2010年2月8日月曜日

ジェネレーションギャップ



ジェネレーションギャップは、世代による文化、価値観、思想などの相違のことですが、今の日本の世の中を見ていると、育った時代によって考え方はかなり違っているのではないかと思います。お互い共通に持っている気質をしっかり確認しないと、特に政治家などはムチャクチャな議論になってしまいます。

上のスライドは、私の勝手な分類と、それぞれの時代に起った出来事です。
  • マッカーサー呪縛世代 ~ 団塊の世代
  • シラケ世代 ~ 共通一次世代
  • バブル世代
  • 氷河期世代
  • ゆとり教育世代

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5 件のコメント:

  1. ジェネレーションギャップは意識してかかないとならないものでしょうか?正直なところ、私は認識できていません。

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  2. ジェネレーションギャップの認識は重要だと思います。

    社会的背景と教育によって、人は様々な影響を受けているものだと思うからです。教育のあり方は、国のかたちに大きく左右されるものだと思うからです。国家の概念がない場合、そもそも教育は成り立たないのではないでしょうか?

    戦争に行って帰ってきた人たちと、戦争中に小中学生であった人たち、つまり、私が勝手に言うマッカーサー呪縛世代との間には大きなギャップがあると思います。今の日本の政治を反映していると思われる(?)団塊の世代は、マッカーサー呪縛世代の背中をひたすら追いかけて経済成長に頑張った人たちです。

    「戦艦大和ノ最期」の著者である吉田満さんが、「戦中派の死生観」(絶筆)のなかで以下のようなことを書いています。

    「戦後日本がその出発にあたって、抹殺すべきでないものまで抹殺し、存立の基礎であるアイデンティティーまで喪失したことの愚を、その大きな欠落を、われわれ戦中派は黙視すべきではなかった」。

    (中略)

    「戦後日本に欠落したもの、日本人としてのアイデンティティーの確立が、現在ほど喫緊の課題として求められている時は、ないであろう」。(昭和五十四年 文藝春秋)

    ***

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  3. ご説明でジェネレーションギャップの意味を理解しました。全く同感です。

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  4. アイデンティティーの欠落で気付いた事がありました。

    司馬遼太郎の小説、「竜馬が行く」や「坂の上の雲」が面白いのは、近代国家の日本が形作られる中で、日本人としてのアイデンティティーの形成が描かれているからかと思いました。

    私の父親は戦争中に小中学生でした。戦後の焼け野原からの成長を支える中で、日本品質に対する誇りなど、戦後日本人としてのアイデンティティーを持っていると感じます。(時には民族差別的な発言もしますが…)

    しかし、私は維新や戦争など激動の時代を経験しているわけでもなく、そこまで「日本人であること」を意識してきませんでした。昔と比べ豊かになった生活に溺れ、日本人としてのアイデンティティーを持っていない一人として反省しています。

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  5. 家族愛が郷土愛になって国家意識が生まれるのが通常だと思います。これは、何も軍国主義のことではありません。ところが、戦後の教育では「国家」という代わりに「社会」になった。

    アメリカは、いつも努力して「国家」を意識していないとアメリカで在り続けることはできないと思います。中国共産党も同じ事でしょう。しかし、そういった点は、政治家も含めて、今の日本人には意識されていません。

    明治時代は、多くの「藩」から一つの日本と言う近代国家をつくった時代です。つくらざるを得なかった。でなければ、西欧列強に侵略されましたからね。無理矢理でもみんなが必死に「国家」を考えた。

    ***

    戦後、マッカーサー呪縛世代が国家意識をリセットして、彼らに続く団塊の世代と一緒に、社会人として(国民ではなく)経済に邁進した。経済で一流国の仲間入りを目指した。これは、悪いことではないと思いますが、全てを忘れ去ったことには問題がある。国家意思だけでなく、アメリカの保護というのも疑いなく存在したからです。

    良い事も悪い事もあった。全てを取りまとめて理解しておく必要があり、それは義務教育でカバーされるべきものだと考えます。

    最近では、「国家」の概念どころか「社会」を通り越して「地球」になってしまった。海外に行く時にパスポートが必要であることをどう理解しているのでしょうね?

    昨年、帰国してから、この辺りの日本の急激な変化に驚いています。私は、右でも左でもなく、中庸を目指しているつもりなのですが、、、。

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