2020年4月12日日曜日

パラダイムシフト

誰もいない大学のキャンパス

遠隔教育コロナで導入加速へ 学校側に課題、7割意向なし
時事ドットコム202004060712

政府は、新型コロナウイルスの影響を踏まえ、インターネットを使った遠隔教育の導入を加速させる方針だ。3日の未来投資会議では、家庭学習の環境整備のため安倍晋三首相がノート型パソコン(PC)など情報端末を2023年度までに生徒1人に1台配備する計画の前倒しを表明。ただ、昨年の全国自治体調査で7割強は「実施する意向はない」と回答し、従来慎重だった学校側の体制整備が急務となる(以下略)。  

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本当に必要とされる教育

遠隔教育はツール(手段)の問題です。重要なのはパラダイムシフト後(ウィルス後)の世界では、新しい教育が必要となるということでしょう。ほぼ全ての問題は結局は一人ひとりの倫理観にゆだねられる。管理社会から自己統治(自律)にシフトする。全体の中での自己の在り方を模索するような能力が必要となる。そういった教育はいかにあるべきかを議論してもらいたいですね。世界観(古い世界観とこれからの世界観)も人生観も死生観も持ち合わせていない、一つの専門知識しか持っていない有識者がテレビで毎日のように解説したり、コロナ以前から教師や官僚として成り立っていることが危険なことなのです。テレワークになろうが遠隔教育になろうが、「VISION(観)」のない「知」の積み込みでは失敗の繰り返しになるでしょう。

短期的な問題ではない

今回のウィルスの件で世界は、つまり人類は結束することができるか? 連帯することができるか? 地球の住民としての運命共同体になれるか? それとも500年くらい待たないとジョン・レノンのイマジンの世界にはならないのか? おそらく日本の教育に必要な視点・視野・視座ってそういったことなのだろうと思います。要するに、教育の問題とはテレビ会議のようなツールの問題ではなく個人の問題でもなく、大げさにいうと地球の運命にかかわることで、少なくとも自分の属する国家の問題なのです。

ウイルス後の世界 ~ パラダイムシフト

「不条理などの危機的状況を乗り越えるには反抗による連帯が必要である」と言ったのはカミュです。反抗することなく戦後民主主義教育で従順(submissive)に大人になってしまった現代の日本人は、危機的状況で連帯できず足の引っ張り合いに終始する。それは政治家も知識人もメディアも全て同じ、、、日本人を辞めたくなってしまいます。また、「志」が自分が働くモチベーション(動機づけ)になっていないから、最終的に自分が責任を取る考えなんてない。結果、誰も責任をとらずに時間が経ってしまいます。

ウィルス後の世界は「関係」の集合体になると思います。コンピュータソフトウェアでいうと、データー・ベースが昔の階層構造から今の関係データー・ベースに変わったことによく似ています。権威や覇権がない、つまり「中心」のない世界になるのではないでしょうか? それは脱グローバル化でもあります。しかし、世界が全くバラバラになるのではなく、普遍的から相対的な関係になると思います。是々非々で手を握り合う。それが実行可能な前提は自己があることで、アイデンティティがしっかりしていることです。インターブリッジの能力(コミュニケーション、バランス感覚 等)が重要となる。価値を共有する部分で他者と共に将来をcon-figure する(一緒に姿作る)。自己がないと理解共同体は実現できません。将来をconfigure することはできないのです(国家でも企業でも個人でも同じ)。

これを良い機会として現行の義務教育を見直し、これからの世界に対応できる教育をしてはどうでしょうか?

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2020年4月7日火曜日

英エリザベス女王の演説

団結し打ち勝つ” 英エリザベス女王が異例のテレビ演説

新型コロナウイルスによる感染拡大が続く中、イギリスのエリザベス女王が異例のテレビ演説を行い、「私たちが団結し、強い意思を持ち続ければ、打ち勝つことができる」と国民に連帯を呼びかけました。

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エリザベス女王のスピイチ

さすが大英帝国(common-wealth)の女王様です。品があり立派でした。イギリスはいつも歴史の中で黒幕ですが、アメリカ大統領には真似のできないことです。不条理の克服には「国家(連邦)意識、民族意識」が重要であることを理解されていると思いました。だから「連帯」できると。

日本の現状はどうでしょうか?

日本はどうでしょう。TVをはじめとするメディアは最悪ですね。センセーショナルであればそれでいいのか? 足の引っ張り合いや感情的なコメントばかりです。国家というものを理解していない、要するに日本没落の根本原因が明らかになったのでしょう。

ウィルス後の世界

EUの無力さや各国際機関の機能不全 等々、脱グローバルの傾向は継続するでしょう。脱中心化の中で他者(他国)との動的で柔軟なコミュニケーションが益々要求されることになります。経済の問題は勿論ですが、地球環境や異文化理解の問題、個と公共のバランス、教育問題や文明の質(科学への警戒) 等々、様々な問題がウィルス以前から存在しています。 人類は世界全体で成立する問題意識を共有することができるか? それとも、後500年かかるか?

さて、日本の将来は?

なんだか日本人が苦手は方向(方向性の見えない問題の議論と方針決定)に向かっているように思われます。昭和の敗戦以降、自己欺瞞に突っ走りオストリッチポリシーから脱しようとしない日本はウィルスを契機に覚醒し、日本の未来を形作って行くことができるでしょうか?


