2010年7月15日木曜日

切磋琢磨って?

論語 学而十五

子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與、子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也。

子貢曰わく、貧しくして諂(へつら)うこと無く、富みて驕(おご)ること無きは、何如(いかに)。子曰わく、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。子貢曰わく、詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如しとは、其れ斯れを謂うか。子曰わ く、賜(し)や、始めて与(とも)に詩を言うべきのみ。諸(こ)れに往(おう)を告げて来を知る者なり。

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広辞苑で「切磋琢磨」を引くと、「玉・石などを切りみがくように、道徳・学問に勉め励んでやまないこと、また、仲間どうし互いに励まし合って学徳をみがくこと」とあります。 私のような老百姓(ラオパイシン)が広辞苑に楯を突くなんて無茶苦茶な話ですが、論語の学而十五を読むと、切磋琢磨は少々ニュアンスが異なるように感じます。

切磋琢磨とは、学習する側ではなく指導する側に対して「誤った教え方をしてはいけないよ」とガイドしているのではないかと思います。語源を辿ると、「切」は骨や象牙を切ること、「磋」はそれらをみがくこと、「琢」は玉石を砕き加工すること、「磨」は玉石を磨くことです。つまり、「学生や弟子一人一人の個性や資質を見きわめて、的確な指導、コーチングをしないといけません」と言っているのではないでしょうか? 料理で例えるならば、素材に合わせた調理法です。

子供の成長を一番身近で観察しているのは母親です。したがって、母親の我が子を見る眼は本当に重要です。お母さんたちには、世の中で流行の教育論・子育て論なんて軽信することなく自分の判断力を信じてもらいたいですね。

余談ですが、私は学而十五の前段の部分も好きです。孔子は、貧しくても道を楽しみ(道楽)、富んでも礼儀を忘れない(敬意をはらう)ことは大事だと言っています。

今の日本は真逆の方向に突っ走っていると思いませんか?

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