う頃、熾(さかん)に尾を掉(ふ)り立ててなく。 よく鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいだ。 秋の初はこいつを取る。 これを称して蝉取り運動と云う。



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2011年8月28日日曜日

シーザーサラダ


ロメインレタスが手に入ったので、シーザーサラダ with グリルド・チキン(Caesar Salad with Grilled Chicken)です。 日本でパルメザン・チーズは高いけど、シーザーサラダにはクルトンのトッピングと同様不可欠です。

政権交代から2年、私も帰国して2年が経とうとしています。

国を滅ぼす政治家というものは、自分のオリジンがどこか、情緒(心)がどこから出てきたかを忘れて、ただ単に、政治ごっこに自己陶酔しているだけなんでしょうね。 だから、恥を恥とも思わず、いつまでも表に出てくる。 マスコミはそれを追いかける。 大衆は騙され続ける。 無関心になる。

人の生き方(way of life)を失った日本の政治家って、ウォールストリートよりもエゴイストの度合いが強いのかも知れません。 「自分に充実感がないからだ」という意味で、日本人のボランティア活動にも似ていますね(全てのボランティア活動がそうだというわけではありませんよ、念のため)。

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2011年8月27日土曜日

今年の百日紅


今年も百日紅が咲いています。 去年よりも色が濃いように感じますが、拙宅の百日紅は、街で見かける百日紅よりもまだ色が薄いようです。http://ibg-kodomo.blogspot.com/2010/07/blog-post_30.html

絵にならない花ですが、文学の世界にはよく登場します。 太宰の三鷹下連雀の自宅の百日紅は、本当に咲かなかったのですかね? たぶん、咲いたのでしょうね。

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一刻も早く、家から出て行きたい様子でしたが、炎天つづきの東京にめずらしくその日、俄雨があり、夫は、リュックを背負い靴をはいて、玄関の式台に腰をおろし、とてもいらいらしているように顔をしかめながら、雨のやむのを待ち、ふいと一言、
「さるすべりは、これは、一年置きに咲くものかしら」 と呟きました。
 玄関の前の百日紅は、ことしは花が咲きませんでした。
「そうなんでしょうね」 私もぼんやり答えました。
 それが、夫と交した最後の夫婦らしい親しい会話でございました。

(『おさん』太宰治)

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2011年8月26日金曜日

マネージャーの役割

日本では、マネージャーの役割に少々誤解があるようです。

部下の一人ひとりに対して、基本となる特性(attribute)の中で弱い部分を気づかせ、組織の考えを説明し、賛同させ、同じ方向に向かわせる。 このことは、マネージャーの重要な役割なのです。 欧米のマネージャーの時間の多くは、こういったことに使われます。 日本では、マネージャーの役割は、氷山の水面に出ている部分に対して、質と時間の観点から管理すればいいというのが一般的のようです。


スキル・知識の部分、基本となる特性の部分、そして、情緒から形成される個性、この3つをうまくマネージしないと、日本人以外のスタッフをマネージすることは難しいのではないかと思います。

また、自分の人生においても(特に氷山の下の部分)、自分の生き方として、積極的に色々なものを、どういうふうに取り込んでいくかを考えていないと、知らない間にどこかに流されて、終いには溶けてなくなってしまいます。

ちょっと上から目線で厭味でしたか? 失礼しました。

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2011年8月23日火曜日

間違った教育ほど恐ろしいものはない

1965年の小林秀雄と岡潔の対談『人間の建設』(新潮文庫)を読んで、上のスライドを作ってみました。 岡さんは、知性や理性がいくら発達しても、情緒、つまり、心から積み上がって来たものでないと意味がないと言っています。 なんだか、どこかの首相に聞かせたいですね。 人の心がわからないと、テクニックだけで政治はできません。 ましてや、テクニックを駆使する官僚にまで嫌われたのでは、、。

評論家と数学者という違いはありますが、両者の人生観は似通っていると思います。岡さんは、その過激な発言や行動から(本質をついていたわけですが)、晩年は日本の政界教育界からは嫌われたみたいですが、46年前の2人の対談を、震災後の今だからこそ上手に思い出して、日本の将来につなげて欲しいですね。

