2010年4月19日月曜日

人には生まれながらの素質というのがある

素質の差というものは大いにあると思います。

子どもの頃、ビートルズが好きで、私もご多分にもれずギターを手にするきっかけとなりました。元来、努力というものが嫌いで、何事も長続きはしない子どもでした。ギタリストに憧れはするのですが、全く上手くならないうちに何十年も経ってしまいました。

私の大きな勘違いは、「(努力しないくせに)努力すればスーパーギタリストになれる」と思っていたことであります。要するに、素質の問題であることを見ないようにしていたのです。人には生まれつきの素質の差というものがあります。音楽の素質のない私は、いくらやっても、ジミー・ヘンドリックスやスティービー・レイボーンのようには弾けないのです。

今の日本の政治家の皆さん、特に、総理大臣を見ていますと、同じ事を強く感じてしまいます。つまり、生まれながらの素質の問題が強く影響するのだろうと。総理を代表とする昨今の政治家は、あまりにも政治家に相応しくない人ばかりです。努力すればするほど(しているかどうか知りませんよ)、政治家の重みが出てこない。官僚を否定すればするほど政治家自身が官僚に近づいてしまう。政治家が身につけておくべきロゴス(言葉)が足りなすぎる。そして、軽すぎる。

勿論、こうなってしまった原因には、生まれながらの素質に加え、教育システムにも問題があるのでしょうね。60何年も続いた戦後民主主義教育と言われる今の日本の教育システムが、国政を与るようなリーダーを育てる教育になっていないのでしょう。だから、一国のリーダーがワシントン・ポストのコラムニストに差別用語まがいの「loopy」だなんて書かれてしまう。私は、たまに自分のことを「loopy」と右手の人差し指を頭のところでくるくると回しながら同僚のアメリカ人に言ってきたものですから笑っちゃいました。

私はギターの素質がないので(音楽の素質まで否定せずに)、ブルースハープと文庫本を持って上海に旅立つことにします!











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1 件のコメント:

  1. 上海から戻られてからのブログを楽しみにしています。気をつけて。

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