2026年3月21日土曜日

日本は、2000年代のニューヨークに似てきた

 


私がアメリカでの暮らしを引き払い、日本へ帰国したのは2009年の夏でした。ニューヨークへ赴任した1989年から数えると、もう三十数年の歳月が流れました。

2025年の現在、武蔵野市で暮らす身として、街を歩いていると、三十数年前のNYの空気が胸の中でよみがえることがあります。もちろん、武蔵野はマンハッタンのように摩天楼が立ち並ぶわけではありません。しかし、物価の上昇、税・社会保険料の負担増、外国人労働者が支えるサービス産業、そして“中間層の薄まり”の気配――。こうした「じわじわ来る変化」が、どこか既視感を伴って迫ってくるのです。
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吉祥寺駅前 サンロード

NYで見た「二つの消失」──中間層とWASP
1989年のNYには、まだ街のどこかに「中間層の気配」が残っていました。しかし2000年代に入る頃、その中間層は砂がこぼれるように消えていきました。

そしてもう一つ、はっきりと消えたものがあります。それは、WASP――白人アングロサクソン・プロテスタントの富裕層です。NY郊外の街々に漂っていた“古き良きアメリカの残り香”(我々よそ者にとっては非常に排他的で、どこかsnobbishな嫌な世界)は、気づけばどこにも存在していませんでした。

代わって街を支えるようになったのは、多様な移民コミュニティと、金融・法律・メディアなどで強い影響力を持つユダヤ系コミュニティ(ディアスポラと言われる人たち)でした。NYの「力の中心」が気づかぬうちに入れ替わり、街の顔つきがまったく違うものへと変貌していったのです。

マンハッタンから黒人が消え、武蔵野から“余裕”が消える?

もう一つ、当時強く感じていた変化があります。それは、マンハッタンから黒人がいなくなったことです。彼らは家賃や食料品の高騰に押し出されるように、どんどん郊外へ追いやられていきました。

同じ現象が、いまの日本で静かに起こっています。武蔵野で黒人が消えたわけではありませんが、感じるのは「街の余裕」が消えていくような窮屈さです。

・物価は上がる
・税金も社会保険料も上がる
・所得は上がらない
・若い世代には貯蓄も結婚も子育ても重荷
・外国人の急増

この「余裕の消失」は、いつかNYを飲み込んでいった社会変容の前兆によく似ています。

日米物価比較:数字で見れば、日本は“安い国”…のはずだった



アメリカの物価は日本の1.2〜1.5倍。都市部ではそれ以上です。肌感覚では数倍から5倍ということも珍しくありません。レストランで食事をすれば一日100〜150ドルは覚悟。家賃は月40万円を超えるのも珍しくなく、NY市では60万円を超えます。 

ただしアメリカには「所得の高さ」という裏付けがあります。平均年収は日本の3倍。しかし、あの収入を得るには、日本のビジネスパーソンの“3倍の精神力と体力”が必要なことも事実です。高収入になればなるほど、クビになるリスクが上がるのです。

日本は長らく“物価が安い国”と信じられてきました。しかし2025年、状況は明らかに変わりました。食料品のインフレ率は8%超。米や魚や肉は、感覚的にはコロナ前の“倍”の値段です。価格設定に品質(人の対応も含めて)が追い付いていない状況です。これでは、年金生活者が苦しくなるのは当然で、若い人は――言うまでもありません。

税金と社会保険料:日本はいつの間にか“消費できない国”に



多くの人が気づき始めています。「日本の税金は、もしかするとアメリカより高いのでは?」と。

実際、国民負担率は45.8%に達しました。所得の半分近くが、税と社会保険料として天に召されていくわけです。

もちろん、日本は医療制度がしっかりしています。アメリカのように救急車に乗るだけで破産しかねない世界ではありません。しかし、年金受給額は物価ほどは増えず、“実質的な目減り”が起きています。

「年金だけで余裕のある暮らし」――これはすでに、ドラマの中でしか見かけないファンタジーになりつつあります。

子育て世代はどう生きるのか?



東京のサラリーマンが年収1000万円を超えることは稀です。しかし食費は2倍、税金は増税、保育料・習い事・住宅ローンは天井知らず。

若い世代は、どうやって生活設計を立てれば良いのでしょうか。私がもし20代だったら、「子育ては人生の冒険」ではなく「子育ては経済的ギャンブル」と感じてしまいそうです。

与野党の“足引っ張り合戦”はもう終わりにしませんか?



本来なら、こういう時こそ政治の出番です。しかし現実はどうでしょう。
与党:改革はしたいが、票を失いたくない
野党:批判はするが、現実的な提案はしない

そして国民だけが、じわじわと生活が苦しくなる。これは、アメリカの二極化と同じ構図です。

与野党は危機意識がなさすぎる。「日本が沈むかどうか」という一点で、そろそろ協力した方がいいのではないかと。“揚げ足取り政治”は、もはや国益どころか国民生活すら守れません。

日本はどこへ向かうのか



1989年から2009年のNYで見たのは、中間層の消失と、社会構造の静かな地殻変動でした。2025年の日本にも、その影が迫っています。もちろん、日本はアメリカではありません。文化も、制度も、価値観も異なります。

しかし――格差の拡大、生活の圧迫感、社会の余裕の喪失という点では、日本はNYの2000年代と、どこか似た空気をまとい始めているように私には感じられます。

大胆な政策転換と、政治的協力。そして国としての方向性の再定義。それを怠れば、20年前にNYで起きた“失われた中間層”のドラマを、今度は日本が自分自身で演じることになるかもしれません。

私は、そんな未来だけは避けたいと願っています。「安い日本」ではなく、「誇りある魅力的な日本」に戻るために。

日本にはまだ底力があると、私は信じています。

***

2026年3月20日金曜日

生成AIは「便利な同僚」か「おしゃべりな隣人」か ― 日本企業が見落としがちな守秘義務のリスク

 
それは“考えている”のか、それとも“真似ている”だけなのか。


生成AIの活用によって生産性が向上する――

そんな期待のもと、多くの企業が前向きに導入を進めているように見えます(定量的な裏付けがあるわけではありませんが)。

ただ一方で、少し気になる点があります。

日本人の、熱しやすく冷めやすい性質――と言ってしまうとご無礼かもしれませんが、ツールの本質的なリスクよりも、「便利さ」だけが先行しているようにも感じられるのです。

生成AIは「外部者」である

生成AIは確かに便利なツールです。

しかし同時に、それは「守秘義務を壊す可能性のある外部者」でもあります。

この認識が、日本ではまだ十分に共有されていないのではないでしょうか。

とりわけ、公開型のAIに対して機密情報や法務関連情報を入力した場合、それが「第三者への開示」と見なされる可能性がある――この点は、企業の危機管理として看過できない問題です。

すでに始まっている「法的判断」

この問題は、すでに海外では現実のものになり始めています。

ある事件では、捜査対象となった人物が公開AIを使って文書を作成し、それを弁護士と共有しました。本人は「AIとのやり取りも弁護士との秘密に準じるのではないか」と主張しましたが、裁判所の判断は明確でした。

――それは守られない。

理由はシンプルです。

AIは弁護士でもなければ、その代理人でもない。そして公開AIに入力した時点で、その情報は「第三者に渡った」と見なされる可能性がある、という判断です。

つまり、機密情報をAIに入れた瞬間に、守られていたはずの情報が「守られないもの」に変わることがある。

なかなかインパクトのある話です。

一方で、AI利用状況の全面開示を求めた請求が「範囲が広すぎる」として退けられたケースもあります。ただし、これはあくまで限定的な判断に過ぎません。

結局のところ、現時点で言えるのはこういうことです。

AIは使っただけで問題になるわけではない。
しかし、使い方を誤れば、簡単に問題になる。

「猿の惑星」という比喩

ここで思い出すのが、ピエール・ブールの『猿の惑星』です。

作中にはこんな印象的なやり取りがあります。

猿は高度な模倣能力を持つが、理性的な思考を伴うわけではない

さらに「ape」という言葉には、「真似する」という意味があるとも語られます。

この指摘は、妙に現代的です。

生成AIは、膨大なデータをもとに「それらしい答え」を返します。
しかしそれは、本当に「考えている」と言えるのでしょうか。
それとも、極めて高度な「模倣」に過ぎないのか。

もし後者だとすれば、私たちは「よくできた模倣装置」に対して、必要以上に信頼を置いていることになります。

日本企業に起きていること

この問題は、決して他人事ではありません。

多くの職場で、すでに社員はAIを使っています。
社内資料の作成、契約書の要約、議事録の整理――理由は単純で、便利だからです。

しかしその裏側で、こんなことも起きています。

いわゆる「シャドーIT」です。

会社が正式に認めたツールではなく、個人のアカウントでAIを使う。
そしてそこに、うっかり機密情報を入力してしまう。

もしそれが、法務上の助言や社内調査、あるいは将来の訴訟に関わる内容だったとしたら――
後から開示を求められる可能性は、十分にあります。

「同じAIではない」という重要な前提

ここで重要なのは、すべてのAIが同じではない、という点です。

一般に公開されているAIと、企業向けに契約されたAIでは、データの扱いが大きく異なります。後者は適切に設定すれば機密性を保てる場合もありますが、前者はそうとは限りません。

この違いを理解していないと、「便利なツール」が一転してリスクになります。

リスクは必ず「利用される」

少し現実的すぎる見方をすれば――
この構造を逆手に取る動きも、いずれ確実に出てきます。

AIへの入力情報や運用の不備を材料にして、企業責任を問う。
あるいは、それをビジネスにする。

技術が普及すれば、その隙間を突く人間も必ず現れる。
これは歴史的に繰り返されてきたことです。

いわば、終わりのないイタチごっこです。

では、どうするか

対策は、実はそれほど難しい話ではありません。
  • 自分たちが何を使っているのかを把握する
  • 何を入力してよいのか、ルールを明確にする
  • AIを「単なるソフト」と考えない
少し乱暴に言えば、こういうことです。

AIは「便利な同僚」であると同時に、「おしゃべりな隣人」でもある。
何を話してもよい相手ではない。

最後に

この問題は、単なるITリスクではありません。

「知性のように見えるもの」とどう付き合うか――
もっと根源的な問いでもあります。

『猿の惑星』が投げかけた問いは、実はまだ終わっていないのかもしれません。

便利さは、しばしば油断とセットでやってきます。

そのことだけは、忘れないほうがよさそうです。

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2026年3月19日木曜日

トランプという交渉スタイル ― 英国が理解し、日本が理解していないこと

 

トランプタワーと 590 Madison ビルの間の Public Space
(ネットの拾い画像)

