2012年4月6日金曜日

春昼


井の頭公園を抜けて吉祥寺の駅のほうへ歩いて行きました。 

こぼれるような桜の花を見て、どれくらいの人が太宰治の奥さんのようにカエルの卵を連想したでしょうか?  実は、大きな声では言えませんが私はいつもそう思っているのですよ。

『春昼』 太宰治(1939年)

お祭りのまえの日、というものは、清潔で若々しく、しんと緊張していていいものだ。境内は、塵一つとどめず掃き清められていた。
「展覧会の招待日みたいだ。きょう来て、いいことをしたね」。
「あたし、桜を見ていると、蛙の卵の、あのかたまりを思い出して、――」。
家内は、無風流である。
「それは、いけないね。くるしいだろうね」。
「ええ、とても。困ってしまうの。なるべく思い出さないようにしているのですけれど。いちど、でも、あの卵のかたまりを見ちゃったので、――離れないの」。
「僕は、食塩の山を思い出すのだが」これも、あまり風流とは、言えない。

「蛙の卵よりは、いいのね」妹が意見を述べる。
「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの」。
においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。蜜蜂の羽音かも知れない。
四月十一日の春昼。





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