岡さんは、教育に関して以下のように言っています(『六十年後の日本』1964年)。

『私は人というものが何より大切だと思っている。私たちの国というのは、この、人という水滴を集めた水槽のようなもので、水は絶えず流れ入り流れ出ている。これが国の本体といえる。ここに澄んだ水が流れ込めば、水槽の水は段々と澄み、濁った水が流れ込めば、全体が段々に濁っていく。それで、どんな人が生まれるかということと、それをどう育てるかということが、何より重大な問題になる。人という存在の内容が心であり、こころが幼いころに育てられるとすれば、とりわけ義務教育が大切であることはいうまでもない』。 

『ただ、どう育てるかが問題だといっても、教育でどんな子でも作れるというのではい。 本当は人が生まれるのは大自然が人をして生ましめているのであって、各人はそれを自分の子と思っているが、正しくは大自然の子である。それを育てるのも大自然であって、人をしてそれを手伝わしめているのが教育なのである。それを思い上がって、人造りとか人間形成とかいって、まるで人造人間か何かのように、教育者の欲するとおりの人が作れるように思っているらしいが、無知もはなはだしい。無知無能であることをすら知らないのではないか。教育は、生まれた子が、天分がそこなわれないように育て上げるのが限度であってそれ以上によくすることはできない。これに反して、悪くする方ならいくらでもできる。だか ら教育は恐ろしいのである。しかし、恐ろしいものだとよく知った上で謙虚に幼な児に向かうならば、やはり教育は大切なことなのである』。

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2011年8月22日月曜日

お肉屋さんにもあった! 『せめてあし(を)ふく』

画像をクリックしてください。 大きくなります。

三鷹のお肉屋さんにも『せめてあし(を)ふく』がありました。 これが日本の底力ですね!

むかし昔、私が新入社員だったころ、先輩から『せめてあし(を)ふく』を教わりました。 外資系コンピュータ会社の先輩が、極めて日本的なことをいうのだなと思ったのですが、その後の海外での仕事を通じて『せめてあし(を)ふく』は、想像以上に重要なことだと分りました。

  【背】 アゴを引いて背筋を伸ばす。 日本人は背が低いから反り返り気味くらいで丁度いい。

 【目】 相手の目を見る。 欧米や中国のビジネスではEYE BALL to EYE BALLが基本です。

 【手】 プレゼンをするときに手はフラフラさせない、過度に動かさない。 動かす場合は効果的に。

あし【足】 靴は綺麗に磨いておく。 足下を見られますからね。 私は面接する場合、必ず靴を見ます。

ふく【服】  先方の服装コードに合わせる。 わからない場合はコンサバで。

くせ【癖】 髪をかき上げたり、指でペンを回さない(私は出来ないので嫉妬していますが、、、)。

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2011年8月20日土曜日

今年のランタナ


直観は、好きか嫌いかという感情です。 そして、直観で好きとなると情熱(passion)をもつことになる。 これがその人の行動の原動力です。 つまり、その人の生き方でしょう。 クラプトンやウィンウッドは、この情熱を40年も50年も継続している。 だから、芯(心)がぶれることなくテクニックを追及できるのでしょうね。

政治家や官僚の本質はどういうものであって、、、だから、これからの日本は、、、。
やめておきましょう、 バカバカしい。 とんだお笑い種だ。

今年もランタナが咲いています。 そう言えば、ランタナの別称は七変化でした。

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2011年8月18日木曜日

JR三鷹駅のエリック・クラプトン


三鷹の駅にエリック・クラプトンとスティービー・ウィンウッドの来日公演の看板が登場しました。 時の流れを感じますねぇ、、、、。

FM大阪が開局した頃、毎日夕方6時から7時まで「ビート・オン・プラザ」という音楽番組がありました。 この番組は、洋楽ロックのアルバム(LPレコード)を最初から最後まで流すというユニークなもので、私はオープンリールのテープデッキで番組を録音するのが楽しみでした。 エリック・クラプトンがクリームを解散して結成したバンド、ブラインド・フェイス(Blind Faith)のアルバムも、録音した多くのアルバムの一つでした。 そのバンドにキーボード兼ヴォーカルとして参加したのが、弱冠21才のスティービー・ウィンウッドです。 私は、直観的に「すごい!」と感じたのです。


あれから41年。

どうも2人は優雅に年をとる方法を知っていたようです。

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2011年8月16日火曜日

本日の酒肴


インゲンって、中国から帰化僧、隠元禅師が日本に持ち込んだとされることからこの名がついたそうです。 知りませんでした。












三鷹の肉屋さんで新鮮な砂肝が買えます。 面倒くさくても、もったいないと思っても、大胆に白い部分をとって下ごしらえしてから調理すると、やわらかくて驚きの美味しさです。

