2012年6月21日木曜日

叛逆の精神



問題意識をもって行動しようとすると、それって体制側にとっては極めて危険なことです。時代によってはアナキストと呼ばれ国家権力によって抹殺されてしまいます。  でも、体制側が、守るべき国家意識さえ希薄だと、再生できないまで自己崩壊を続けるのでしょう。

明治から大正にかけて大杉栄という人がいました。 学校の教科書ではアナキスト、無政府主義者と紹介されています。  大杉栄は、関東大震災のとき、憲兵に抹殺されました。 短編小説 『鎖工場』 の世界は、ハクスリーの 『すばらしい新世界』やジョージ・オーウェルの 『1984年』につながります。

恐らく日本人には「自覚せる戦闘的少数者(極小の少数者)の努力」さえ期待できないのでしょうか?  ハクスリーのいう「ディストピア」ですね。 高度成長期の人も今の若者も大差ありません。 教育は恐ろしいということです。

大杉栄 『鎖工場』 (青空文庫でダウンロードできます)。

なまけものに飛躍はない。なまけものは歴史を創らない。俺は再び俺のまわりを見た。ほとんどなまけものばかりだ。鎖を造ることと、それを自分のからだに巻きつけることだけには、すなわち他人の脳髄によって左右せられることだけには、せっせと働いているが、自分の脳髄によって自分を働かしているものは、ほとんど皆無である。こんな奴等をいくら大勢集めたって、何の飛躍ができよう、何の創造ができよう。俺はもう衆愚には絶望した。俺の希望は、ただ俺の上にかかった。自我の能力と権威とを自覚し、多少の自己革命を経、さらに自己拡大のために奮闘努力する、極小の少数者の上にのみかかった。

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過去のブログから ~ ハクスリーの『すばらしい新世界』
http://ibg-kodomo.blogspot.jp/2010/09/blog-post_10.html

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