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2020年4月1日水曜日

自宅にこもってラーメン三連発!



花椒いっぱいの担々麺

普通の醤油ラーメン


野菜がいっぱいのタンメン

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2020年3月31日火曜日

これからのリーダーのありかた

朝の散歩

ウィルスの問題にメドがついたら、一番最初に見直さなければならないのはリーダーシップのありかたでしょう。日本のリーダーのコミュニケーションは静的(スタティック)です。それは、専門分野に分けて官僚に分析させるやり方で、動的(ダイナミック)じゃない。

中心となるスーパーパワーのないこれからの世界はウィルスのように加速度的に変化していきます。近代国家のように普遍的じゃないのです。状況を見ながら他者との距離を測りダイナミックで柔軟性のあるコミュニケーションが要求されます。当然、時宜を得た応答が肝要です。

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2020年3月29日日曜日

Social Distance

Social Distance
公共の場での他者との距離

アメリカ型の国家は人間優位であり物質優位の世界観や人間観を持っています。しかし、アメリカもここ半世紀近く悩み続けています。自由主義が行き過ぎて人は自分勝手に振る舞い民主主義の平等性と個人の自由の折り合いがつかなくなったのです。

昔の日本人は自然を敬いました。ところが今の日本は明治維新から欧米型の近代国家を追い続け、いつのまにか自然を敬った日本人らしさを捨て去っていた。欧米は近代国家以後の国家のあり方に悩み続け、グローバル化と脱グローバル化を繰り返してきました(戦争でリセットしながら、、、)。

日本はいまだに強い中心が存在する旧い世界観の中でプカプカと波間で漂っているかのようです。昭和の敗戦後の日本は個人や国家のアイデンティティが希薄です。だから、中心を失った世界の中で自分と他者との距離感をとるのが益々難しくなっているのです。

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2020年3月27日金曜日

反抗的人間

四国の友人から愛媛の柑橘類が届きました。

カミュは『反抗的人間』(1951年)の中で、全体主義への警戒は個々の生に立脚すべきで、生に根差した反抗が連帯を生むと言っています。

われ反抗す、ゆえにわれらあり。

自分の中学から高校にかけてを振り返ると、体制への反抗が学校という不条理(自分にとっての)の前に挫折を繰り返してきたと思います。それが行われるたびに反抗を共有する友達ができました。恐らく、社会人になってからも同じです。とにかく何かに反抗していた。

歳をとっていくにつれて一緒に反抗した彼等との共同性が自分の中で肯定されます。それは彼等との会話が継続しているからです。60数年生きてふり返ってみると、なかなかいい人生だと思う。

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2020年2月24日月曜日

submissive(服従的) ということ

全くsubmissiveじゃないチャーリー

第92回アカデミー賞の「メイクアップ・ヘアスタイリング賞」をカズ・ヒロさんが受賞しました。カズ・ヒロさんは昨年に米国の市民権を取得し、現在は日本国籍ではなくアメリカ国籍でlす。

授賞にあたり日本の記者から「日本での経験が受賞に生きたか」と問われ、こう答えた。

"Sorry to say but I left Japan, and I became American because I got tired of this culture, too submissive, and so hard to make a dream come true. So that's why I'm living here. Sorry".

これを日本のメディアの多くは、以下のように紹介した。

「こう言うのは申し訳ないのだが、私は日本を去って米国人になった。(日本の)文化が嫌になってしまい、夢をかなえるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ごめんなさい」(朝日新聞デジタルより) 。

この日本語訳は「too submissive」を翻訳していません。

武漢ウィルスの政府対応やメディアを見ても too submissive だと感じます。日本を飛び出して海外で活躍する日本人は多かれ少なかれ submissive に対する反抗がスタートじゃないでしょうか? それが若い人たちの共通の価値観になり連帯感が大きくなって日本が変わって欲しいと思います(文化を壊すと言うのではなく)。

敗戦後アメリカの占領政策が120%思い通りに行ったわけですが、それには日本人の too submissive な態度があったわけです。いま、全米が注目するアカデミー賞の受賞舞台でのカズ・ヒロさんの発言は敗戦後の日本の「国家なき民主主義」の末路をついています。

魂なき労働は人生を窒息死させる」と言ったのはカミュでした。

カミュは submissive に対する嫌悪感がモチベーションでした。カミュは戦争や当時の体制に反抗した(レジスタンス)のだろうと思う。それが小説を書くモチベーションになりました。

我慢できないという感情を共有し連帯感が生まれる。今の日本社会には非常に希薄なものです。恐らく受験システムのおかげで中学から高校にかけて反抗さえする暇(閑暇=レジャー)が無かったのでしょう。中学時代の反抗がないと大人になっても submissive で虚無的な人生になるのだと思います。中高生の時の反抗(キライと思った感情)が価値観、つまり自己を形成する。決して、学校や先生が自己を形成するのじゃない。

「反抗」というと大げさになるから違和感くらいでいいでしょう。例えば、中学の英語の授業に違和感を感じたら自分で納得のいく方法を試行錯誤すればいい。同じように感じる仲間と連帯が生まれる。そうやって自己が形成されていくのだと思います。それは自分の行動範囲が拡がる中学時代です。私の中学の頃は学校という体制に対する幼稚な反抗だったのですが。。。でも、それが60を過ぎても続いています。

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