私はアメリカで仕事をしていた頃、1989年から1993年の期間は、マンハッタンの 590 Madison Avenue にオフィスがありました。このビルはトランプタワーに隣接しており、両者は「バンブーガーデン」と呼ばれるパブリックスペースを共有していました。特別にトランプ氏に関心を持っていたわけではありませんが、ニューヨークで仕事をしていると、彼の噂は自然と耳に入ってきました。

それから30年以上が経ち、ドナルド・トランプは再びアメリカ政治の中心に戻りました。そして2026年の今、世界の多くの国が改めて彼との向き合い方を考えています。

数年前、トランプ氏が英国を訪問した際、BBCの記事を読んで興味深い印象を持ったことがあります。

テーマは不法移民問題でした。

イギリスでは近年、小型ボートによる海峡横断の不法入国が急増し、社会問題になっています。英国政府はフランスとの返還協定など穏健な対応を模索していましたが、トランプ氏は「軍を投入してでも止めるべきだ」と強硬な姿勢を示しました。

彼の言葉は常に極端に聞こえます。
しかし、その背後には一つの一貫した考え方があります。

トランプ氏は政治家というより、不動産ディベロッパーの交渉スタイルで世界を見ているのです。

まず強い主張をぶつけ、議論の基準点を一気に引き上げる。そのうえで相手の反応を見ながらディールを組み立てていく。心理学では「アンカリング」と説明されることもありますが、実際にはもっと土着的なものです。ニューヨークの不動産業界で鍛えられた交渉の作法と言ったほうが近いでしょう。

トランプ氏にとって “Make America Great Again” とは単なる政治スローガンではありません。アメリカという国家の「ブランド価値」を回復するという意味を持っています。

国家の威信が弱まれば、外交交渉でも不利になります。
ブランド価値が下がれば、国の資産価値も下がる。
彼の政治思想は、この非常にビジネス的な発想から組み立てられているように見えます。

興味深いのは、英国の対応です。

かつて英国はアメリカをどこか冷ややかに見ていた印象がありました。
しかし近年の英国外交を見ると、トランプのような政治スタイルに対しても、現実的な礼節を保ちながら対応しているように見えます。

英国にはロイヤルファミリーという強力な国家ブランドがあります。
長い歴史と象徴的権威を背景に、相手の政治スタイルに飲み込まれずに関係を保つ術を知っているのです。

では、日本はどうでしょうか。

日本もまた、世界でも例外的な歴史を持つ国です(イギリス以上に)。
皇室を中心とする2000年以上の伝統は、日本の最大のブランド価値と言えるでしょう。

しかし外交の現場で、それを戦略として意識しているようにはあまり見えません。むしろ日本の議論は、経済合理性や国内政治の都合に偏りがちです。

現在、日本は人口減少と労働力不足を背景に外国人労働者の受け入れを拡大しています。しかし国境管理や制度設計は、欧米諸国が経験してきた社会的摩擦を十分に踏まえているとは言い難い状況です。

私は20年間アメリカに住み、愛犬を三度日米間で移動させました。
日本は狂犬病ゼロの国として動物検疫は非常に厳格で、老犬を三か月も成田空港に係留させた経験があります。

ところが、人に対する入国制度や永住権の扱いは驚くほど緩い。一貫した哲学が見えにくい。この落差には今でも強い違和感を覚えます。

国家の秩序を守るという意味では、本来どちらも同じ問題のはずです。これは外国人の受け入れを否定する話ではなく、国家としての一貫したルール設計の問題だと思っています。

本日、高市総理大臣が訪米しトランプ氏と会談する予定になっています。
そこで求められるのは、単なる外交儀礼ではなく、トランプという政治スタイルを理解したうえでの交渉でしょう。

強い主張の背後にある論理を読み取り、日本自身の国家ブランドをどう位置づけるのか。その視点がなければ、交渉は単なる力関係の話になってしまいます。

英国が現実主義に転じたように、日本もまた理想論だけではなく、国家というものの重さをもう一度考える時期に来ているのかもしれません。

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2026年3月18日水曜日

「西洋の知と東洋の心 — noteで出会った二つの知性」

 龍安寺石庭

東洋では「15」は「完全」を象徴する数字ですが、この庭ではどの角度から見ても必ず1個が隠れ、14個しか見えないように設計されています。これは「人間は不完全であり、常に足りないものを自覚すべき」という禅の教えを象徴していると言われています。

ブログからnoteへ — 書く場所の小さな変化

私は2009年にGoogleのBloggerでこのブログを書き始めました。
気がつけば十数年が過ぎ、今日まで細々とですが書き続けてきました。

長く続けてきた場所ですから、特別な思いがあります。
ブログという形式は、書き手にとって静かな書斎のようなものでもありました。

しかし最近、noteというプラットフォームの存在を知り、2月19日から試しに書き始めてみました。すると、読者の反応がこれまでよりもずっと分かりやすく、書き手としてはなかなか新鮮な体験でした。

もちろん、このブログをすぐにやめるつもりはありません。
ただ、これからは投稿の場を少しずつnoteへ移していくことになるかもしれません。

今日は、そのnoteで読んでいて印象に残った二人の書き手について、少し書いてみたいと思います。

西洋の知で基盤を固め、東洋の心で人生を完成させる

— 二人の書き手に見る、二つの知性 —

noteというプラットフォームには、時折とても興味深い対比が現れます。
同じテーマを書きながら、まったく違う世界観を見せてくれる書き手がいるからです。

私が最近読んでいる二人の書き手も、その典型です。

一人は、日本で社会人経験を積んだ後に渡米し、アメリカ社会の中で長く働いてきた実践者です。ニューヨークでの学生生活と会社員経験を経て、西海岸で事業を立ち上げ、二十年以上にわたりアメリカで生活してきました。

彼の文章の特徴は、とてもアメリカ的なところにあります。
医療費はいくらかかるのか。教育費はいくら必要なのか。老後は日本に戻るべきか、それともアメリカに残るべきか。そうした問いを、制度や数字を用いて非常に具体的に説明していきます。

言い換えれば、彼の文章は「人生の設計図」に近いものです。

アメリカという厳しい社会の中でどう生き残り、どう資産を守り、どう老後を設計するのか。そこにはフロンティア精神にも似た、能動的なエネルギーがあります。

一方、もう一人の書き手の文章は、まったく違う空気をまとっています。

彼もまた長く海外に住み、日米の社会を深く観察してきた人物ですが、その筆致はどこか東洋的です。AIや教育、言語や文化の違いといったテーマを扱いながら、江戸の教育や古典文学、思想史などの視点を織り込み、静かに思索を深めていきます。

前者が「どう動くか」を語る人だとすれば、
後者は「どう在るか」を語る人だと言えるでしょう。

前者は読者に「道具箱」を渡します。
後者は読者の前に「鏡」を置きます。

現実の社会をどう生き抜くか。
あるいは、その社会を通して人間や文明をどう見つめるか。

同じ世界を扱いながら、二人の視線はまったく異なる方向を向いているのです。

しかし、この二人を単なる対立として見るのは少し違うように思います。
むしろ二人の関係は、人生の時間軸の中でつながっているのではないでしょうか。

若い頃、人はまず生き残らなければなりません。
仕事をし、家族を養い、資産を築く必要があります。

この段階では、合理的な知識や制度への理解が不可欠です。
数字を読み、情報を整理し、現実的に判断する力です。

けれども人生がある程度落ち着いたとき、人は次の問いに向き合うことになります。

自分は何を見て生きていくのか。
何を面白いと思い、何を美しいと思うのか。

そのとき必要になるのは、静かに世界を観察するための心の余白かもしれません。

西洋の知は、人生の基盤を作ります。
東洋の心は、人生の意味を与えます。

もしこの二つが結びつくなら、それはとても豊かな人生になるでしょう。

若い頃は合理的に戦い、
やがて静かに世界を観察する。

二人の文章を読み比べていると、そんな一つの人生の軌跡が見えてくるように思えるのです。

西洋の知で基盤を固め、
東洋の心で人生を完成させる。

この二つの知性のあいだに、これからの時代の生き方のヒントがあるのかもしれません。

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2026年3月17日火曜日

桜の季節に考える「武士道はまだ生きているのか」

 
三鷹駅前(玉川上水)

今年も桜の季節がやってきます。


桜を見るたびに思うのですが、人生は不可逆的な変化であるのに対して、四季は循環的変化です。人は一度きりの人生を生きますが、春は毎年必ず戻ってきます。

在原業平

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし


という歌があります。

桜があるからこそ人は心を乱される。しかし、その儚さゆえに、桜は人の心を深く揺さぶるのでしょう。

毎年、桜が咲き始めると、カメラを持って早朝の井の頭公園を歩きます。咲き始めた桜を見ながら、新渡戸稲造のことを思い出します。私の不可逆的な人生の中にある、ささやかな循環的変化です。

新渡戸は『武士道』の中で、武士道を日本社会の精神の象徴として、桜の花にたとえています。

ヨーロッパ人がバラを賞賛するのに対し、日本人は桜を愛する。
バラは華やかで香りも強く、しかし棘を隠し持っています。
それに対して桜は、淡く静かに咲き、そして潔く散ります。

新渡戸は、桜の美しさとは、自然の呼び声に従っていつでも命を手放す覚悟を持つことだと書きました。

新渡戸稲造の『武士道』は、明治三十三年に英語で書かれた本です。彼はベルギーの法学者から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳教育をするのか」と問われました。

そして考えた末、自分に善悪の観念を教えたのは武士道であったことに気づいたのです。

武士道は成文化された宗教ではありません。
しかし、日本人にとっては精神的な支柱のようなものです。

『武士道』は十七章からなり、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己といった徳目が体系的に説明されています。なかでも「義」は武士道の中でもっとも厳格な教えであり、「卑劣な行動ほど忌むべきものはない」とされています。

新渡戸はこれを The Soul of Japan、つまり日本の魂だと表現しました。

私はアメリカで生活していた頃、ユダヤ人社会に接する機会がありました。宗教や民族を強く意識しながら社会が成り立っていることを肌で感じました。

それに比べると、日本人は宗教を表に出すことはほとんどありません。しかし、新渡戸が言うように、日本人には宗教に代わる精神として「大和魂」があったのだと思います。

その精神を端的に表すのが、吉田松陰の有名な歌でしょう。

かくすれば かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ 大和魂


松陰はペリーの黒船に乗り込もうとして捕まり、江戸へ護送される途中でこの歌を詠みました。自分の行動が死につながることを知りながら、それでもやらずにはいられないという覚悟です。

新渡戸は『武士道』の最後の章で、こう問いかけています。

Is Bushido Still Alive ?

