一年ぶりに、アメリカ・テネシー州ナッシュビルから息子一家が一時帰国しました。
息子はもうすぐ40歳。アメリカで弁護士として働いており、妻は大学で英語を教えたり、文章を書いたりと文筆の仕事をしています。共働きで、二人の子どもを育てながら、物価の高騰や治安の不安、広がる経済格差の中で、なんとか日々を乗り切っているようです。
今回は七五三のお祝いもかねての帰国で、吉祥寺の写真スタジオで撮影をしました。子どもたちは着替えに少し時間がかかったり、撮影も長丁場になりましたが、案外楽しそうにしていて、カメラの前で笑ってくれるその姿に、こちらまで自然と笑みがこぼれました。
ただ、今回の再会が手放しの幸せばかりかというと、少し違っていました。自分自身の体調の不安もありましたし、ふとした瞬間に、心の中に小さな苛立ちや不寛容な気持ちが顔を出してしまう場面もあって、自分自身の未熟さを思い知らされるようなところがありました。
孫たちは元気で明るい、本当に良い子です。ただ、生活のちょっとした場面で、「あれ?」と引っかかるような瞬間がいくつかありました。たとえば、物を大切に扱う感覚が少し薄いように見えたり、食べ物を無造作に残してしまったり。もちろん、時代も文化も違いますし、私自身が育った昭和の感覚や日本流をそのまま当てはめるのは違うと思いつつ、やはり少し気になってしまうのです。
息子とお嫁さんは、ともにアメリカ育ちの一人っ子です。息子がニューヨークの大学に入学した18歳のときから、私たちは一緒に暮らしていません。二人とも日々忙しく働きながら、子育てにも奮闘している様子を見て、よくやっていると思う一方で、「限られた環境の中でも、子どもたちがもう少し日々の物事を丁寧に受け止められるようになれば」と、そんなふうにも感じました。とはいえ、それは私の古い価値観なのかもしれません。
息子はアメリカ社会には批判的な視点も持っているのですが、ビジネスの現場では、「日本人や日本企業とは関わらない」ときっぱり言っていました。「時間の無駄だから」と。
今回は七五三のお祝いもかねての帰国で、吉祥寺の写真スタジオで撮影をしました。子どもたちは着替えに少し時間がかかったり、撮影も長丁場になりましたが、案外楽しそうにしていて、カメラの前で笑ってくれるその姿に、こちらまで自然と笑みがこぼれました。
ただ、今回の再会が手放しの幸せばかりかというと、少し違っていました。自分自身の体調の不安もありましたし、ふとした瞬間に、心の中に小さな苛立ちや不寛容な気持ちが顔を出してしまう場面もあって、自分自身の未熟さを思い知らされるようなところがありました。
孫たちは元気で明るい、本当に良い子です。ただ、生活のちょっとした場面で、「あれ?」と引っかかるような瞬間がいくつかありました。たとえば、物を大切に扱う感覚が少し薄いように見えたり、食べ物を無造作に残してしまったり。もちろん、時代も文化も違いますし、私自身が育った昭和の感覚や日本流をそのまま当てはめるのは違うと思いつつ、やはり少し気になってしまうのです。
息子とお嫁さんは、ともにアメリカ育ちの一人っ子です。息子がニューヨークの大学に入学した18歳のときから、私たちは一緒に暮らしていません。二人とも日々忙しく働きながら、子育てにも奮闘している様子を見て、よくやっていると思う一方で、「限られた環境の中でも、子どもたちがもう少し日々の物事を丁寧に受け止められるようになれば」と、そんなふうにも感じました。とはいえ、それは私の古い価値観なのかもしれません。
息子はアメリカ社会には批判的な視点も持っているのですが、ビジネスの現場では、「日本人や日本企業とは関わらない」ときっぱり言っていました。「時間の無駄だから」と。
その言葉には、少し寂しさも覚えましたが、納得もしています。というのも、それは時代の流れというより、彼自身がアメリカ社会の中で、アメリカ人と対等にやり合えるだけの実力を備えているからだと思うのです。
私にはそうした力はありませんでした。アメリカ人の組織で働いていたとはいえ、英語という壁もあり、日本人であることを足がかりにしながら、なんとか折り合いをつけてサバイブしてきた——そういう生き方しかできなかったというのが正直なところです。
「日本にはいいところがたくさんあるのだから、無理に“世界標準”を目指さず、このままガラパゴス化を進めてもいいんじゃないか」と、息子は笑いながら言っていました。皮肉ではありますが、どこか現実を射抜いているように思います。
ところで、撮影のあと歩いた週末の吉祥寺は、驚くほど外国人観光客であふれていました。つい最近まで、こういう光景はなかった気がするのに、本当に世の中の変化は早いものですね。
ガラパゴスが商業主義の観光地になる、、、、。
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