2010年4月6日火曜日

これからは哲学の世界

死ぬ直前まで贅沢な暮しを追及していたら、いつまでも苦しくて仕方がないでしょうね。これは、アメリカ人の同年齢の友人達を見ていると感じることです。彼らの欲望は、より大きな家、より高級な車と果てしがない。私は、贅沢でなくても毎日同じ事を繰り返すことに喜びを見いだせるようになれば、「しめしめ」だと思っています。こう感じるのは私が日本人だからでしょうか?

人類は高齢化し、益々、自然科学で説明できる部分よりも、哲学に依存する部分の方が多くなると思います。哲学? そうです、アリストテレス、ソクラテス、プラトンの哲学です。もっとも彼らは自然科学の分野も哲学で包み込んでいたのでしょうが。とにかく人生の根本原理を考えたんですね。

最近の私は、老犬介護の日々ですが、何年か前に母親の介護を経験しました。

その時に、大病院のお医者さんのやり方では、これからの高齢化社会の医療はダメだなと強く感じました。大病院のお医者さんは、自然科学の範囲で医療を完結することに専念するからです。人生経験豊かな高齢者の頭脳は、自然科学の先端技術で測定可能な範囲よりも、うんと複雑で哲学的なのです。政治だって、マニフェストで測定できるほど単純じゃないですよね?(蛇足でしたが、、、)。

動物には生と死があります。そして、人間は極めて高等な動物です(福沢諭吉の言うところの「万物の霊」です)。そして、死の直前に病気になって死ぬまでは、哲学の世界なのです。自然科学の世界である医療が発達し、人は長生きするようになりました。ところが、自然科学で解決できない哲学の期間が長くなったのです。皮肉なものですね。

学校教育の場では、国際社会への対応を考えた実務的な教育が議論されています。勿論、それも大切なのですが、人間により近い部分の修養はもっと重要だと思います。なるべく若い時に「人間とは?」、「生と死とは?」を考えて自分なりに悩まないとダメですね。悩んで悩んで、そしてタフな精神力(intensity)を形成して行かないと、生き残れないのが世界の現実です。もし、今の日本に身を任せるのであれば、将来のオプションの幅は明らかに狭まります。

2009年、日本の自殺率は世界第6位です。このままだと、自殺率がベラルーシ、リトアニア、ロシア、カザフスタン、ハンガリーを抜いて世界一になる日はそう遠くないかも知れません。

取り留めもなく話題が多岐にわたりましたね、、、、。失礼しました。

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3 件のコメント:

  1. 私は哲学を勉強した事がないのですが、哲学は人間が持てる最大の仮想空間と理解しています。科学で解ききれない宇宙も、哲学の中に存在してしまうから、そう思うのです。

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  2. 私も哲学について勉強したことがなかったのですが、4月から始まったNHKの「ハーバード白熱教室(Justice)を見て、哲学の大切さを認識しました。(良質なTV Programです)

    人間の価値観は、数値ではなく多くの場合無意識的に哲学に支配されています。それを解明するのが哲学だと思います。

    マイケル・サンデル教授の講義は、躍動的で思わず引き込まれます。人に物事を伝えるのが上手で大変参考になります。

    先日、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」の文庫本を読みましたが、主人公(実在の人物)が理不尽な状況でも意志を曲げないという裏には経済計算だけでは計り知れない人間の深さがあると思いました。

    哲学者ジョン・スチュアート・ミルの以下の言葉は深いと思います。
    「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい」

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  3. 私も哲学はよく分かりませんが、人間というのはKPIやマニフェストで計量できるほど単純じゃないと思います。そして、人格を高めるには、できるだけ質の高いネットワークに自分を置くことが有効だと思います。

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