2010年7月24日土曜日

「英語ができる」って?

英語という大きな問題

日本に生まれ日本で育った日本人にとって、英語というのはいつまでたっても頭の痛い問題ですね。英語教育に関しては、専門家の先生方が各種各様の意見を数多く提言されています。私のような教育の素人が口を出すことではないのかも知れません。しかし、ビジネスの世界から少しだけ言わせて下さい。

私の英語は通用しない

私は30年以上の間、英語や中国語の世界で仕事をしてきました。英語で会議をしたり、プレゼンテーションをしたり、採用のインタビューをしてきました。アメリカ人の上司に評価されたり、アメリカ人の部下を評価したり、アメリカ人のクビを切ったり、、、。オフィスに日本人は私しかいない期間も随分ありました。でも、正直言って私の英語なんて、箸にも棒にもかからない類のものです。例えば、朝オフィスに行って、アメリカ人秘書に対して彼女の一日が楽しくなるような事を一言で言えるかといったら言えないのです。セクハラにならないように、気の利いた言葉を英語で言うなんて芸当はできない。なぜならば、私は日本文化を背負った日本人だからです。

「英語ができる」って?

ビジネスの世界で「英語はできるに越したことはない」でしょう。では「英語ができる」ってどういうことでしょうか?ペラペラとアメリカ人の発音でしゃべることでしょうか?それともTOEICのような英語検定で900点以上を取ることでしょうか?

もし、アメリカ人の発音に近づけようとするならば、幼児の頃からネイティブ・イングリッシュを聞かせ続けると発音はアメリカ人っぽくなるのでしょうね。「L」と「R」の違いとか。TOEICで900点をとることを目指すのであれば、TOEIC対策の勉強をすればよろしい。日本の受験英語で100点を取ることが「英語ができる」と言うのであれば、受験参考書の英語を勉強する必要があります。「英語ができる」って随分と曖昧ですね。

ビジネスの世界では、アメリカ人の発音でペラペラと英語を話すことは必要ありません。なぜならば、アメリカではインド人や中国人がとんでもない発音で堂々と英語を話しているからです。英語圏の人たちでさえ、南アフリカの人たちやオーストラリア人の英語は独特で何を言っているか分からないし、アメリカ国内でも南部の人たちは南部の発音です。つまり、誰も英語教材のような英語は話していないのです。それでも、相手がどんな英語を話そうが、相手の主張を理解しなくてはいけないし、こちらだって黙っていられない。発音がどうであれ、使っている単語が中学生の単語であれ(私のことですよ!)、相手が分かるまで説得しなければなりません。相手がちゃんとした英語でも、相手の主張が無茶苦茶な場合だってあります。うかうかとはしていられません。

だから、ビジネスの世界は、文法だ単語だなんて言ってられないのです。契約書のようなビジネス文章は、書けるに越したことはないですが、日本語でも書けないのに英語なんて日本人には無理と思って間違いない。アメリカ人や弁護士に依頼すべきものです。Eメールは最低のルールだけ(例えばpunctuation:句読法)は習得しておいたほうがいいです。教養が表れますから。

最後に子供の英語教育に関して私の意見をご紹介します(私には修学期の子供はいないのですが、、、)。

脳の言語空間(考える場所)を大きくする

私は、幼いころから発音をアメリカ人のように訓練するよりも、考え、理解し、判断する脳の言語空間を大きくすることの方が大切だと思います。日本で生まれ育ったわれわれ日本人の言語空間を支配するのは日本語です。一人の時は日本語で考えるわけです。したがって、日本語の語彙やセンテンスが多ければ多いほど思考は深まります。夏目漱石や三島由紀夫のように多くの言葉を知っていたら、どんなに考えの幅は広がるのではないかと思います。幼児期のように日本語の言語空間が十分に発達していない段階で外国語を始めた場合、日本語の言語空間の発達を阻害することになるのではないでしょうか?ビジネスの英語はもっと後からでも十分です。どうあがいても、アメリカ人のようになることはないのですから。

蛇足ですが、今の日本の政治家をご覧なさい。彼らの発する日本語があまりにも貧困なために、かれらの脳の言語空間はどうなっとるのか?と思ってしまいます。

好きでたまらないという情熱

大事なのは、好きで好きでたまらないという「情熱(PASSION)」だと思います。1日24時間1年365日ギターを弾いていたい、そして、その情熱が10年も20年も続く人だけが、プロギタリストのグループに参加できるのだろうと思います(プロのスタート地点として)。英語に関して言えば、英語が好きで好きでたまらないというのではなく(そう言う人もいるかも知れませんが)、好きで好きでたまらないものを追求する上で、英語が必要である状況に自分がいることですね。例えば、アメリカ人の映画俳優が好きでたまらない、大リーグの選手が好きで追いかける、アメリカの特定のロックバンドのことは何でも知っていたいとか。

私が英語に興味を持った取っ掛りは、アメリカのTVドラマでした。ドラマに出てくるアメリカ人の生活は新鮮でしたね。「どうして日本と違うんだろう、、、」と。冷蔵庫も大きいし、食べているものは何でも美味しそうに見えました。それと、たまに放送局のミスで日本語の吹き替えが突然に原語、つまり、オリジナルの英語に変わったりしたのです。そうすると、何を喋っているのか全く理解出来なくなる。小学生の私は、英語が分かったほうが楽しいだろうなと思ったわけです。

私の情熱なんて、たかだかTVドラマくらいのレベルなので、その後大きく発展することはありませんでしたが、英語に対して関心を寄せることにはなりました。その後は、興味の対象は、ビートルズやアメリカ映画に移っていったのです。

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2 件のコメント:

  1. 三鷹の隠居さん☆おはようございます。
    大好きなこと、どうしても言いたいこと、憧れているもの、そういうものこそが人間をつき動かす原動力なのだと思います。
    わたしもアメリカのドラマに憧れた口で、映画を字幕なしで観たいというのが目標ですが、未だ達成できずです(^_^;)

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  2. 好きで好きでたまらないことや、毎日が楽しいことがいいですね。暑さでのぼせ上がったせいか、ぼーっとしてやる気が萎えていかんですね。

    今日は、ローリング・ストーンズのDVD「SHINE A LIGHT」でも見て充電します。ストーンズをみていると、同じ事でもしつこくやり続けることが大事だと教えられ、感動すら覚えます。不良といわれた彼らですが、本当は一番大切なことを教えていたりして、、、。

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