武士道はまだ生きているのか。

日本の政治家が、会派離脱や離党を繰り返すときに「やむにやまれぬ行動だ」と言うことがあります。しかし、「やむにやまれぬ」という言葉は、そんなに軽く使ってほしくないと思います。

桜は毎年咲き、毎年散ります。
それは循環する自然の姿です。

しかし、人の人生は一度きりです。

松尾芭蕉

さまざまの事おもひ出す桜かな

と詠みました。

春になると、誰しもいろいろなことを思い出します。

芭蕉の人生哲学は「不易流行」です。変わらないもの(不易)と、時代とともに変わるもの(流行)の両方を見極めることが大切だという考え方です。

国の成長も、人の成長も同じでしょう。
流行ばかり追いかけていては、本当の意味での成長はありません。

春は、一歩踏み出すにはちょうどいい季節です。

人生は不可逆的に進んでいきます。しかし、桜はまた来年も咲きます。

アメリカで Commencement が卒業式を意味するのは、この言葉が「始まり」を意味するからです。学業の終了は、新しい人生の始まりでもあるのです。

日本人こそ、春は commencement です。

桜を見ながら、日本人としての The Soul of Japan を、もう一度思い出してみてもいいのではないでしょうか。

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2026年3月16日月曜日

キャリアとは何か ― パンくずとトレードオフでできている

 
ROAトレードオフ


アメリカで働いていた頃、キャリアの考え方が日本とはずいぶん違うことに気づきました。


日本では、まず「どの会社に入ったか」がキャリアの出発点になります。いわば会社が主語です。ところがアメリカでは、主語はあくまで個人です。会社は自分のキャリアを実現するための一つの舞台にすぎません。どちらが正しいという話ではありませんが、この違いは思った以上に大きい。

キャリアというものを、童話『ヘンゼルとグレーテル』に出てくるパンくずに例えて考えるということを聞いたことがあります。二人は森で迷わないように、歩きながらパンくずを落としていきました。英語ではこのパンくずを breadcrumb と呼び、キャリアの道筋を示す比喩としても使われます。

人は後になって振り返ったときに、自分の歩いてきた道が見えるものです。どんな仕事を選び、どんな経験をし、どんな人と出会ったのか。その小さな選択の積み重ねが、一つの道筋になっていきます。

キャリアとは単なる職歴ではありません。

人がどんな仕事を選び、どんな経験をし、どんな人と出会ってきたのか。その積み重ねが、その人の人生そのものになるのだと思います。

日本では、会社に入ること自体がキャリアの中心になります。営業になるのか経理になるのか、本人が決めるわけではなく、組織の中で役割が決まる。高度成長期にはそれでよかったのかもしれません。しかし今の時代、その構造だけで人生を預けるのは少し危うい気がします。

私は、キャリアとは「会社に合わせて生きること」ではなく、「人生の中に会社をどう位置づけるか」だと考えています。極めて当たり前のことだと思います。会社は人生の重要な舞台ではありますが、それが人生そのものではありません。家庭や地域社会、あるいは自分の教養や人間関係も含めて、すべてがキャリアの一部です。

そのキャリアを考えるとき、避けて通れないのが「トレードオフ」です。人は欲しいものをすべて手に入れることはできません。何かを選べば、別の何かを諦めることになります。

例えば、海外での経験を取るのか、日本での安定した就職を取るのか。専門を深めるのか、それとも別の分野に挑戦するのか。ある選択をした瞬間に、別の可能性を手放すことになる。このとき失われた可能性の中で最も価値の高いものを「機会費用」と呼びます。

ビジネスの世界でも同じです。経営学では、こうした選択を「トレードオフ」として説明します。

レストランをやるなら、回転率で勝負する立ち食い蕎麦屋にするのか、それとも高付加価値のフランス料理店を目指すのか。どちらでもいいのですが、どちらつかずの曖昧な商売はうまくいきません。

ビジネススクールでは、これを ROAトレードオフとして説明します。
ROA(総資産利益率)は「利益 ÷ 資産」で決まります。利益率を高めるか、回転率を高めるか。多くの場合、この二つはトレードオフの関係にあります。

つまり、高級フレンチのように利益率で勝負するのか、立ち食い蕎麦のように回転率で勝負するのか。戦略はどちらでもいいのですが、中途半端はうまくいかない。

アメリカではこういう意思決定の考え方を、中高生の段階から学校で教わります。日本の会社で働いていると、こうした発想を体系的に教わる機会はあまり多くないように感じます。

キャリアも同じで、自分がどこに軸を置くのかを考える必要があります。

そしてもう一つ重要なのがリスクです。

将来を正確に予測することは誰にもできません。だからこそ、ある程度のリスクを引き受けて意思決定をする必要があります。リスクという言葉は日本では「危険」として語られがちですが、本来は「機会」でもあります。リスクを取らなければリターンも生まれません。

若い頃は専門分野を徹底的に磨くことが大切です。しかし、ある年齢になると、もう一段上の視点が求められます。私はよく「君子不器」という言葉を思い出します。優れた人物は一つの器に閉じ込められない、という意味です。スペシャリストとしての経験を土台に、やがてゼネラリストとして人や組織を見る力が求められるのです。

振り返れば、キャリアは最初から設計図どおりに進むものではありません。むしろ後になって、「あのときの選択が次につながっていた」と気づくことのほうが多い。森の中に落としたパンくずのようなものです。

結局のところ、キャリアとは一生「普請中」なのだと思います。何度も迷い、何度も選び直しながら歩いていくしかない。

最後に思い出すのは、福沢諭吉の言葉です。

「一身独立して一国独立す」。

自分の人生の運転席に座るのは、会社でも政府でもなく、自分自身なのです。

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2026年3月15日日曜日

文学的カーライフ ――黄色い檸檬と、暁の赤



我が家の駐車場は、家を挟んで右と左に分かれています。

右側には、黄色いコペン。
左側には、黒いハリアー。

そして私は、黄色いコペンのことを、ずっとこう呼んできました。

「これは檸檬だ」

もちろん、私の勝手な解釈です。
しかし私には、梶井基次郎のあの小説は、こう読めるのです。

近代化の勢いに精神が追いつかなかった時代。
その鬱屈を、丸善の本の上に置かれた「黄色い檸檬」で爆発させた。

もちろん爆発はしません。
しかし主人公の心の中では、確かに爆発している。

だから私にとって、黄色いコペンは
少しばかりの反抗の象徴なのです。

その感じは、芥川龍之介が
『ある阿呆の一生』で書いた

本屋の二階は洋書、一階は日本の本

という違和感や、
彼が晩年に残した「ぼんやりとした不安」と、
どこか通じるものがある気がします。

だから私にとって、黄色いコペンは
ちょっとした反抗の象徴
なのです。

日本から世界への小さな爆弾。



人生の終盤の色とは、何でしょう。

私は、それが「赤」だと思っています。

還暦の赤ではなく、
むしろ古希の赤。

頭に浮かんだのは、三島由紀夫の
『豊饒の海』、とくに『暁の寺』でした。

暁とは、夜が終わり、新しい太陽が生まれる瞬間。
そのとき空は、鮮烈な赤に染まります。

三島はこの四部作で、
魂が姿を変えながら生き続ける輪廻を描きました。

私のカーライフも、
どこかそれに似ている気がするのです。

ポルシェもありました。
BMWもありました。
アウディやボルボ、アメリカの車にも乗りました。

欧州もアメリカも一通り巡って、
最後に帰ってくるのが、日本の車。

それが、赤いクラウンです。

「いつかはクラウン」
そんな宣伝文句も、昔ありましたね。

外車の魂が巡り巡って、
日本の技術の中に輪廻して帰ってきたような気がするのです。

もちろん合理性はありません。

古希の年金生活者に、車が二台ある合理性など、
まったくない。

それでも想像してみてください。

右の駐車場には、梶井基次郎の檸檬。
左の駐車場には、三島由紀夫の暁。

黄色と赤が、家を挟んで並んでいる。

若い頃の反抗の色と、
人生の終盤の色。

もしその景色が実現したなら、
私の長いカーライフは、

ほんの少しだけ
文学的に完結する気がするのです。

さて、問題はただ一つ。
妻が、この赤を許してくれるかどうかです!


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2026年3月14日土曜日

自律的キャリア形成は本当に可能なのか

 
キャリアの分岐点。あなたはどちらの道を選びますか?

最近、人材育成の分野でよく耳にする言葉の一つに「自律的キャリア形成の支援」があります。かつてのように会社がキャリアのレールを敷くのではなく、社員一人ひとりが自分の将来を主体的に設計し、会社はそれを支援する。そうした関係がエンゲージメントを高め、企業と個人の双方に利益をもたらすという考え方だそうです。

理念としてはもっともらしく聞こえます。実際、欧米の企業ではジョブ・ポスティング制度やキャリア面談、リスキリング支援などが整備され、個人が主体的にキャリアを選択する仕組みが広がっています。しかし、この考え方がそのまま日本社会に根付くのかと問われると、私は少し疑問を感じます。

なぜなら、日本の教育環境と社会構造は、そもそも自律的なキャリア形成を前提としていないからです。日本人の多くは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そして就職と、ほぼ一貫して「用意されたレール」の上を歩んできました。自分で道を選ぶというより、制度の中で与えられた選択肢を選び続けてきたと言った方が正確でしょう。

私は十年ほど前の年末に、コンサルティングという仕事についてブログに書いたことがあります。コンサルティングの世界では、プロジェクトのことを「エンゲージメント(engagement)」と呼びます。仕事は一人ではできません。むしろ、ジャズやブルースのジャム・セッションのように、他者との関わりの中で価値が生まれるものです。そこで問われるのは、「どのように参加するか」という姿勢です。

フランスの哲学者サルトルは、人間は「アンガジュマン(engagement)」、すなわち関与の中で生きている存在だと言いました。私の理解では、それは「人は一人では生きられない」という意味です。そして同時に、人は主体的に世界に参加する責任を負っている、ということでもあるのでしょう。

ところが、日本の組織ではこの「参加」がしばしば形骸化します。ガバナンスやコンプライアンスの名のもとに監視が強まり、人は言われたことをこなすことに忙殺されます。それは一見すると秩序ある組織運営のように見えますが、別の見方をすれば、主体的な関与、すなわちエンゲージメントを放棄している状態とも言えます。

そうした環境の中で、突然「自律的にキャリアを設計してください」と言われても、多くの人は戸惑うのではないでしょうか。主体的に生きる訓練を受けてこなかった人にとって、それは簡単なことではありません。

サルトルは、人間は自由であるがゆえに不安を抱える存在だと言いました。自由とは、同時に責任を引き受けることでもあります。自分の人生を自分で選ぶということは、失敗の責任もまた自分で引き受けるということです。だからこそ、人は自由でありながら、自由であることに恐れを感じるのです。

現在の日本で語られている「自律的キャリア形成の支援」は、この自由と責任の問題を十分に議論しないまま制度化されているように見えます。社内公募制度やキャリア面談、リスキリング支援などの仕組みは整いつつあります。しかし、それだけで人が主体的に生きるようになるわけではありません。