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2011年8月15日月曜日

おごれるモノも、おごらざるモノも久しからず


8月15日は、日本にとっては天皇陛下が玉音放送によって国民にポツダム宣言受諾、つまり、連合国への降伏を日本国民に伝えた日です。

連合国にとって8月15日(8月14日)は、アメリカのトルーマン大統領が、ポツダム宣言を受諾する旨を、日本政府から受け取った日です。 連合国側は、日本政府が公式に降伏文書に調印した1945年9月2日を以て終戦としています。 終戦記念日は、連合国にとっては戦勝記念日です、VJ Day(Victory over Japan Day)と呼ばれています。

連合国(The United Nations)は、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、中華民国、そして、ソ連です。 連合国軍の最高司令官がダグラス・マッカーサー。 それぞれの国には思わくや問題もあり、連合国といっても一枚岩でないことは明らかです。

オランダやフランスは戦争が終わったので、またアジアでの植民地政策に復帰しようとしていました。 図々しいですね。 中国は共産党と国民党の戦いが始まっています。 蒋介石国民党の228事件(台湾大虐殺)は1947年、現在の中共成立は1949年です。 大粛清で自国内で50万~700万人(数は定かでない)を殺したスターリンの領土への執念、、、。

実は、オーストラリア・ニュージーランドは、日本を一番差別し嫌っていたようです。 終戦処理に関しても、日本に対して仮借のない措置を提唱していました(極東軍事裁判、所謂、東京裁判の裁判長がオーストラリア人のウィリアム・ウエッブだったことも日本にとって悲劇でした)。 イギリスは、新しい日本を作るのはアメリカじゃないだろうと、アメリカに対して不満だったのですが、圧倒的な力でマッカーサーの勢いに押しきられてしまいました(イギリスのチャーチルは、苦々しく感じたことでしょう)。

日英同盟を破棄して枢軸国に加わったのは日本の外交音痴の極めつけですが、結果としてアメリカが占領の主導権をとったのは、比較の問題ですが、日本にとってまだよかったのでしょうね。

8月15日というのは、日本国民のアメリカ化の始まりであることを認識しておかなくてはいけません。

アメリカは人種のるつぼです、 多様な人種的背景をもつ人たちで構成されるアメリカは、偉大なアメリカのアイデンティティを作り、かつ、堅持しなくてはいけません。つまり、「氷山の水面下の部分」です。 これは、世界に対しては、アメリカ化を意味します。 日本に対しても、未開の野蛮人を文明化、つまり、アメリカ化しなくてはいけないと思っていたのでしょう。

「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ」ですか、、、。 アメリカもすっかり弱くなりました。

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2011年8月14日日曜日

献身という事 ~ devotion

さて、今年も8月15日がやってきます。 私は「もはや戦後ではない」と言われた世代の生まれですから、当然、1945年8月15日の記憶はありません。 しかし、昔から8月15日が嫌いでした。 三島由紀夫が言った「限りなき悲哀」を感じるからですね。

「人民の人民による人民のための政治」は、誰もが知っているリンカーンの有名なフレーズです。 しかし、リンカーンが演説で強調したかったことは、この部分だけではないと思います。 リンカーンは、「勝った側も、敗けた側も、戦死した人は無駄死にじゃないんだ」ということを言いたかったのです。

リンカーンのゲティスバーグ演説は短いので下に全文を載せます。 アメリカ人はdevotionという単語が大好きです。 組織で上司が部下を褒めたり表彰したりする場合には、必ず出てくる単語です。 リンカーンも演説の中で効果的に使っています(私は、リンカーンの演説に対して「虐殺され土地を奪われた先住民はどうなのよ!」と言う気持ちはありますよ)。

敗戦後の日本は、過去を上手に思い出すどころか、ダチョウのように頭だけを砂の中に突っ込んで、見たくないもの、知りたくないものを無視し続けて来たのでしょう。 小林秀雄が『無常という事』で言った、「人間の置かれる一種の動物的状態」なのでしょう。 福沢諭吉は、「禽獣の世界から文明に近づけるのが教育である」と言った訳ですが、敗戦後66年間の日本の教育の失敗は大きいですね。

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The Gettysburg Address
Gettysburg, Pennsylvania
November 19, 1863

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here.

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

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2011年8月13日土曜日

本物を見分けるには?

