2026年2月24日火曜日

邂逅と謝念

 


昨日、1990年代後半から2000年代初めにかけて、ニューヨークで一緒に働いた仲間たちと再会しました。


当時の彼らは、皆とがっていました。若さゆえの自負もあったでしょうし、組織や常識への反発もあったのでしょう。それでも共通していたのは、能動的であること、自分の頭で考え、自分の責任で動くという姿勢だったと思います。

あれから25年以上が経ちました。

それぞれの道を歩み、立場も肩書きも変わった。紆余曲折もあったはずです。それでも昨日集まった彼らは、あの頃と変わらず主体的でした。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり言う。年長者の私にも遠慮しない。その言葉には、年齢を重ねた分だけの深みと、失われていない軽やかさがありました。

本当に心地よい時間でした。

私は改めて「邂逅」という言葉を思い浮かべます。偶然のようでいて、実は人生をかたちづくる必然の出会い。あの時代に、あの場所で、彼らと共に働いたことは、私の運の一部だったのだと思うのです。

振り返れば、私はいつも周囲に支えられてきました。自主的で、責任感があり、能力の高い人たちが、自然体でそこにいた。私は特別でなくてもよかった。場を前に進めていたのは、周囲の力だったのです。

昨日の会話が、それを静かに証明していました。

人は一人で歩いているようでいて、実は出会いによって形づくられている。
邂逅とは、時間を越えて、自分の来し方を照らし返す光なのかもしれません。

「どう生きるか?」も大事ですが、そろそろ「なぜ生きるか?」を考える時です。「邂逅の謝念に生きる者は幸福である」といったのは亀井勝一郎でした(『人間の心得』1963年)。自分のこれまでを振り返ると改めて人生は邂逅と謝念だと思います。

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