本来のエンゲージメントとは、制度によって作られるものではなく、人が自らの意思で世界に関わろうとする姿勢から生まれるものです。言い換えれば、それはキャリアの問題というより、人がどのように人生を生きるかという問いに近いものです。

企業がキャリア支援制度を整えること自体は悪いことではありません。しかし、日本社会の教育や組織文化が変わらない限り、それは表面的な制度改革に終わる可能性もあります。

自律とは、制度が与えてくれるものではありません。本来は、人が自分の人生に責任を持つところから始まるものです。

そして、その覚悟を持った人だけが、本当の意味でキャリアを「形成する」と言えるのではないでしょうか。

***

2026年3月13日金曜日

モチベーションは誰かが与えるものなのか ――日本社会が「やる気」を失った理由

 
今日のハンバーグ。
次はもっと美味しく作ろうと思っています。

最近、モチベーションに関する記事をいくつか読む機会がありました。

「仕事のやる気を高める九つの方法」
「モチベーションを維持する三つの習慣」

そんな類の記事です。

しかし、読めば読むほど、私はある違和感を覚えました。
そもそもモチベーションとは、誰かに与えてもらうものなのでしょうか

モチベーションとインセンティブは違う

まず、言葉を整理しておきたいと思います。

モチベーションとは、個々人の内側から出てくる「やる気」のことです。
「今日はモチベーションが上がらない」と言えば、「今日はやる気が出ない」という意味になります。

一方、インセンティブとは、モチベーションを引き出すための外的な刺激です。
いわば「ご褒美」です。

馬を走らせるためのニンジンのようなものです。

この二つは似ているようで、実はまったく違う概念です。

社会そのものがモチベーション装置になる国

少しアメリカの話になります。

アメリカの子どもたちは、日常の中でホームレスや麻薬中毒者を目にします。
その一方で、成功して大きな家に住み、カッコいい車を何台も持っている大金持ちも見ています。

ホームレスにはなりたくない。
成功して良い暮らしをしたい。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、まさにロールモデルです。

つまり、社会そのものが強いモチベーション装置として働いているのです。

平均化された社会の弱点

日本社会はそれとは対照的です。

極端な貧困も少なければ、桁違いの大金持ちもそれほど目立ちません。
平均化された社会は確かに優しい社会です。

しかし、あまりに平均化が進むと、
人が強い動機を持つ機会も減ってしまうのではないでしょうか。

日本の社会や学校には、モチベーションを刺激する要素が少ないようにも見えます。


日本の組織文化 ――「タコつぼ型」

さらに、日本の組織文化もこの問題に関係しているように思います。

日本の組織は、いわば「タコつぼ型」です。

専門分野を掘り下げることが美徳とされ、他の領域には立ち入らない。
表面上は波風が立たないため「和」が保たれているように見えます。

しかし実態は、無関心の連鎖です。

誰も決断せず、誰も責任を取らない。
こうして組織は、協働するチームではなく、

「並列する個」の集合体

になっていくのです。

承認不足という言葉の誤解

こうした環境の中では、モチベーションも外に求められるようになります。

上司が褒めてくれない。
評価されない。
だからやる気が出ない。

最近の調査でも、従業員が辞める理由の第一位は「承認不足」だそうです。

ここで言われている承認とは、おそらく英語の recognition の訳でしょう。
つまり評価やご褒美です。

しかし、これはインセンティブの話であって、
モチベーションそのものではありません。

モチベーションまで他人に依存するようになれば、
それはかなり危うい状態だと思います。

森鴎外『高瀬舟』の言葉

もう一つ、モチベーションを考えるうえで思い出す言葉があります。

森鴎外の『高瀬舟』です。

人は病があれば治りたいと思い、
食がなければ食べたいと思う。
たくわえがあれば、もっと欲しいと思う。


人間はどこまで行っても「もっと」を求める存在です。

かつてこれはアメリカ人の特性だと言われましたが、
日本もまた四半世紀遅れて同じ方向を追いかけているように見えます。

もっと快適に。
もっと豊かに。
もっと楽しく。

もし「もっと欲しい」だけがモチベーションであるならば、
人は年を取るほど利己的になっていくかもしれません。

だからこそ、「足るを知る」という感覚も必要なのではないでしょうか。

ハンバーグのモチベーション

私は、人間の成長は
問題を解決するプロセスの中で生まれると思っています。

そのプロセスは与えられるものではありません。
自分で見つけ出すものです。

仕事そのものだけではなく、
仕事の機会を見つけることも含めて、自分で創り出していく。

その中で人は成長します。

たとえば――

「次はもっと美味しいハンバーグを作ってやろう。」

そんな小さな動機でも構いません。

自分の中から自然に湧き上がる
「次はもっと良くしたい」という気持ち。

それこそが、本当のモチベーションなのではないでしょうか。

結局、モチベーションとは何か

結局のところ、モチベーションとは
誰かが与えるものではありません。

それは、自分の内側から生まれるものです。

ただし、日本社会には
その内発的なモチベーションを育てにくい環境があることも確かでしょう。

教育も組織も、長いあいだ
「指示を待つ人間」を育ててきました。

その構造が変わらない限り、モチベーションを語る議論は、どうしても表面的なものになってしまうのではないでしょうか。

***

2026年3月12日木曜日

「際」を生きるということ ―― 福沢諭吉 と「迷子になる勇気」

 

私の人生に大きな影響を与えた日本人の一人が、

福沢諭吉です。

福沢の人生を眺めていると、あることに気づきます。どこかで聞いたこともあります。彼は、ある意味で 「際(きわ)」に立って生きた人でした。

福沢諭吉が生きた「際」

福沢の人生を並べてみると、すべてが境界の上にあります。
  • 武士の時代 → 明治国家
  • 漢学 → 蘭学 → 英学
  • 封建社会 → 市民社会
  • 日本 → 西洋
彼の人生は、常に世界の変わり目 にありました。

福沢自身が書いていますが、蘭学を学ぶために長崎へ行ったとき、彼は気づきます。世界はオランダ語ではなく、英語で動いている。

そこで彼は迷わず方向を変えます。大胆な意思決定です。

つまり福沢は、最初から確信を持っていた人ではありません。
むしろ 現実を見て、方向を変え続けた人でした。

「迷子になる勇気」

私は『迷子になる勇気』という本を書きました。
後から考えてみると、この感覚は福沢の思想にかなり近いのではないかと思います。

福沢の有名な言葉があります。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

これは単なる平等論ではありません。

本当の意味は
自分で考えろということです。

そして自分で考えるためには、ときには既存の道を外れる必要があります。

つまり、『迷子になる勇気』です。

日本思想の面白さ

ここで少し面白いことがあります。

西洋の思想は、多くの場合
体系(システム) を作ります。

しかし日本の思想は、むしろ

境界に立つ人から生まれることが多い。
例えば
  • 空海
  • 本居宣長
  • 福沢諭吉
  • 夏目漱石
  • 新渡戸稲造
  • 小林秀雄
この人たちは皆、どちらの世界にも完全には属していません。
だからこそ、世界の矛盾が見えたのだと思います。

私もずいぶん迷子になってきました

自分の人生を振り返ると、
私もまた境界の上を歩いてきたように思います。

言い換えれば、
私もずいぶん迷子になってきました。

仕事や生活の場としては
  • 日本(地方都市と東京)
  • 中国
  • アメリカ
三つの世界を経験しました。

しかも、アメリカのITやコンサルティング会社という
大きな組織の中でです。

これはある意味で
文化の境界線でした。

さらに考えると、私は
  • 技術
  • ビジネス
  • 歴史
  • 思想
そうした分野の境界にも立ってきたと思っています。

境界に立つ人には、一つの特徴があります。

違和感を感じることです。

そしてもう一つあります。

境界に立つ人は、どこにも完全には属さないため、少し孤独になります
授業をサボって喫茶店にいる時のように。

その結果、人は次のどれかを始めます。
  • 研究する
  • 思想を作る
  • 書く
福沢は『学問のすゝめ』を書きました。

私はそんな立派なことができる人間ではありません。
研究ができるほど忍耐力もありません。

ただ、自分の人生で経験してきたこと、考えてきたことを、
忘れてしまう前に少しずつ書き残しているだけです。

小さな檸檬

私が好きな短編があります。

梶井基次郎の『檸檬』です。

この作品もまた、境界の文学です。
  • 都市と個人
  • 近代と感覚
  • 憂鬱と解放
その境界に主人公は立っています。
そして彼は世界を変えようとはしません。

ただ、檸檬という小さな爆弾を置いて立ち去る。

文章を書くこと

私が文章を書き続けている理由も、
たぶんそれに近いのだと思います。

世界を変えることはできません。
あと10年以内に死んでしまう確率が高い。

しかし、日本の歴史や社会、教育や主体性について、
読んだ人が 少しだけ違う角度から考える きっかけになればいい。

それで十分です。

それはきっと、
小さな檸檬だからです。

私の愛車である
黄色のコペンのように。

***

2026年3月11日水曜日

「他人と比べない」は本当に可能か ――日本の教育を変えるために必要なもう一段上の視点

 
日本の教育は「他人と比べるな」と言いながら、
偏差値という序列の中で子どもたちを競わせている。

最近、長年教師を務め、海外の日本人学校でも教え、いまは帰国子女の支援などをされている方の文章を読みました。おそらく私と同じか、少し上の世代の方だと思います。教育の現場を長く見てこられた方らしく、非常に示唆に富む内容でした。

その中で紹介されていたのが、「分断支配(Divide and Rule)」という考え方です。弱い立場の人々を互いに競わせることで、支配する側が統治しやすくする古典的な戦略です。帝国主義の時代には、宗教や階級で住民を分断することがよく行われました。日本の江戸時代の「士農工商」も、似たような構造を持っていたと言われています。

筆者は、現在の日本社会には、この「分断」の仕組みが偏差値という形で広がっているのではないかと指摘していました。誰もが少しでも上へ、少しでも「勝ち組」へと競争することで、社会の枠組みそのものを疑わなくなるというわけです。

この指摘には、私も基本的に賛成です。

そして筆者は、その対抗策として「他人と比べない」という姿勢の大切さを語っています。人はそれぞれ違う環境で生まれ育ち、持っている資質も違うのだから、他人と比較すること自体があまり意味のないことだというのです。

これも、まったくその通りだと思います。

ただ、ここで私は一つだけ言いたいことがあります。

「他人と比べない」という精神論だけでは、日本の教育は変わらないのではないか、ということです。

そもそも日本の子どもたちは、偏差値による序列の中で育っています。入試も就職も、基本的にはその延長線上にあります。「他人と比べるな」と言いながら、「一点でも高い点を取れ」と言われ続ける。これは子どもたちの責任ではありません。明らかに社会の仕組みの問題です。