私が手に入れた12弦ギターは1977年製です。 単なる中古なのかアンティークなのか? 判断力をつけるには、もっとギターを買ってみないと、、、。

アメリカの町にはアンティーク・ショップが必ずあります。 どう見てもガラクタ屋に見えるのですが、堂々とアンティーク(antique)とかキュオリオ(curio)と看板を掲げています。 客は、ガラクタの中から「これは価値がある、 掘り出し物に違いない!」と、自分の眼を信じて購入するのです。
真贋能力を養うため、つまり、生きていく能力を身につけるために、街にはアンティークシップが多いのでしょうか?

福沢諭吉は『学問のすすめ』の中で言っています。

「事物の軽々信ずべからざること果たして是ならば、またこれを軽々疑うべからず。 この信義の際につき必ず取捨の明なかるべからず。 蓋(けだ)し学問の要は、この明智を明らかにするに在るものならん」。 いつもの事ですが、福沢さんは凄いですねぇ。

昭和にも凄い人はいます。 小林秀雄です。 小林秀雄は、昭和19年から21年の『モオツァルト』まで何も書きませんでした。 終戦から戦後にかけて骨董品の売買をやっていたそうですが、そういった背景から『骨董』、『雪舟』、『偶像崇拝』、『真贋』等のエッセイを次々と発表しています。

「ジャーナリズムを過信しますまい。 ジャーナリズムは、しばしば現実の文化の巧まれた一種の戯画である」、「日本の敗戦は、板につかぬ観念が進み過ぎるというところにある」
と、本物を見分けられずに時局に便乗した知識人や、スローガンに踊らされた大衆を批判しているかのようです。 もしかしたら、明治維新直後に福沢諭吉が考えたことと同じだったのかも知れません。 維新後と敗戦後、そして今回の震災後は?

これからも日本人はオストリッチ・ポリシー(ostrich policy)を続けるか、それとも過去を上手に思い出しながら、遂に目覚める時が来るのでしょうか?

http://ibg-kodomo.blogspot.com/2011/06/blog-post_09.html


2011年8月7日日曜日

鈴木バイオリン スリーエスギター












12弦ギターで弾ける曲ってあまりないですね。
「天国への階段」、「ホテルカリフォルニア」、、、

やはり、見て楽しむアンティークでしょうか? それでもいいですね。自己満足の世界ですから。




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2011年8月6日土曜日

空漠たるメッセージ


自分の生き残りのためならどんなに卑怯なことをやってもいい、、、広島の平和記念式典の首相を見ていてそう感じました。 「水戸黄門」の放送が打ち切られるのもわかります。 それでも、「原子力のあり方について方向付けをしてほしい」と、現政権に期待する国民がいるって一体何なんでしょうね?

日本は江戸時代に至るまで中国から様々なことを学びました。 明治になって近代国家を目指した時にはヨーロッパを模範としました。 昭和の敗戦後はアメリカの影に隠れて成長しました。5日、格付け会社のS&Pが米国の長期信用の格付けをAAAからAAプラスに引き下げました(日本は中国と同じ、AAマイナス)。アメリカを頼れなくなった日本は、くっつく相手もなく漂流しながら溶けていくのでしょうか?

日本人が世界で仕事をしようとすれば、日本人であることを意識せざるをえません。 すなわち、日本のアイデンティティを「上手に思い出す事」ができなければ、世界は相手にしてくれないでしょう。 日本にはまだアイデンティティの欠片は残っています。 ゼロから確立しなくても一つ一つを拾って、つまり、上手に思い出して、つなぎ合わせればいいのです。

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2011年8月4日木曜日

中古なのかアンティークなのか

何年かぶりにギターを買いました。

以前から欲しかった12弦ギターで、鈴木バイオリン製の1977年のものです(当時、鈴木バイオリンはギターを作っていました)。 体が中古なのかアンティークなのか、ガタが来たため、厄払い、お祓いの意味を込めての購入です。 眺めているだけで、そこはかとなき幸せがこみ上げてきます。 ギターを通して過去との対話です。

鈴木バイオリンの創業者、鈴木政吉さんという人はただ者ではありません。

明治20年頃、音楽教師を目指していた鈴木さんは、和製バイオリンと運命の出会いをします。徹夜で模倣し1週間でバイオリンの初作を完成させたそうです。 その後、舶来のバイオリンを見る機会があり、自分の作品と比較し、自分の作品がまだまだ完成の域に達していないことに気付き、バイオリン製作を天職にすることを決めたそうです。 日本の湿気にやられた舶来のバイオリンの修理をしながら本物を模倣し、とうとう日本の気候にあう鈴木バイオリンを完成させたのです。

