夏目漱石の『三四郎』のはじめの部分に、熊本から東京の大学に入るため東京へ向かう三四郎が、汽車の中で髭の男と会話を交わす場面が出てきます。この人は、東京で再会することになる旧制一高英語教師の広田先生です。
漱石は、広田先生に「魂なく日本が発展しても、それは真の発展ではなく、似非であり、日本は滅びる」と言わせたかったのでしょう。漱石の警鐘は、先の大戦で現実となり日本は滅亡寸前まで行きました。その後、敗戦をゼロスタートとして経済成長を最優先し、先進国家の一員になりました。しかし、それはmake-believe(ごっこ)の世界だったのでしょう。現実を直視しない国ごっこが65年も続いてしまった。明治が目指そうとした近代国家さえ未だに出来ていなかったのかも知れませんね。
今の日本の状況を念頭に置いて漱石の『三四郎』を読んで見て下さい。楽しめますよ。
髭の男は、「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが」、「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。
三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。
(中略)
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