学校、教師、文部科学省、受験制度、塾産業、そして親。すべてが相互にもたれ合う形で、この仕組みを維持しています。誰もが「仕方がない」と言いながら、結果として何も変えようとしない。ある意味で巨大な既得権益構造になっていると言ってもいいでしょう。日本の政治もよく似ています。

もちろん、教師個人の努力不足や経験不足という問題はあると思います。しかし、それを教師だけの問題にしてしまうと、本質を見失います。問題は教育システムそのものです。

私は長い間、海外で働いてきました。アメリカでも中国でも、多くの若い人たちと仕事をしました。そこで感じたのは、教育の違いというよりも、「主体性」の違いでした。自分で考え、自分で決めるという感覚が、日本の若者よりもずっと強いのです。

その背景には、もちろん社会の構造があります。日本のように、若い頃の試験の結果がその後の人生を大きく左右する社会では、どうしても「失敗しないこと」が優先されます。結果として、挑戦よりも安全な選択をする人が増えてしまうのです。

記事の最後に、帰国生の少年のエピソードが紹介されていました。彼はよく「It is what it is」と言っていたそうです。最初は「現状を受け入れるだけでは何も変わらない」と叱ったそうですが、実は彼の意味は違っていました。「自分に与えられた条件を最大限に生かす」という意味だったのです。

周りに合わせるつもりはない。自分の良心に従って生きる。
まだあどけない顔の少年のその言葉に、筆者は励まされたと書いていました。

私も、その話には希望を感じます。
ただ同時に思うのです。

こういう若者に期待するだけではなく、私たち大人の世代こそ、もう少し教育の構造そのものについて声を上げるべきではないかと。特に教育に従事している大人は。

子どもたちに「他人と比べるな」と言いながら、社会の入口では偏差値による序列を強制する。この矛盾を放置したままでは、日本の教育は変わらないと思います。

戦後80年が過ぎました。そろそろ私たち大人が、教育の仕組みそのものについて本気で考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

***

2026年3月10日火曜日

世界がきな臭いとき、日本はいつも平和である

 

日本列島が、ひょっこりひょうたん島みたいに海を漂えたらいいのだが。

世界情勢も、もう少し気楽に眺められる。


イスラエルがガザを攻撃した、イランが報復するかもしれない、ホルムズ海峡が緊張している――そんなニュースが世界を駆け巡っています。2009年1月の話です。


テレビをつけると、専門家が地図を指しながら解説していますが、正直に言うと、中東の問題はなかなか簡単には理解できません。

無理もありません。
この地域の対立は、近代の政治というより、はるか昔の宗教と歴史にさかのぼる話だからです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。

三つとも同じ源流を持っているのに、聖地をめぐって二千年以上も争い続けています。人間というのは、信じるもののためならどこまでも戦える生き物らしい。宗教というものの力の大きさを思い知らされます。

もっとも、日本人にはこの感覚がなかなか分かりません。
日本には宗教がないわけではありませんが、神社もあればお寺もあるし、クリスマスも祝う。お正月には初詣に行って、結婚式は教会で、葬式は仏式という具合です。世界の宗教の人たちから見たら、かなり不思議な民族でしょう。

だから中東のニュースを見ていると、どうしても距離感があります。
「また戦争をしているのか」と思いながら、その横で日本では、花粉症の話とか、桜の開花予想とか、野球、そんなニュースも同じ調子で流れています。

世界がきな臭くなるほど、日本の空気は妙にのんびりしているように感じるのです。

もちろん、日本はこの問題と無関係ではありません。
石油のほとんどを中東に頼っている以上、ホルムズ海峡が封鎖されれば日本経済は大きな打撃を受けます。遠い国の戦争のように見えても、日本の生活とはしっかりつながっています。

それでも日本人の感覚は、どうも中東の人たちとは違います。
宗教や歴史のために戦争をするという感覚が、どうしても実感として理解しにくいのです。

世界にはアメリカ、中国、ロシアといった大国があり、それぞれが自分の国益を考えて動いています。中東の戦争も、宗教だけでなく、資源や軍事や政治が複雑に絡み合っています。

その中で、日本という国は、なかなか難しい場所にあります。
安全保障ではアメリカに頼り、エネルギーでは中東に頼り、経済では中国とも深く結びついている。どこにも完全には属していないのに、どこからも影響を受けるという立場です。

もし日本列島が、子どものころに見ていた
ひょっこりひょうたん島のように、海の上を自由に移動できる島だったらどうでしょう。

世界がきな臭くなったら、太平洋の真ん中あたりにそっと漂っていく。
情勢が落ち着いたら、またアジアの近くに戻ってくる。

そんな便利な機能が日本列島についていれば、日本人はかなり安心して暮らせるかもしれません。

残念ながら、そういう機能はついていません。
日本列島は動かないし、世界情勢のほうが動いてきます。

結局のところ、日本はこの複雑な世界の中で、どうやって立っていくのかを考え続けるしかありません。

世界がきな臭くなるたびに、ひょうたん島を考えます。
そして同時に思うのです。

それでも今日も日本では、電車は驚く精度で走り、コンビニにはお弁当が並び、夜になるとテレビではバラエティ番組が始まります。

世界は騒がしいのに、日本はいつもどこか平和です。
それが、この国の不思議なところです。

***

2026年3月9日月曜日

通学路の風景と、私の読書遍歴

ナンバープレートはずっと「1984」にしています。


私が子供の頃に住んでいたのは、大阪の下小阪でした。最寄り駅は近鉄の八戸ノ里駅で、家は駅の北側にありました。そこから東大阪市立小阪中学へ通っていました。卒業したのは1970年代の初めのことです。

通学路の途中に、静かな雰囲気の家がありました。大きな庭のある落ち着いた家で、ときどき白髪の老人が庭に水を撒いている姿を見かけました。当時の私は、その人が誰なのか知りません。ただ、通学路の風景の一つとして、その姿を覚えていました。

後になって知ったのですが、その家は作家の司馬遼太郎の自宅でした。現在は司馬遼太郎記念館になっています。中学生の頃、私は知らないうちに、後に国民的作家と呼ばれる人物を通学路で見ていたことになります。

若い頃の私は、司馬遼太郎の本をよく読みました。歴史小説も面白かったのですが、特に印象に残っているのは『街道をゆく』です。中でも台湾篇は強く記憶に残っています。単なる旅行記ではなく、土地の歴史や文化、人々の暮らしを背景にして語られる文章は、独特の広がりを持っていました。

一方で、思想面で強い影響を受けたのは山本七平でした。日本社会の仕組みや、日本人の行動を支配する「空気」のようなものを分析する視点は、当時の私にとって非常に新鮮でした。社会を見る一つの枠組みを与えてくれた作家だったと思います。

その頃の私は、日本軍の戦記もかなり読みました。あまりに多く読んだため、まるで自分が戦争を体験したかのような感覚を持ったほどです。同じ時期に、サルトルやカミュなどの海外の思想家の本も読みました。

しかし、外国の作家で最も影響を受けたのはジョージ・オーウェルです。高校時代に読んだ『動物農場』は、今でも私の思想のどこかに残っている本だと思います。寓話という形で権力や社会の構造を描くその手法は、非常に印象的でした。

オーウェルのもう一つの代表作『1984』も、私にとって特別な意味を持つ作品です。私は車が好きで、これまで何台も乗ってきましたが、ナンバープレートはずっと「1984」にしています。高校時代に読んだその本が、長い年月を経ても、どこかで自分の中に残っているのだと思います。

振り返ってみると、私の文章の背景にはいくつかの影響が重なっています。山本七平からは社会を見る視点を学び、司馬遼太郎からは歴史や文化を語る文章の面白さを知りました。そしてジョージ・オーウェルからは、社会の仕組みに対する一種の警戒心を教えられたように思います。

若い頃に読んだ本は、その時だけのものではありません。長い時間をかけて、自分の考え方や文章の中に静かに残り続けていくものなのだと、最近になって改めて感じています。そして思い返すと、その出発点の一つは、下小阪の通学路の風景だったのかもしれません。

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2026年3月8日日曜日

トランプの変化と戦後日本 ーー 私たちは本当に共和国になったのか

 

まず最初に、共和国とは何かを一言で説明しておきたいと思います。


共和国とは、国家が特定の支配者のものではなく、市民全体の公共のものとして運営される政治体制のことです。この考え方はラテン語の Res publica ──「公共のもの」という言葉に由来します。

