2010年6月3日木曜日

ドラゴンになる話

ibg社内で、「群龍無首」の本来の意味とは?と言う議論になりました。不況の中、社内でこんな話をやっている場合ではないのでしょうが、そこが弊社の良いところです(痩我慢ですねぇ、、、)。

辞書をひくと、「群龍無首」とは烏合の衆、つまり、一群の人の中に頭となる人がいない例えだと書いてあります。しかし、元々の意味は違うようです。台湾のカブちゃんから、易経の教えを授かりました。易経の中のリーダーに関する記述を教えてもらいました。カブちゃんは、四書五経にも造詣が深いようです。

リーダーの成長過程の6つの段階(龍になぞらえています):

  1. 『潜龍』 高い志を描き、実現のための力を蓄える段階。ただしこの段階の人材はまだ重用してはならないととも言っています。
  2. 『見龍』 基本を修養する段階。原文では「見龍田に在り。大人を見るに利ろし。」とあります。現場で先輩らを見てパクることにより、基礎を学べと言っています。
  3. 『君子終日乾乾』 毎日怠りなく、積極的に物事をすすめていく。自分自身のスタイルを生み出していく。そして毎晩反省する段階。
  4. 『躍龍』 自分の志を達成する一つ手前の段階。実力、経験ともにほぼ十分であるが、淵に退いているかのよう。タイミングを待つ状態。
  5. 『飛龍』 リーダーとして志を達成した段階。
  6. 『亢龍』 達成後、窮まって衰退していく段階。

さらに他の卦にはない特例的なコメントが有り、それが「群龍首なきを見る。吉なり」だそうです。群龍無首とは、上述のような段階を経て成熟したリーダーが集まる強い集団のことを言っているように思われます。本当に強い「龍」の集団であれば、雲の中に自分の首を隠して、組織全体を盛り立てていくと言うことのようです。

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政治家の場合、「志」は極めて重要ですね。英語だと「ambition」です。「志」があるかどうか?中途半端で空想平和主義的な「志」じゃダメですよ。私のような老百姓(ラオパイシン)の「志」ではなく、とてつもなく強力な、国を思うリーダーの「志」です。

日本の政治家がいつまでたっても幼稚なのは、やはり、日本が独立国家じゃないからでしょうね。半分国家のまま65年も経ってしまったのですから。独立国家であるならば、国家経営はもっと苦渋に満ちたもので、複雑怪奇な世界情勢の中で鍛えられるはずです。そうじゃないから、日本の政治家は永遠に幼稚なままなのです。

日本の教育の大きな問題は、知識のつめ込みに教育の比重が置かれている点です。「志」の大小は問わず、詰め込んだ知識の多い少ないばかりを評価対象とする。だから、国のために命をかける本当のリーダーが生まれない。全員がリーダーになる必要はなくても、リーダーが生まれる土壌を考えるべきだと思います。

ibgは「群龍無首」を目指しています(あくまで痩我慢です、、、、)。

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