2010年11月7日日曜日

「吾輩は猫である」で今の日本を考える

YouTubeの投稿がきっかけとなって、日本が変わるかも知れませんね。65年もの間、タブーになっていたような議論がYouTubeや2チャンネルを媒体として活発になってきました。日本のTVや新聞メディアの人たちは「現状を真摯に受け止める」のか「遺憾に思う」のか、どちらでしょうか? われわれ大衆は、ますます「事物を疑って取捨を断ずる事(福沢諭吉)」が重要になってきます(http://ibg-kodomo.blogspot.com/2009/12/blog-post_16.html)。

明治維新を跨いで生きた福沢諭吉は勿論ですが、明治の文豪も文学を通じて「国家」を考えました。夏目漱石は、「吾輩は猫である」の登場人物の一人である八木独仙(やぎ どくせん)君に、以下のように発言させています。

「中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔しの日本人の方が余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない」。

「永久満足ができるものじゃない。去ればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通すことが出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ」。

これは、「吾輩」の飼い主で英語教師の珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)君が、隣の中学校の野球部の生徒とボールが自宅の庭に飛んでくることで、もめていることに関して、哲学者である八木独仙君がコメントしたものです。「中学生」って、日本の北や南や西に位置する隣国と同じじゃないですか?おっと、忘れていました。太平洋を挟んでずーっと東にも、小学生のような国がありましたっけ。

今の日本の政治家はどうなっているのでしょうね? 政治家なのに「国家の利益(ナショナルインタレスト)」を考えずに、自分のエゴを全面に押し出すようです。

***

0 件のコメント:

コメントを投稿