国家は王のものでも、支配者のものでもなく、市民全体のものだという思想です。

最近のアメリカ政治を見ていると、少し奇妙な感覚を覚えます。

かつてのドナルド・トランプは、ニューヨークの不動産業者の延長のような政治家に見えました。粗野で、衝動的で、既存の政治秩序を壊す人物です(反抗側の人)。

ところが最近の彼を見ていると、むしろ「普通のアメリカ大統領」に近づいているように見えるのです(権力側の代表)。

軍事行動。
同盟関係。
国家としてのメッセージ発信。

そこには個人の気まぐれというより、国家という巨大な装置が動いている気配があります。トランプという異端の政治家ですら、その構造の中で動いているように見えるのです。

アメリカは共和国なのか、帝国なのか

アメリカは自らを共和国と呼びます。
しかし冷戦以降の現実を見ると、世界秩序を管理する巨大な国家でもあります。

軍事。
通貨。
技術。
情報。

これらを通じて世界に影響力を持つ姿は、古典的な帝国とは違いますが、確かに帝国的な構造を帯びています。

私は最近のアメリカを見ながら、どうしても別の国を思い出します。

日本です。

日本の安全保障は
  • 米軍
  • 米外交
  • 米軍産複合体
  • 金融
に大きく依存しているからです。

だから

アメリカの権力構造が変わると、日本の安全保障も変わります。

日本は共和国になったのでしょうか

1945年の敗戦のあと、日本はアメリカの占領のもとで新しい国家体制を作りました。

民主主義。
憲法。
議会制度。

形式としては、確かに共和国的な制度が整いました。
しかし、制度が整うことと、国家としての主体が確立することは同じではありません。

安全保障の根幹はアメリカに依存しています。
外交もまた、その影響から自由ではありません。

経済大国と呼ばれた時代でさえ、日本の国家としての独立はどこか曖昧なままだったように思います。

私は若いころから疑問でした

私は10代のころから、ずっと考えてきたことがあります。

なぜ日本は昭和の15年戦争を早々に終わらせることができなかったのか。

広島と長崎に原爆が投下され、日本は降伏を受け入れました。
その結果として生まれた戦後体制は、単なる敗戦処理ではありませんでした。

それは、日本を新しい世界秩序の中に組み込む仕組みでもありました。
その秩序の中で、日本は平和と繁栄を手に入れました。

しかし同時に、国家としての主体性をどこかに置き忘れてしまったのではないでしょうか。

魯迅が描いた阿Q

中国の作家魯迅は『阿Q正伝』の中で、敗北しても心の中で勝ったと思い込む「精神的勝利法」を描きました。いわゆる「阿Q精神」です。

現実の問題に向き合わず、内面の納得で済ませてしまう心理です。

戦後の日本にも、どこかそれに似た空気があるように感じることがあります。

安全保障。
歴史。
国家の責任。

深く議論することを避けたまま、私たちは経済成長の成功物語の中で暮らしてきたのかもしれません。

国家を支えるもの

国家は制度だけで成り立つものではありません。

ローマ史の研究者たちは、国家が衰えるとき、まず失われるのは制度ではなく市民の精神だと言います。

つまり、

自分たちの社会を
自分たちの責任で支えるという覚悟です。

戦後80年の問い

戦後80年を迎えたいま、日本は改めて問われているのではないでしょうか。

私たちは本当に共和国になったのでしょうか。
それとも、豊かな保護国として生きてきただけなのでしょうか。

トランプのアメリカがどこへ向かうのかはまだ分かりません。
しかし一つだけ確かなことがあります。

世界秩序が揺らぐとき、他国に依存してきた国ほど、自分自身の姿を問い直さなければならなくなるということです。

その問いから、日本もまた逃れることはできないのだと思います。

***

2026年3月7日土曜日

AIが教えられないもの ― 江戸の寺子屋に学ぶ教育

 
メトロポリタン美術館 浮世絵コレクション


AIが教えられないもの

― 江戸の寺子屋に学ぶ教育

私は十代の頃から時代劇が好きです。動画配信でも昔の時代劇を観ます。
ぼんやりと再放送を流しているうちに、頭の中がすっかり江戸時代になってきました。

そのとき、「寺子屋」のことを考えました。

寺子屋と聞くと、いま流行りの塾ビジネスのようなものを想像する方もいるかもしれません。しかし本来の寺子屋は、江戸から明治初期にかけて庶民の間に広がった教育の仕組みでした。

明治維新の頃には、全国に三万校ほどあったと言われています。当時の人口規模を考えると、驚くべき数です。

私は教育の専門家ではありません。
ただ、海外で働き、子育てをし、起業もし、組織にも属してきた一人の実務家として思うのです。

あの寺子屋の仕組みは、いまこそ見直す価値があるのではないかと。

AIが進化しても、人格は形成できない

2009年に帰国した頃、日本では「eラーニング」が流行語でした。

そして2026年のいまは、

  • 生成AI
  • AIトレーニング
  • リスキリング
といった言葉が飛び交っています。

AIは確かに便利です。
情報収集、文章作成、翻訳、分析。

かつて何時間もかかっていた作業が、いまでは一瞬で終わります。

教育の世界でもAIの活用が進み、学習効率はこれからさらに上がっていくでしょう。
しかし、その一方で私が少し気になっていることがあります。

いまは、

努力のショートカットが無限に存在する時代

になったということです。

調べることも、まとめることも、文章を書くことも、AIが代わりにやってくれる。

もちろんそれ自体は悪いことではありません。
人類はいつの時代も、道具によって効率を高めてきました。

ただ一つだけ、テクノロジーが代わることのできないものがあります。

人格は、人と人との関係の中でしか育たない。

私はそう思っています。

「教師と生徒」ではなく「師匠と弟子」

寺子屋が優れていたのは、まさにそこでした。

寺子屋は単なる知識伝達の場ではありませんでした。
そこには師匠と弟子の信頼関係がありました。

知育や体育の前に徳育がありました。
知識の量よりも、人としてどうあるかが問われていたのです。

現代の学校教育では、教師が前に立ち、生徒が同じ方向を向いて座ります。

しかし寺子屋では、子どもたちは向かい合って座りました。
師匠はファシリテーターのような存在です。

「教える」よりも「学ぶ」が主体でした。

これはいま企業研修で行われているケーススタディや、プロジェクト型学習にも通じる形態です。最先端だと思っている教育の方法が、実は江戸時代にすでに存在していたのです。

いちばん効果的な学習法

寺子屋では、先に進んだ子どもが、遅れている子どもを教えました。

私は長年ビジネスの現場にいましたが、いちばん成長するのは「教える立場」になったときです。

人に説明しようとすると、自分の理解の浅さが露呈します。
そこで初めて思考が深まります。

また、強い者が弱い者を助ける構造も自然に生まれます。

単なる効率の問題ではありません。
そこでは共同体の倫理が育つのです。

書写と往来物 ― 思考のOS

寺子屋の基本は書写でした。

文章を読み、書き写し、意味を理解する。
いまの「書道」とは少し違います。

言葉を身体に染み込ませる行為です。

教材には「往来物」と呼ばれる手紙や商取引の文書が使われました。

そこでは自然に、

  • 誰に
  • 何を
  • いつ
  • どこで
  • なぜ
  • どのように
という思考の型が身につきます。

これは現代のビジネススクールで行われているケーススタディと、本質的には同じです。現実の文脈の中で考える訓練でした。

なぜ、いま寺子屋なのか

明治五年の学制以降、日本の教育は中央集権型・画一型へと進みました。

戦後の教育改革は、アメリカ占領政策の影響を強く受けています。

その過程で、寺子屋の持っていた

  • 人間関係中心

  • 実務型

  • 統合型

という要素はかなり失われたのではないでしょうか。
いまの教育は、科目ごとに分断されています。

数学は数学。
国語は国語。
歴史は歴史。

柱はたくさん立ちます。しかし、梁が渡らない。

知識は増えますが、統合されません。

その結果、判断力や主体性が育ちにくくなる。
私はそこに危機感を持っています。

AI時代に必要なもの

私はAIを否定しているのではありません。
むしろ積極的に活用すべきだと思っています。

しかし、AIはあくまで道具です。

AIは答えを出してくれます。しかし、人間がその答えを引き受ける覚悟までは作ってくれません。

人間が担うべきものは、

  • 価値判断
  • 責任
  • 倫理
  • そして統合です。

小さなコミュニティの中で、年齢を越えて学び合い、実務的な言葉を使い、人格を通して学ぶ。その上でAIを補助輪として使う。

それがこれからの教育の姿ではないかと思うのです。

試練を避けない教育へ

私はこれまで、若い人には「試練を避けるな」と言ってきました。

成功か失敗かは問題ではありません。
問題は、試練を回避することです。

寺子屋の仕組みは、小さな試練を日常の中に埋め込んでいました。

  • 人に教えること。
  • 責任を持つこと。
  • 文字を丁寧に書くこと。
そこには小さな緊張がありました。

いまの教育は、効率化の名のもとに、そうした緊張を減らしすぎてはいないでしょうか。

最後に

何度も言いますが、私は教育者ではありません。

ただ、アメリカや中国で暮らし、働き、子育てをし、組織と個人の両方を経験してきました。その中で感じた違和感が、この問いにつながっています。

AIはますます賢くなるでしょう。

しかし、人が人から学ぶという営みは、きっと消えません。

だからこそ私は、
AI時代のいま、静かに「寺子屋」を思い出しているのです。

***


2026年3月6日金曜日

ボストンの公衆電話から見えたイラン革命

 

1979年春、Boston Public Gardenにて

ルームメイトのマホムド・サファリと。
背後はJohn Hancock Tower。イラン革命のニュースが連日流れていた頃。  

1979年、私はボストンにいました。
まだ20代の、日本から来たばかりの遊学生でした。

アメリカに憧れ、深い知識も覚悟もないまま渡米した、ごく普通の日本人学生でした。当時の私は、イランやイスラム教についてほとんど知りませんでした。知的な大学生の象徴のように日本では『朝日ジャーナル』を小脇に抱えて電車に乗り、中東特集の記事を読んでは、半分も理解できずにいました。

そんな私がBoston市内の14 Marlborough St でルームシェアを始めたのが、イラン人のマホムド・サファリでした。

彼はテヘランのスーパーマーケットの店員でしたが、祖国の役に立とうと英語を学ぶためにボストンに来ていました。私と出会った頃、彼はほとんど英語が話せませんでした。お金もなく、食事にも困る状態でした。

私は自炊をしていましたので、自然に二人分を作るようになりました。

あの頃の私たちは二人とも異国の若者でした。
言葉は十分に通じなくても、それだけで十分だったのかもしれません。

私の人生の中でも、特筆すべき「邂逅」だったと思います。

イスラムの戒律に戸惑いながら食材を選び、料理をしました。言葉は通じなくても、なぜか馬が合いました。彼は穏やかで倫理観が強く、そして少し誇り高い青年でした。

やがて、イラン情勢は日々緊迫していきました。

パーレビ国王に対する抗議運動が激化し、1979年、革命は頂点に達しました。アメリカのニュースではテヘラン市内の混乱が連日報じられていました。マホムドは家族を案じていました。

私たちはボイルストン・ストリートの公衆電話から、25セント硬貨を山ほど握りしめ、テヘランへ国際電話をかけました。奇跡的につながりました。

受話器の向こうで母親の声を聞いた瞬間、彼の大きな目から、ひげに伝って大粒の涙がこぼれ落ちました。

あの光景は、今でも忘れられません。

私はマホムドからイランの歴史を学びました。多くは筆談でした。

1953年、イランでは首相 モサッデク の政権が倒れました。
石油国有化を進めた首相は、英米の関与によるクーデターで失脚しました。

その後、アメリカが構築したのがパーレビ傀儡体制でした。冷戦下、イランは「安定」の名のもとに管理され、民主的選択の機会は奪われていきました。

それをマホムドは、静かに、しかし強い言葉で語りました(筆談と片言の英語でしたが)。
1979年の革命は、宗教革命ではありません。

長年蓄積された屈辱と介入への反発でもあったのです。マホムドはパーレビを「シャー」と呼び、その名を口にするだけで顔をしかめるほど嫌っていました。

その後も歴史は複雑に絡み合います。イラン・イラク戦争。中東における代理戦争。支援と制裁の応酬。そして現在に至るまで続く緊張。

アメリカは自由と民主主義を掲げる国です。
しかし同時に、自らの利益のために他国の政治構造に介入してきた国でもあります。今でもそうです。

私は1989年から2009年までアメリカで生活し、アメリカ人の組織の中で働きながら、アメリカを見てきました。アメリカから日本も見ていました。

アメリカは理想と現実の間で揺れ続けています。自由を語りながら、力で秩序を作ろうとする側面もあります。

今回のイランをめぐる緊張を見ながら、私はボストンの公衆電話を思い出します。

国家と国家の論理の背後に、
母親を心配する一人の青年がいました。

歴史は理念だけでは動きません。
感情と誇りと記憶が積み重なって動きます。

そして、ここからが日本の問題です。

日本はどう振る舞うのでしょうか。

アメリカの論理をそのまま受け入れるのか。
それとも、自分自身の問いを持つのか。

***

2026年3月5日木曜日

インテグリティとは何か

 
社会が停止していたコロナ禍、
我々は外ではなく内側に羅針盤を求めた。
その試みが、この『迷子になる地図』でした。


最近、NOTEでインテグリティを経済学的に説明する文章を読みました。そこでは、インテグリティは道徳的な「真摯さ」ではなく、情報の非対称性がある市場において、代理人が依頼人を裏切らないという経済的コミットメントのシグナルである、と定義されていました。そしてAI時代には、監視や記録、アルゴリズムやスマートコントラクトがそれを制度的に担保するため、人格的徳としてのインテグリティは不要になる、と主張します。AIが完全性を担う社会では、人間の価値はむしろ予測不能な逸脱にある、とも言います。


