2012年1月4日水曜日

温故知新

堀合遊歩道にある井戸
井戸の取手は切断され、水道の蛇口になっています
(写真には映っていませんが蛇口のハンドルは反対側)

昔、三鷹から北北西に伸びる国鉄武蔵野競技場線という単線があったそうです。今は細長い堀合(ほりあわい)遊歩道になっています。

昭和26年、中島飛行機製作所跡に武蔵野グリーンパーク野球場(国鉄スワローズのホーム球場)ができました。 武蔵野競技場線は都心から野球観戦客を運ぶための路線だったようです(中島飛行機製作所跡は戦後進駐軍の兵舎になりグリーンパークと呼ばれていた)。

1952年まで明治神宮球場がGHQに接収されていたために、プロ野球や六大学の試合をする野球場が足りなかった。 そこで、急遽建設されたのが武蔵野グリーンパーク野球場ということです。ところが、昭和31年には閉鎖解体されてしまいました。 プロの公式線は16試合しか行われなかったとか。 そして、野球場の解体と共に武蔵野競技場線も廃線になりました。

野球場閉鎖の理由は、都心から遠かったことや、突貫工事に問題があったようですが、一番の原因は「日本の独立」により神宮球場が返還されたことだそうです。

線路は、太宰治で有名な跨線橋のあたりから中央線の支線として分かれていたらしく、いまでも軌道補修の線路として一部残っています。


温故知新、、、う~ん、自分の頭の中の行間を読むと、恐らく、古いものや死んでしまった人も大切にして過去と対話しましょうよ、、、、ってのがあったのかも。

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