2010年3月21日日曜日

人生で必要な知恵はどこで学ぶのか?

1969年。今考えるとこの年はすごい年でした。

沖縄返還決定、東大紛争、月面着陸、ウッドストック、新宿西口のフォークソング、金田400勝、三沢高校の太田幸司、ビートルズの「LET IT BE」、ストーンズの「ホンキートンク・ウーマン」、尾崎キヨヒコ、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」、はしだのりひこの「風」、映画「真夜中のカーボーイ」、「明日に向かって撃て!」、「イージーライダー」、「ローズマリーの赤ちゃん」、テレビでは「鬼警部アイアンサイド」、、、。

中学生だった私にとっても人生のターニングポイントでした。大袈裟ではありません。 この年に、映画とか音楽とかいっぱい観たり聞いたりして「人生で必要な知恵は学校で習うのではない!」と勝手に確信した訳です。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(ロバート・フルガム 1990年)という本がありましたが、幼稚園児だと小さすぎて何が何だかよく分かりません。

competitionという単語を「競争」と和訳したのは福沢諭吉です。幕末に翻訳したのですが、当時の日本には競争の概念がなかったのです(または極めて弱かった)。300年近くも鎖国をしていた封建制度の島国ですからね。諭吉が幕府に「競争」の概念を説明したら、「争いはよろしくない」と言われたそうです。やはり、列島の中での相互扶助が前提だったのでしょうね。

戦後65年、日本人は恐らく「自由」も「競争」も本当はよく分からないまま頑張りました。経済が成長し、奇跡の成長、エコノミックアニマルだと揶揄嘲笑されるほど調子がよかった。しかし、1990年代に入り、ソ連の崩壊、東西ドイツの統一、中国の急激な発展とアメリカの没落、世界情勢はがらりと様子が変わってしまった。そして、日本は今に至るこの20年間の世界の変化を読めなかった。

今の日本では、「競争」を否定し社会主義思想を政府が率先して持ち込んでいるかのようです。耳障りのいい言葉に「何かいい事あるかな」と多くの人が騙されてしまいました。 日本列島の中だけの相互扶助に甘んじるのであれば、このままでいいでしょうが、未来を生きる子どもたちのためにも多くの人に覚醒してもらいたいものです。

1969年への郷愁から話が飛躍してしまいましたね。今の日本の政治を見ていると、どうしても左翼単純教条主義である全共闘の学生運動とだぶってしまいました(私は全共闘世代よりもずっ~と若いので関わっていませんよ、、、、)。

写真は、Performance社製のストラトモデルです。ネックが薄いのですが、エボニーのフィンガー・ボードが気に入っています。

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4 件のコメント:

  1. 私は1969年頃といえば翌年の万博の事が一番強く記憶に残っています。今のように海外へ簡単に行ける時代ではなかったので、小学生の私は大変に興奮しました。今から思えば、可愛いものです。
    馬鹿げた話ですが、その頃、よく街頭で戦争反対を叫ぶ人達がいて、その人たちが『我々はXXの為に闘うぞ』と言うのを聞いて、なぜ戦争に反対しているのに自分達は闘うのか疑問でした。
    競争という言葉には、どうも切磋琢磨から、弱肉強食、足の引っ張り合いまであらゆる意味が混ざっていて、多くの場合、後ろ2つの消極的な事を意図しているように思います。私がCompetitionの意味する事が解ってきたのは、遅いのですが、30代後半にアメリカに来てからです。

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  2. 日本人にとって、本質は限りなく不平等である資本主義は合っていないのかもしれませんね。自虐的ですが、社会主義や社会民主主義は日本人に相応しいのかも知れません。

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  3. 理由は"平等?”を教育で教え込まれてくるからでしょうね。教育が人間の本質を変えてしまう、例でしょうか。

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  4. 日本では大きく誤解されていますが、中国ってアメリカよりも超資本主義で格差社会です。20年数年前、中国共産党は社会主義では立ち行かないと認識したから、共産党独裁は変えずに社会主義から脱却した。

    ところが、日本はこの20年間、戦後の体制、恐らくこれが社会主義的なのでしょうが、その集大成に入っている(愚の骨頂)。日本で言われる失われた10年、20年は経済のことばかりですが、本当は経済よりも、こういった政治的な欠落、つまり、国家的理念の消失のほうが重大ですね。

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