2021年7月14日水曜日

選択の連続が人を成長させる


収穫のタイミングまで選択の連続である野菜作り

選択の連続が人を鍛え成長させる

止まったり回避しちゃ成長はないし、最終的には幸せにならないと思う。一つ一つの選択に個性だとか自由だとか責任とかが絡んでくる。責任感のない事件や事故が頻繁に起こるようになったのは、なんとなく人任せで主体的に自分で選択して実行してないから責任という感覚に結びつかないんじゃないか? 流行りのダイバーシティにしても、一人一人が違っていて個性があって、色んな意見があって議論するから意味がある。一人一人の意思決定のプロセスが異なるから個性の違いがでてくる。最終的にダイバーシティのパワーとなる。

日本の教育は「考えないこと」を教えている

日本の現行教育は子供たちを枠にはめる事だけを教える。文科省や学校が決めた枠です。「framed=枠をはめられる」 ってワナにはめられるという意味です(Bob Dylan「I shall be released」)。そうだとすると、日本の子供たちは考えないまま大人になって行く。「そういうもんだ」と思えば何も考えなくていいし、自分で判断する必要がなくなる。「なんとなく幸せ~~~」。

人の脳ってよくできている

入力があって計算(思考や教訓)があって出力がある。日本の教育は入力の部分を子供たちに任せずに、枠のなかで「こういうもんだ」を教える。ところが、そもそも脳の働きって学習機能です。経験を積めば積むほど、成功や失敗を繰り返せば繰り返すほど、賢くなる。それは言い換えれば、「自分の枠が出来てくる」ということです。人が作った枠じゃなくて、自分の枠です。つまり、枠ははめられるのじゃなく自ら作る。学習とか勉強ってそういうことじゃないかな?「羹に懲りて膾を吹く」じゃないけど、経験して賢くなる。脳機能を考えるとそれが学びでしょう。

教育とは?

美味しいものを食べたり、感動する映画や絵を観たり、様々な種類の音楽を聴いたりして脳に入力(インプット)していく。子供はインプットを繰り返すことによって自分の入力能力である五感を鍛えていく。インプットは選択し(オプション)でもある。自分で選択を繰り返し試行錯誤し、錯誤の幅を狭めていく。それをサポートするのが教育なんじゃないかな? そして、それは親の役割でもある。


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