2013年6月25日火曜日

アブナイ、アブナイ

昨日の丸の内オフィス街
日本型ビジネスを再評価してもいいじゃないか

徳富蘇峰は、敗戦直後の1948年敗戦学校を発表しました。 日本は世界の田舎者であり、世間知らずで勝手放題の一人よがり「夜郎自大」の類であったと言っています。 その通りだと思います 冷徹な世界の勢力争いを冷静に読むことができなかった。

70近く経った今の日本はどうなったでしょう? 

勝手放題の一人よがりではなくなりました。 もちろん、夜郎自大なんかじゃない。 長年の自虐的な内外からの洗脳が行き届いたからでしょう。 しかし、新聞テレビを見てみると、世界情勢を冷静、且つ、客観的に読む力は、70年前よりも劣っているのではないだろうかと強く感じます。 世間知らずの度合いは強まったと言う事です。 グローバリゼーションのスローガンを声高に叫ぶ様子を見ていると、果てしのない絶望感に苛まれます。 

もちろん、欧米のメディアが公明正大だとは言っていませんよ。 たまには毒だって混じっている。 軽度なものから致死量に至るまで。 アブナイ、アブナイ。

敗戦学校の生徒の第一に心得ねばならぬ事は、何故に敗戦学校の生徒となつたかと云ふ事である。言ひ換ふれば、何故に負けたかと云ふ事を、知る事である。今それを一口に言へば、我が国民性に大なる欠陥の在つた為である。欠陥と云へば、相手方も知らねば、自分をも知らぬ。即ち彼を知らず、我を知らざるが為であつた。今更事々しく孫子を引くではないが、知彼知己百戦不殆。不知彼面知己一勝一敗。不知彼不知己毎戦必敗。つまり我等は、此の原則通りに、必敗したのである(徳富蘇峰『敗戦学校』1948年)

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