2011年11月28日月曜日

近代化を見直す

深大寺の午後

1911年(明治44年)、夏目漱石の和歌山での講演『現代日本の開化』は漱石の魅力がいっぱいです。

西洋の開花は内側からわき出て発展したものだ。 一方、日本の(明治の)開花は外発的である。自己本位、つまり自分の立ち位置、を見失って、外からのプレッシャーにより否応なしに意思決定した弊害が続いている。 日本の文化や伝統はその時以来歪んだものとなって今(明治後期)に至っている。

漱石一流のユーモアとウィットに富んだ講演です。 TVドラマ『坂の上の雲』も完結するようですが、明治は暗黒でも光明でもない。 日露戦争に勝ち一流国になったと浮かれる日本と昭和の戦争でこてんこてんに負かされた日本、勝っても負けても問題の本質は、日本の文化・伝統と近代化の狭間で「自己本位」を見失ったことでしょう。

漱石の講演からちょうど100年の今年、日本の近代化そのものを見直すよい機会とすべきでしょうね。 欧米だってそれぞれに問題はありますよ、そして、大陸や半島だって同様です。念のため。

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少なくとも鎖港排外の空氣で二百年も麻醉した揚句突然西洋文化の刺戟に跳ね上つた位強烈な影響は有史以來まだ受けてゐなかつたと云ふのが適當でせう。日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。又曲折しなければならない程の衝撃を受けたのであります。之を前の言葉で表現しますと、今迄内發的に展開して來たのが、急に自己本位の能力を失つて外から無理押しに押されて否應(いやおう)なしに其云ふ通りにしなければ立ち行かないといふ有樣になつたのであります。

(中略)

すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮(うわかわ)を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。

夏目漱石 『現代日本の開化

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