2025年6月1日日曜日

失敗が許されない国の末路

 

一人前の男になるには自分の Train Chugging ができなければいけない、、、、と言われています。私はまだまだ半人前です。

よく「日本人の生産性の低さ」が話題になりますが、そもそも日本の労働者の多くは、自分の報酬と会社の業績との関係にあまり関心を持っていません。また、価値が急速に変化する「情報」や「デジタル化」にも疎い傾向があります。企業の経営陣も、いまだに情報システム部門を独立したコストセンターとして扱い、軽視しているように見受けられます。

産業構造にも歪みがあります。少数の官僚的な巨大企業と、大多数の中小企業という二極化が進んでおり、中小企業は資金力にも人材にも恵まれていません。日本の企業の大半がこうした中小企業であることを考えると、これは深刻な問題です。

さらに、挑戦や失敗に対する社会の寛容性が低く、新しいことに挑戦しにくい環境が続いています。これは長年の教育の結果ではないでしょうか。日本の受験システムに、根本的な変化があったとは思えません。

人材の流動性も低く、適切な再配置が進まないため、いわゆる「ゾンビ企業」が生き延びてしまう要因にもなっています。失敗したら再起が難しいという現実も、チャレンジを阻む大きな壁です。こうした状況は、リスクを取りながら大胆に動くトランプ的な発想とは正反対です。

意思決定の極端な遅さや、リスク回避を優先する企業文化、そして何よりもリーダーシップの欠如。日本の組織にはスピード感がまったくありません。会議や稟議は何のために行われているのでしょうか。

教育、労働市場、デジタル化といった分野が相互に分断されており、統合的な政策を打ち出すことができていません。国内でそれができないのですから、世界のパラダイムシフトに対応する余地すらないのが現状です。

そして政府は、間近に迫る参院選の行方にしか関心がないように見えます。それにもかかわらず、多くの国民は依然として政府に自発的に(?)隷従です。

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