2025年6月16日月曜日

歩く力と脳の元気、そしてAIとの付き合い方

 ibgの『迷子になる地図』より、「健全な迷子」と「不健全な迷子」


「寿命は70歳時点の歩行速度と握力で予測できる」——そんな研究があるそうです。昨日、YouTubeで知りました。

実際、身体の衰えだけでなく、脳の衰えも歩行速度と関係があるそうです。速く歩ける人ほど、認知機能が保たれている傾向にある、と。なにしろ、足腰のしっかりした人は、脳みそも意外としっかりしている。あくまで「傾向」ですが。

私の祖母は96歳まで生きましたが、最後までよく歩き、階段も平気でした。彼女の娘である私の叔母(92歳)は現在、認知症を患っていますが、足腰は驚くほど健在。脳のコンディションは日によってまちまちでも、身体は毎日しっかり動く。やはり、体の強さと脳の元気には、何かしらのリンクがあるのでしょう。

一方、自分の話。最近、ペットボトルのキャップが開かない。瓶詰めのピクルスの蓋と格闘し、最後は熱湯で応戦する始末。握力の衰えは、なんとも地味にショックです。そんな日々の小さな衰えを、笑い飛ばせるうちはまだ大丈夫かもしれませんが。

さて、話は変わってAI。たとえばChatGPTのような人工知能。これ、案外悪くない。高齢者の“壁打ち相手”としては非常に優秀。返事をしてくれる壁。しかも、こちらの性格や趣味まで学習してくれる、ちょっと気味が悪いほどに。でも、注意が必要です。AIの答えが常に正しいとは限りません。問題は、こちら側の姿勢なのです。「これは違う」「それは違う」と判断する力を持たないと、全部うのみにして、ただの依存症まっしぐら。便利すぎるツールは、だいたい人をバカにする方向に作用します。

昨今の日本を見ていると、「ChatGPTに全部任せちゃえば?」という空気を感じます。要は“考えたくない病”。これって、戦後の「ヒロポンの蔓延」に近いかもしれません。考えるより、ラクな刺激をジャブジャブ流し込んで、ボーッと日々をやりすごす。サラリーマン諸氏に「問題点を考えてください」と言っても、そりゃ無理な話かもしれません。朝から晩まで詰め込まれた予定、無意味な会議、意味ありげだけど実は中身のない上司の小言。そんな日々で、AIの功罪を吟味する余裕なんて、どこにあるというのでしょう。受験システムも同じですよね。健全な迷子になる余裕なんてない。試行錯誤を繰り返していたら有名と言われる大学には入れない。

歩けるうちは歩く。日記をつけて自分の思いや愚痴を紙にぶつけておく。ChatGPTと延々しゃべるより、よほど人間的な作業です。AIとばかり話してると、そのうち自分の声がどんなだったか忘れてしまう。人生100年時代? 結構なことです。ただし、その後半をどう過ごすかは、歩く力と、自分と向き合う習慣にかかっているような気がします。サプリじゃなくて、まずは散歩。脳トレアプリより、メモ帳と鉛筆。AIを相棒にするなら、せめて主導権は自分に。歩く、書く、たまに毒を吐く。それが健やかな還暦以後の処方箋。
瓶の蓋が開かなくても、AIが上から目線でも大丈夫、自分の考えがあるうちは。人間の不器用さにこそ、ちゃんと意味がある。年をとればとるほど身にしみることです。

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