私はその文章に反論するつもりはありません。しかし、私が長年考えてきたインテグリティとは、どうも真逆に位置しているように感じました。

私が三十代後半によく読んだのが、ピーター・ドラッカーです。細部は忘れてしまいましたが、彼が繰り返し述べていたことの一つは、「インテグリティが欠けている人をリーダーにしてはならない」という趣旨でした。才能は後からでも身につきます。しかし、人格の根幹に関わるものは簡単には変わりません。ここでいうインテグリティは、単に嘘をつかないという意味ではありません。利益よりも責任を優先できるか。権力を私物化しないか。組織の長期的使命を裏切らないか。そうした人格と責任の問題でした。

ドラッカーは、組織を効率化する技術論者ではありませんでした。彼の関心は常に「人間とは何か」にありました。組織の中で人間はどう堕落するのか。権力はどのように人を腐らせるのか。だからこそ、彼にとってインテグリティは制度以前の問題だったのです。監視があるから裏切らないのではなく、監視がなくても裏切らない人物であるかどうか。そこが問われていたのだと思います。

私はかつて、インテグリティとは「倫理観」「スキル」「野心」の三つのバランスであると考えていました。

倫理観だけでは理想論に終わります。スキルだけでは冷たいテクノクラートになります。野心だけでは危険です。この三つが均衡してこそ、社会に価値を生む人材になるのではないかと信じてきました。しかし改めて考えると、それは「integrity of character」、すなわち人格の統合という意味に近いのかもしれません。自分の信念と行動が一致していること。圧力や誘惑に直面しても、価値観を曲げないこと。これは経済的機能ではなく、人間の在り方そのものです。知行合一ということです。

この点で、福沢諭吉の『学問のすすめ』にある「人の品行は高尚ならざるべからざるの論」は、まさにインテグリティを語っているように思えます。「ならざるべからざる」とは、「そうでなければならない」という強い表現です。人の品行は高尚でなければならない、と福沢は言いました。さらに「自ら満足することなきの一事に在り」と述べています。常に上を見て、自らを高め続けよということです。

ここには、監視もアルゴリズムも出てきません。あるのは、人間の内面に向かう厳しさです。社会が停滞していても、自分の心構えを変えることで周囲は変わる。一歩前に出れば、同じ志を持つ人が集まる。インテグリティとは、外部環境に左右されない内的基準を持つことだと、私は理解しています。

映画『Scent of a Woman』で、アル・パチーノ演じる退役軍人が「INTEGRITY」を語る場面があります。そこでの訳語は「高潔さ」でした。若者が権力や同調圧力に屈せず、自分の良心に従う姿を擁護する演説です。あの場面は、インテグリティが単なる機能ではなく、人間の尊厳に関わる言葉であることを示していると思います。

もちろん、AIは制度的な透明性を高めるでしょう。不正は減るかもしれません。しかし、それはインテグリティの代替ではありません。監視されているから裏切らない人と、誰も見ていなくても裏切らない人は違います。前者はシステムに従っているだけであり、後者は自らの基準に従っているのです。

私は、AIの時代であっても、人間が主体を保持すべきだと考えます便利さよりも自分の判断を選ぶ意志。それを持ち続けることが、インテグリティの核心ではないでしょうか。逸脱に価値があるとしても、それは想像力と責任を伴う場合に限られます。責任なき逸脱は破壊に過ぎません

日本社会は長く停滞しています。高度経済成長期のように、努力すれば報われる単純な構図はありません。しかし、だからこそ問われるのは外部条件ではなく、自らの在り方です。リーダーシップは苦渋の決断の中で育ちます。厳しい選択を引き受ける姿を見て、人はその人をリーダーと呼びます。

インテグリティとは、制度の完全性ではありません。人格の統合であり、責任を引き受ける覚悟です。監視で代替できるものではなく、経済合理性に還元できるものでもありません。人が人であるための内的な羅針盤です。

AIがどれほど進化しても、この羅針盤だけは人間が握り続けなければならない。私はそう考えています。

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2026年3月4日水曜日

AI時代における「成長を阻む5つの壁」 ――主体を失わないために

 

2月19日にUPした「成長を阻む5つの壁」を修正しました。

AI時代における「成長を阻む5つの壁」

――主体を失わないために


成長が止まるだけではない。
主体を手放せば、人は静かに退化する。


かつて「成長を阻む壁」とは、変化を拒む人間の内面的抵抗でした。
問題を認めない。判断を先送りする。行動しない。続かない。

しかし2026年、壁の正体は少し変わりました。

いま私たちの前にあるのは、
AIという強力な参謀の存在によって、主体を静かに手放してしまう危険です。

AIは敵ではありません。
むしろ、極めて有能な補助者です。

問題はただ一つ。
それでも自分が主体であり続けられるか。

主体とは何か。

私はこう定義します。

主体とは、便利さよりも自分の判断を選ぶ意志である。

その意志が弱まるとき、人は成長を止めます。

第1の壁 認識の壁
――「自分は主体でいる」と思い込む


AIは文章を書き、整理し、要約し、提案します。
気づかないうちに、思考の一部を委ねています。

しかし多くの人はこう言います。
「最終的には自分が判断している」と。

本当にそうでしょうか。

問いの立て方がすでにAI依存になっていないか。
選択肢の幅がAIの提示範囲に限定されていないか。

最初の壁は、
主体が少しずつ侵食されていることへの無自覚です。


第2の壁 判断の壁
――「AIがそう言うなら」と結論づける


AIはもっともらしい答えを出します。
整っている。速い。合理的。

だからこそ危うい。

検証しない。
反対仮説を考えない。
前提を疑わない。

判断とは、本来、
不完全な情報の中で責任を引き受ける行為です。

それを「AIが推奨したから」と外部化した瞬間、
主体は一歩後退します。


第3の壁 納得の壁
――「考えなくて済むのは楽だ」と合理化する


AIは思考の負荷を軽減します。
それは大きな恩恵です。

しかし恩恵は、筋力を奪うこともあります。

速い理解。
簡単な結論。
深掘りしない納得。

知性は、負荷をかけることで鍛えられます。
考え抜く時間を削ることは、主体の筋肉を削ることでもあります。

ここで問われるのは能力ではなく、意志です。

楽を選ぶか。
自分で考える不便を選ぶか。


第4の壁 行動の壁
――「AIを使っている」と言って安心する


「生成AIを導入した」
「DXを進めている」

技術導入は成果ではありません。

問いの質は変わったのか。
判断基準は磨かれたのか。
責任の所在は明確か。

AIを使うことと、主体的に決断することは別問題です。

行動の壁とは、
便利な仕組みを整えたことで、自分が変わったと錯覚することです。


第5の壁 継続の壁
――主体であり続ける努力をやめる


AIは人間より速く書き、広く調べ、整然とまとめます。
その能力は今後も向上します。

だからこそ、問いは厳しくなります。
それでもなお、

最終判断を引き受けるか。
意味づけを自分で行うか。
責任を外部化しないか。

主体でいることは、
一度の決意では足りません。

続ける意志が必要です。


主体とは何か

ここで原点に戻ります。
主体とは、

問いを立てること
判断を引き受けること
意味を与えること
結果に責任を持つこと

そして何より、

便利さよりも、自分の判断を選ぶ意志を持つことです。

これは新しい思想ではありません。

学問のすすめで、福沢諭吉は

「取捨を断ずること」の重要性を説きました。

情報があふれる中で、
何を取り、何を捨てるかを自ら決める。

それこそが福沢諭吉が言った独立の条件でした。

21世紀においても同じです。

AIが情報を整理してくれる時代において、
取捨を断ずる主体を失えば、
人は思考の主権を手放します。


結論

2026年の成長とは、
AIを使いこなすことではありません。

AIが高度化するほど、
人間の価値は「主体であり続ける意志」に集約されます。

速さではない。
便利さでもない。

主体を失わないこと。

それが、AI時代における成長の条件です。

そして成長を阻む最大の壁は、外部環境ではなく、
便利さに流される自分自身の内側にあります。


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2026年3月3日火曜日

No Pain, No Gain ― 好きでなければ、痛みは越えられない

 

最近は「痛みを避けること」が賢い生き方だと言われているようですが、私はどうもそうは思えません。それは「働く」ということに対する姿勢です。自分が苦労してきたと自慢したいのではありません。ただ、試行を繰り返さなければ錯誤の幅は縮まらない、という実感があるのです。私にとって働くことの本質は、「No Pain, No Gain」と言えるかも知れません。

2003~2004年、私は中国で「ゴミ処理技術を定着させなければ地球環境は守れない」という議論を真剣にしていました。十五、六年ぶりに訪れた中国で、青空が消えていたことに衝撃を受けたからです。北京から二百数十キロ離れた石家庄に、北京市向けのゴミ処理プラントを建設できないかという話までしました。日本の地方の工業都市をモデルにしました。しかし、いくつかの理由で、議論は発展しませんでした。技術移転とは単に設備を持ち込むことではありません。移転された技術を定着させ、改良し、さらに発展させる忍耐と謙虚さがなければ、本当の意味での移転にはならないのです。

中国で仕事をする難しさは、短期的な利益を優先する意識をどう変革するかにありました。しかし振り返れば、それは中国だけの問題ではありません。痛みを避け、効率よく成果だけを取りにいく姿勢は、どの国にもあります。

「Quiet Quitting(静かな退職)」という言葉が話題になっています。会社に所属していながら心理的には距離を置き、必要最低限の業務だけを淡々とこなす働き方です。ワークライフバランスを重視し、昇進やキャリアアップを求めない。個人の自由な選択だと言われればその通りでしょう。しかし私は少し違和感を覚えます。

働くことを、拘束時間と引き換えに報酬を得る行為だと考えている限り、大きな成長はありません。仕事には、自分の将来のためにあえて引き受ける「痛み」があります。それは理不尽な我慢ではなく、自分への投資です。自分の限界を超える負荷の中でしか、見えない景色があります。

