2011年4月27日水曜日

生活の過剰 ~ 芥川龍之介


子供の頃、夏目漱石を読んでもちっとも面白くなかった。理解することができなかったからです。 一方、芥川龍之介は面白かった。小学生にも読める作品がいっぱいあったからです。

私自身海外の生活を経験し、漱石が亡くなった年齢(49歳没)を超える頃から漱石が伝えたかったことが分るようになって来ました。逆に芥川龍之介は何十年も読まなくなりました。しかし、最近になって芥川龍之介も読んでいます(ネットの青空文庫ですが)。今の自分が読むとどう感じるかと思ったからです。 福沢諭吉も太宰治も何十年も経って読むとイメージが変りましたからね。

漱石より25歳年下の芥川龍之介は、関東大震災の経験を『大正十二年九月一日の大震に際して』に以下のように記しています。

芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだつた」。

死者・行方不明者10万余の震災後に、こういったコメントができるなんて、やはり、芥川龍之介もただ者ではありません。35歳で死ぬなんて本当にズルイ人です。日本の再生には、「人間を人間たらしめる生活の過剰」が理解できる方にやってもらいたいですね。

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