2011年10月12日水曜日

怨望ということ


30年近く前に香港で買ったコーヒー・カップが出てきました。

福沢諭吉は、『学問のすゝめ』十三編で「怨望」について書いています。

欧米の書物をいっぱい翻訳して日本に紹介した福沢諭吉は、英語のenvy(エンヴィ)を「怨望(えんぼう)」と訳したのでしょう。 これは、妬みのことです。福沢諭吉はこれが一番よくないと言っています(凡そ人間に不徳の箇条多しと雖ども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし)。

福沢さんは、「怨望」を「他人と幸せのレベルを比較して、自分のほうが不幸せだと感じたら、自分が幸せになろうと努力するのではなく、他人を不幸に陥れようとして低レベルに平均化すること」と説明しています。

最近のoccupy wall street デモは一種の「
怨望」かも知れません。 アメリカも日本のようになったのでしょうか? アメリカにも「怨望」と言うものはあるのでしょうが、日本ほど強くはないと思います。 大多数のアメリカ人、つまり、中産階級の労働者はデモに無関心かもしれません。 私には今回のデモは、インテリゲンチャの「怨望」のような気がしてならないのです。

おっと、インテリゲンチャなんて死語ですね。 30年近く前、コーヒー・カップを買った頃はまだ普通に使っていたのですが、、、。

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