人は、いつ「教育された」と実感するのでしょうか。
教室で知識を得たときでしょうか。それとも試験に合格したときでしょうか。私自身の経験では、人はもっと現実的な場面で、一気に成長するように思います。利害打算ではなく、現実的であるということであり、自分の信条に忠実であるということだからです。仕事経験は人をタフにする
「持ち家派か、賃貸派か」という議論は、時代を超えて繰り返されてきました。住居は単なる生活の器なのか、それとも人生観を左右する選択なのか。私はこの問いに対して、少し違った角度から考えています。なぜなら、私は日本とアメリカの両方で、マンションや一軒家を数回ずつ購入し、そして売却してきたからです。
不動産の売買は、想像以上に人を鍛えます。特に海外での不動産取引は、制度も文化も言語も異なる中で、すべてを自己責任で判断しなければなりません。大抵の場合、強引で癖のある不動産業者(トランプのような人物)や、理不尽とも思える主張を押し通そうとする売り手側の弁護士が前面に出てきます。価格交渉、契約条件、税務、為替――その一つ一つについて、自分で判断し、決断を下さなければなりません。住居を持つという行為は、安定というよりも、むしろ精神的な緊張と決断の連続でした。
もっとも、家を買うことは、部下を切ることとは決定的に違う側面も持っています。それは、そこに「楽しみ」があるという点です。自分が住みたい場所を考え、街の空気を感じ、間取りや日当たり、周囲の環境など、さまざまな要素を天秤にかけながら、自分たちの予算の中で最善の選択を探していく。その過程は決して苦しいだけのものではありません。しかも、その判断は自分一人で完結するものではなく、家族との共同作業になります。意見が食い違うこともありますが、それも含めて、家族として一つの人生を歩む。家探しは、人生の一部分として記憶に刻まれていきます。
ここで、少しだけニューヨーク郊外で一軒家を購入したときの経験を振り返ってみたいと思います。
「持ち家派か、賃貸派か」という議論は、時代を超えて繰り返されてきました。住居は単なる生活の器なのか、それとも人生観を左右する選択なのか。私はこの問いに対して、少し違った角度から考えています。なぜなら、私は日本とアメリカの両方で、マンションや一軒家を数回ずつ購入し、そして売却してきたからです。
不動産の売買は、想像以上に人を鍛えます。特に海外での不動産取引は、制度も文化も言語も異なる中で、すべてを自己責任で判断しなければなりません。大抵の場合、強引で癖のある不動産業者(トランプのような人物)や、理不尽とも思える主張を押し通そうとする売り手側の弁護士が前面に出てきます。価格交渉、契約条件、税務、為替――その一つ一つについて、自分で判断し、決断を下さなければなりません。住居を持つという行為は、安定というよりも、むしろ精神的な緊張と決断の連続でした。
もっとも、家を買うことは、部下を切ることとは決定的に違う側面も持っています。それは、そこに「楽しみ」があるという点です。自分が住みたい場所を考え、街の空気を感じ、間取りや日当たり、周囲の環境など、さまざまな要素を天秤にかけながら、自分たちの予算の中で最善の選択を探していく。その過程は決して苦しいだけのものではありません。しかも、その判断は自分一人で完結するものではなく、家族との共同作業になります。意見が食い違うこともありますが、それも含めて、家族として一つの人生を歩む。家探しは、人生の一部分として記憶に刻まれていきます。
ここで、少しだけニューヨーク郊外で一軒家を購入したときの経験を振り返ってみたいと思います。
借家のアパート暮らしは安全で便利でしたが、一軒家がもたらした「空間」と「自由」の前では、その利点は色あせました。広い庭で子どもと遊び、記念樹を植え、季節の変化を生活の中で感じるようになったことで、私たちは「旅行者的な駐在員」から「生活者」へと変わりました。金銭的な損得は簡単に割り切れませんでしたが、損得だけで決断していたら、家は一生買えなかったでしょう。すべてを自分たちで決めるという重圧の中で、初めて覚悟を伴った選択をした、その経験自体が私を大きく鍛えたのだと思います。我が家の信条は、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いです。
それでもなお、不動産購入が人をタフにする経験であることに変わりはありません。大きな金額を動かし、後戻りのできない決断を自分の名前で引き受ける。その経験は、後になって振り返ると、確実に判断力と精神的な耐性を鍛えていました。
この「仕事や人生の中で、人を一皮むけさせる経験」について、非常に体系的に整理しているのが、モーガン・マッコール『ハイ・フライヤー』(2002年)の第三章です。同章では、優秀なリーダーが成長過程で必ずと言っていいほど経験している「成長を促す仕事経験」が分類されています。そこには、初めての仕事、初めてのマネジメント、ゼロからの立ち上げ、事業の立て直し、視野の変化、そして修羅場とも言える失敗や喪失が含まれています。