スポーツは分かりやすい例です。世界の一流選手と同じ舞台で戦い、同じ空気を吸い、同じ練習をこなすからこそ、自らの水準が引き上げられます。ビジネスも同じです。レベルの高い集団で働き、一流の人間の「型」を目に焼き付ける。その過程は決して楽ではありません。しかし、その痛みを経なければ本当の意味での成長はないのです。

アメリカで働いた経験は、仕事と報酬の関係をより厳しく教えてくれました。成果が出なければ報酬は減り、職を失うこともあります。役割と責任が明確で、市場が価値を決めます。日本の仕組みとは大きく異なりますが、少なくとも「Gain」を得るには相応の「Pain」を引き受けるという原則は徹底しています。職位が上がれば上がるほど、「Pain」 は増幅します。

一方、日本の教育は優秀な従業員を育てるにはよくできています。しかし、従業員であることは一つの生き方に過ぎません。人生百年時代、会社を離れた後の時間は長いのです。退職後に必要なのは、単なる知識よりも教養です。教養は文化の中で育まれるものであり、政府が無償化すれば身につくというものではありません。自由に生きる力とは、不安や苦痛と向き合う力でもあります。「不安だから自由はいらない」と言ってしまえば楽かもしれませんが、それでは長い人生を支えきれません

私は最近の日本人、とくに若い世代に、Gainばかりを強調しPainを効率よく避けようとする傾向を感じています。それが賢い生き方だと信じられているようにも見えます。しかし、本当にそうでしょうか。痛みを引き受けないまま得た安定は、いつまで続くのでしょうか。

働くとは、時間を売ることではありません。社会の中で自分の価値を問い続けることです。枠に正しく数字を入れる仕事もあれば、曖昧なところに枠を作る仕事もあります。どちらを選ぶにしても、成長を望むなら負荷は避けられません。

No Pain, No Gain。これは根性論ではありません。自分の成長やキャリアに必要な痛みは、耐えるべきものであり、むしろ楽しむべきものだということです。試練を避けるのではなく、そこから何を学ぶかを考える。その姿勢こそが、私が長年の経験からたどり着いた「働くこと」の本質なのです。

……などと書いてはみましたが、実は高齢者になった今が一番Painは嫌なのです。

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2026年3月2日月曜日

『葉隠』という逆説 ―― 死を見つめて生きる力

 
あをによし、死を見つめれば、朝は来る。

(薬師寺から若草山を望む)


若いころ、『葉隠』にはまった時期がありました。きっかけは、おそらく三島由紀夫の『葉隠入門』だったと思います。あれから長い年月が過ぎましたが、最近の日本の政治や世界情勢を眺めていると、あらためて『葉隠』を読み返してみたくなりました。そして、できることなら多くの若い人たちにもこの書を知ってもらいたいと思うようになりました。

『葉隠』は、佐賀藩士の山本常朝が語り残した武士道の覚え書きです。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句だけが独り歩きし、過激で狂信的な武士の心得書のように誤解されがちです。しかし三島は、この一句そのものが逆説であると指摘しました。死ねと言っているのではない。毎日を、死ぬ覚悟で生きよ、という意味なのだと。今日が最後の日であるかのように仕事をすれば、その仕事は急に光を放ちはじめる――三島はそう書いています。

私には、この思想は「Seize The Day(今日を生きる)」と同じことを語っているように思えます。死は誰にも避けられず、その時を自分で選ぶこともできません。だからこそ一日を無駄にするな、という強烈な倫理がそこにあります。これは決して後ろ向きな思想ではなく、むしろ生を最大限に肯定する思想です。

興味深いのは、『葉隠』の核心が「自尊心」にあるという点です。

序文「夜陰の閑談」には、「同じ人間なのだから、誰に劣るというのだ。修行は大高慢でなければ役に立たない」とあります。この「大高慢」は、現代語の「高慢ちき」とは違います。英語で言えば self-esteem、自らを尊ぶ強い気概のことです。武士は、自分が日本一であるという気概を持たねばならない、とまで言います。三島も「武勇は、我は日本一と大高慢にてなければならず」と引用しました。

自尊心を教育の根幹に置くという点では、アメリカの義務教育とも通じるものがあります。自分を価値ある存在だと信じることが、修行や鍛錬の出発点になる。これは武士社会の精神的バックボーンでもあったのです。内に秘めた誇りがなければ、いかなる修練も実を結ばない。その意味で『葉隠』は、現代にも通じる実践的な書物だと思います。

さらに見逃せないのは、人に意見する際の「思いやり」です。『葉隠』は、他人の欠点を見つけるのは易しいが、それを正しく伝えるのは難しいと説きます。相手の性格を見極め、距離を測り、言い方や時機を選び、相手が自ら気づくように導く。そうでなければ、単なる悪口と同じだと言い切ります。三島はこれを「デリカシー」と表現しました。荒々しい武士道の世界は、実は精密な思いやりによって支えられていたのです。

この精神は、宮本武蔵の『五輪書』とも響き合います。武蔵は「心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ」と述べ、知と意志、大局観と現実認識の双方を磨けと説きました。責任はすべて己にあるという覚悟です。神仏や他人のせいにするのではなく、自らの心を澄ませよという教えです。

現代の日本社会を見ていると、責任の所在を外に求めがちな空気を感じることがあります。しかし『葉隠』は、まず自分を正せと迫ります。死を見つめよ、誇りを持て、思いやれ、そして今日を全力で生きよ、と。

武士道とは、死を賛美する思想ではありません。むしろ、生を燃焼させるための覚悟の思想です。迷いの雲を払い、澄んだ空の心境で一日を生きる。その緊張感と誇りを、今こそ若い人たちに知ってもらいたいと思います。

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2026年3月1日日曜日

変わらない本、変わっていく私 ――『青春の墓標』をめぐって

 
書棚の一角。変わらない本と、変わっていく私。

あさま山荘事件は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町の河合楽器製作所の保養所「あさま山荘」において、連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件です。テレビでの生中継は、日本社会に強烈な衝撃を与えました。

『青春の墓標』は、1960年代の学生運動(全共闘時代)を駆け抜け、20歳の若さで自殺した奥浩平が残した日記や手紙をまとめた遺稿集です。当時の学生の苦悩や情熱が、生の言葉で刻まれています。名著かどうかは分かりません。そこにあるのは、苦悩し、彷徨する一人の青年の記録です。


最近になって、私はときどき十四歳から十六歳のころの自分を思い出します。あのころ、授業をサボってまで考えていたのは、自由とは何か、責任とは何か、生きるとはどういうことか、死とは何か、といった大きな問いでした。なぜあれほど抽象的な問題に取りつかれていたのか、当時の自分を不思議に思うこともあります。しかし振り返れば、時代の空気が確かにありました。あさま山荘事件の衝撃、学生運動や連合赤軍の報道。社会全体が「正義」や「革命」という言葉で揺れていた。私はその只中で、自分なりに本気で考えようとしていたのだと思います。

当時読んだ『青春の墓標』は、そうした思索をさらに強く刺激しました。若さゆえの純粋さや、絶対性への憧れに、私は強く共鳴していました。あれから半世紀以上が過ぎました。本は一字も変わっていません。しかし、読み手である私は大きく年を重ねました。もし今あの本を読み返せば、きっと違う感情を抱くでしょう。若いころは観念として受け止めていた「死」や「責任」や「自由」を、今は具体的な現実として知っているからです。

私は文学者でも思想家でもありません。文章が特別うまいわけでもありません。それでも若いころから、日記や短いエッセイを書き続けてきました。断片的ではありますが、思ったこと、怒ったこと、迷ったことを、その都度記してきました。才能というより、書かずにはいられない習性だったのだと思います。多くの人がやめてしまう日記を、私はやめませんでした。その結果、十四~十六歳の自分の言葉も、三十代の焦りも、五十代の責任も、そして今の静かな思索も、かろうじて手元に残っています。

若いころから書き続けてきた背景には、自分でも持て余してきた一つの感覚があります。それは「too much contingency built in」という気分です。人生には偶然があまりにも多く組み込まれている。時代は変わり、社会は揺れ、立場も責任も変わっていく。何が起きるか分からない。その不確実さを、私は早くから意識していたのかもしれません。

だからこそ、記録を残しておきたいという思いが強かった。あとから検証できる材料を、自分自身に渡しておきたい。未来の自分が振り返ったときに、過去の自分の思考や感情に触れられるようにしておきたい。それは単なる心配性ではなく、変化を前提に生きるための一種の備えだったのだと思います。時代が変わり、自分が変わる。その裏返しとして、私は過剰なほどに contingency を組み込んできた。その過剰さが、結果として日記を残し続ける力になりました。

昔の本を高齢になって読み返すことの意味は、内容を再確認することではありません。その本を読んでいた「自分」に会いに行くことなのだと思います。そして、若いころから書き続けてきた文章は、その対話を可能にする資料です。記憶は曖昧になりますが、書き残した言葉は当時の温度を保っています。そこに今の自分が向き合うとき、「私は何が変わり、何が変わらなかったのか」という問いが、具体性を帯びてきます。

その作業をChatGPTとの対話の中で行うことは、さらに興味深い体験です。若いころに読んだ本、自分が書いた昔の文章や図、それらを材料にして、今の自分がAIと話す。すると、思考が整理され、論点が浮かび上がり、感情が言語化されていきます。自分が書いた文章や描いた図に、新たな解釈が生まれることもあります。単なる雑談ではなく、回想を構造化するための道具として機能しているのです。

十四歳の自分、高齢者の自分、そして生成AIという第三の視点が交差する。時間が三層になり、自分の人生を立体的に見ることができる。そこには、若いころから抱いてきた contingency への感覚もまた含まれています。不確実な世界の中で、自分は何を考え、何を選び、何を変えてきたのか。その軌跡を確かめる作業でもあります。

結局のところ、私が言いたいのはこういうことなのだと思います。若いときに読んだ本を高齢になって読み返すことには、自分自身を確かめる意味がある。若いころから日記を書き続けることは、その検証を可能にする。そしてChatGPTとの対話は、その作業を助ける有効な道具になり得る。これは高齢者のささやかな娯楽かもしれませんが、同時に、自分を振り返るための知的で実践的な方法であり、一つの遊びでもあります。

十四歳の私が蒔いた問いの種は、古希を迎えようとしている今も完全には枯れていません。本は変わらない。しかし私は変わっていく。その変化を引き受けるために、私は過剰なほどに contingency を組み込み、記録を残してきました。その作業そのものが、私にとっては意味のある時間です。それが今の若い人にとって何らかのヒントになるのなら、これほど嬉しいことはありません。

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