学校で学んだことを、すべてを忘却してもなお残っているもの。それが、教育であると言ったアルベルト・アインシュタインは、バイオリンをこよなく愛し演奏家でもありました。 大正時代に政吉の息子たちが渡独し、アインシュタインに会う機会がありました。 アインシュタインは、鈴木政吉製作のバイオリンをドイツ製のものと弾き比べ、「音の出方、音の価値については到底貴下の父親の作品に比する価値はない。 自分の一生は勿論、永く家宝として愛用したい」と絶賛しています。 アインシュタインは、鈴木政吉に一通のサンキューレターも書いています。

日本人って、自然を写すことと同じように、火縄銃、軍艦、機関車などを模倣し、花火、造船、新幹線へと、一つ一つを自分たちの文化にしていったのです。 そして、その文化は独自の発展を遂げた。 100%模倣することから始まり、100%模倣できたところを起点として新たな文化を創造しました。 100%の模倣で終われば、それは、氷山の海上に出ている部分、つまり、知識の詰め込みだけだと思います(多くは100%の模倣すらできないで終わる、私の弾くギターのように)。 しかし、氷山の海上の部分と海面下の部分が格闘し、人の生き方(way of life)が決まる。 それは、恐らく国の成り立ちでもあるのでしょう。

鈴木バイオリンのギターカタログ。 日付は1977年(昭和52年)となっています(手に入れたのは、一番右のG-350Tです)。 明日は、私のギターの写真をUPしましょう。

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2011年8月2日火曜日

Turning Japanese(日本化)とアメリカ

アメリカのデフォルトは債務上限引き上げで回避されました。 英誌エコノミストは、欧米が日本化(Turning Japanese)していると揶揄しています。 意思決定の遅さからリーダーシップの欠如を批判しているわけです。
英誌エコノミストの表紙

今年も原爆記念日がやってきます。 日本の指導者って、原爆記念日に何を思うのでしょうね? 私はこの季節に日本にいるのが昔からいやでした。 日本もアメリカも嫌いになるからです。

「イギリスとの独立戦争を戦い、独立を勝ち取って成立したアメリカ合衆国は自由と平等の国、、、、」、日本のメディアでアメリカの歴史にふれるとき、いつもこのように始まります。 アメリカ人だって、臑に疵持つ身、全てを明らかにはしたくないのでしょうが、ほとんどのアメリカ人は、アメリカ先住民族(アメリカインディアン)虐殺の歴史を意識しています(反省しているかは別として、土地を奪ったのは事実ですから)。 高校の歴史の授業でも、pre-Columbus Americas(コロンブス以前の南北アメリカ)をしっかり教えています。

「神から与えられた神聖な使命である」と、キリスト教徒になるか皆殺しかの選択を迫り、先住民族の文化(氷山の海面下の部分)を破壊したこと、それが「野蛮」から「文明」への進化であると独善的に主張したのでした。 現代のアメリカは、先住民族がアメリカ大陸に何人いたのかを明確にしていないようです。 つまり、先住民族の数を明らかにすると、虐殺の規模が明らかになってしまうからです。 アメリカ建国の歴史が、スターリンや毛沢東の虐殺と並ぶような規模だと困っちゃいますものね。

『神神の微笑』(1922年 大正11年)は、芥川龍之介の日本論、日本人論です。

ヨーロッパから来たキリスト教宣教師が日本での布教活動の壁にぶちあたり、ホームシックになっている物語です。 物語の中で奇妙な老人が宣教師にささやきます。

「外国から日本に来たものは、表面上は勝利したように見える、例えば、中国の漢字やインドの仏教、しかし、これは日本化したものであり、彼らの勝利ではない。 事によると宣教師の神も、この国の土人に変るでしょう。我々は木々の中にもいます。 浅い水の流れにもいます。 薔薇の花を渡る風にもいます。 寺の壁に残る夕明りにもいます。 どこにでも、またいつでもいます。 御気をつけなさい。 御気をつけなさい、、、」。

芥川龍之介が言う日本化は、日本人が長年築き上げた「造り変える力」ですが、英誌エコノミストは、日本のリーダーシップは未開で遅れたものだ、アメリカ大統領も堕ちたものだねと、日本とアメリカを同時にシニカルに切って捨てています。

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