私は、小学生から中学生にかけて、アメリカに強い影響を受けて育ちました。地方都市の公団住宅でテレビっ子だったのです。私が観ていた映画やテレビは、当然のことデジタル以前のアメリカです。1940年代から60年代にかけてのアメリカであり、その時代の映画でした。
『カサブランカ』『哀愁』『素晴らしき哉、人生!』『風と共に去りぬ』に胸を打たれ、『理由なき反抗』や『十二人の怒れる男』に、言葉にならない違和感と正義感を教えられました。
私は、ほぼそれらすべての映画を観て育ちました。それらは私に、成功や勝利よりも、むしろ人間の脆さを教えてくれた作品群でした。つまり、アメリカの占領政策にコロりと騙されたのかも知れません(私はもはや戦後ではないといわれた世代ですが)。
ただし、私が受け取っていたのは、理念や成功神話だけではありませんでした。そこに流れていたのは、むしろ人間の弱さでした。不条理、挫折、報われなさ。しかし同時に、愛と友情や正義が確かに存在していた。
そして、私にとってアメリカを「物語」ではなく「生活の匂い」として感じさせてくれたのが、1950〜60年代のテレビドラマでした。
『ハイウェイ・パトロール』『サンセット77』『ハワイアン・アイ』『ルート66』、『ビーバーにおまかせ』『奥様は魔女』『かわいい魔女ジニー』、そしてイーストウッドの『ローハイド』。
中でも決定的だったのは、何と言ってもリチャード・キンブル博士の『逃亡者』です。
そこに映っていたのは、英雄ではなく、市井の人々でした。広い道路、郊外の住宅、キッチンのある家庭、仕事帰りの父親、笑ったり口論したりする家族。私はそれらを通して、アメリカの街並みや一般家庭の空気を、知らず知らずのうちに刷り込まれていったのだと思います。そして、大いにアメリカに憧れ、英語という言葉にも自然と興味を持つようになりました。小学生の頃、最初に覚えた英語は「Gone with the Wind」でした。
フィルム・ノワールの陰影も、メロドラマの涙も、テレビドラマの日常性も、すべては「人間とは何か」を問い続ける営みだったように思います。
60年代に入り、『夜の大捜査線』や『卒業』を経て、『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』『真夜中のカーボーイ』といった、アメリカン・ニューシネマが登場します。授業をサボって映画館に通った高校時代でした。
そこにはもはや、整った救済はありません。社会への反抗、不条理への怒り、虚無感。それでもなお、友情だけは捨てきれない男たちの姿がありました。愛があるからこそ、世界に絶望する。私は、その矛盾にこそリアリティを感じていたのだと思います。
当然のこと、学校や受験勉強からは疎遠になりますよね。
もう20年以上、私はハリウッド映画を積極的に観なくなりました。理由は単純で、どこかで「人間の匂い」が薄れていったからです。CGやシリーズ化が悪いわけではありません。ただ、私が影響を受けた映画は、すべてアナログの時代の産物でした。
近年、私が好んで観るのは、昭和の日本映画です。
敗戦後から1960年代前半までの作品。主に白黒映画です。
そこには、敗戦という決定的な喪失を背負った人間たちがいます。誇りを失い、しかし生きることをやめなかった人々。小津安二郎の静けさ、成瀬巳喜男の哀感、黒澤明の怒り。
彼らは間違いなく、ハリウッド黄金時代の映画文法を学びながら、それを日本的な人間観へと変換しました。そして興味深いことに、その日本映画が、再びハリウッドに影響を与えていく。黒澤の『七人の侍』が西部劇に姿を変え、『用心棒』がイーストウッドを生んだ。
文化は一方通行ではなかったのです。
そんな中で、唯一、私の感覚と同じ場所に立ち続けていると感じるのが、クリント・イーストウッドでした。『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』に描かれたのは、不条理な世界の中で、それでも人としてどう生き、どう終わるかという問いです。
突然断ち切られる人生。救いのない現実。それでも、最後に残るのは、他者への責任と愛でした。
アメリカ映画と昭和日本映画に共通して流れていたもの。それは、デジタルでは置き換えられない「人間性」だったのだと思います。不器用で、矛盾を抱え、完全には救われない存在としての人間。
私は、映画やテレビドラマからそれを学び、人生を考える材料を与えられてきました。今もなお、フィルムのざらつきの向こうに見える人間の姿に、私は静かな共感を覚え続けています。
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