私自身のキャリアで、最も精神的な負荷が大きかった経験の一つは、アメリカのコンサルティング会社でのマネジメントでした。そこでは「アップ・オア・アウト」と呼ばれる評価制度があり、一定期間ごとに成果を出し昇進できなければ、組織を去ることになります。3〜6か月に一度、部下の評価を行い、下位パフォーマーと判断された20〜25%は、問題行動を起こしていなくても「カウンセルアウト」されます。端的に言えば、クビを切らなければなりません。
部下を解雇するという行為は、何度経験しても慣れるものではありません。家を買うときのような前向きな高揚感は、そこには一切ありません。毎回悩み、考え込み、自分の判断が正しいのかを自問します。しかし、その苦しさから逃げずに向き合うことで、組織で働く者として、そしてマネジメントとして、一皮むけた段階に進むのも事実です。
組織の成果を守るために、個人の人生に影響を与える決断を下す。その責任の重さが、決断力と精神的な強さを鍛えていきます。『ハイ・フライヤー』で言う「修羅場」の経験とは、まさにこのような場面を指しているのでしょう。
翻って、日本企業の役員の多くはどうでしょうか。自らの判断で部下を解雇した経験を持たないまま、役員になるケースが少なくないのではないかと感じます。制度や慣行として「誰かが決めたこと」を追認することはあっても、個人として重い決断を引き受ける機会が極めて少ない。その結果、決断を避け、責任を曖昧にしたマネジメントが温存されているようにも見えます。
家を買うこと、部下を切ること。性質は異なりますが、どちらも「自分の名前で決断し、その結果を引き受ける」という点では共通しています。『ハイ・フライヤー』が示すように、人を本当に成長させるのは、こうした避けがたい決断の積み重ねです。
成長とは、知識を増やすことではなく、覚悟を引き受ける回数を重ねることなのかもしれません。その意味で、仕事経験とは、人の精神を鍛える最高の道場なのだと、私は実感しています。
それでもなお、不動産購入が人をタフにする経験であることに変わりはありません。大きな金額を動かし、後戻りのできない決断を自分の名前で引き受ける。その経験は、後になって振り返ると、確実に判断力と精神的な耐性を鍛えていました。
この「仕事や人生の中で、人を一皮むけさせる経験」について、非常に体系的に整理しているのが、モーガン・マッコール『ハイ・フライヤー』(2002年)の第三章です。同章では、優秀なリーダーが成長過程で必ずと言っていいほど経験している「成長を促す仕事経験」が分類されています。そこには、初めての仕事、初めてのマネジメント、ゼロからの立ち上げ、事業の立て直し、視野の変化、そして修羅場とも言える失敗や喪失が含まれています。
私自身のキャリアで、最も精神的な負荷が大きかった経験の一つは、アメリカのコンサルティング会社でのマネジメントでした。そこでは「アップ・オア・アウト」と呼ばれる評価制度があり、一定期間ごとに成果を出し昇進できなければ、組織を去ることになります。3〜6か月に一度、部下の評価を行い、下位パフォーマーと判断された20〜25%は、問題行動を起こしていなくても「カウンセルアウト」されます。端的に言えば、クビを切らなければなりません。
部下を解雇するという行為は、何度経験しても慣れるものではありません。家を買うときのような前向きな高揚感は、そこには一切ありません。毎回悩み、考え込み、自分の判断が正しいのかを自問します。しかし、その苦しさから逃げずに向き合うことで、組織で働く者として、そしてマネジメントとして、一皮むけた段階に進むのも事実です。
組織の成果を守るために、個人の人生に影響を与える決断を下す。その責任の重さが、決断力と精神的な強さを鍛えていきます。『ハイ・フライヤー』で言う「修羅場」の経験とは、まさにこのような場面を指しているのでしょう。
翻って、日本企業の役員の多くはどうでしょうか。自らの判断で部下を解雇した経験を持たないまま、役員になるケースが少なくないのではないかと感じます。制度や慣行として「誰かが決めたこと」を追認することはあっても、個人として重い決断を引き受ける機会が極めて少ない。その結果、決断を避け、責任を曖昧にしたマネジメントが温存されているようにも見えます。
家を買うこと、部下を切ること。性質は異なりますが、どちらも「自分の名前で決断し、その結果を引き受ける」という点では共通しています。『ハイ・フライヤー』が示すように、人を本当に成長させるのは、こうした避けがたい決断の積み重ねです。
成長とは、知識を増やすことではなく、覚悟を引き受ける回数を重ねることなのかもしれません。その意味で、仕事経験とは、人の精神を鍛える最高の道場なのだと、私は実感しています。
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