2018年6月5日火曜日

日本の民主主義は山の中か?

またやって来ました。梅干しの季節。

コンサルティング・ビジネスは情報収集やプロジェクトの準備・プロジェクト期間を通して議論するのが仕事です。議論を通して意見の統一をはかり、品質を高めていく。そのプロセスが民主的なのです。決して、決定事項に関して議論するのではない。

最近の様々な事件や報道を見ていて「民主主義」を考えてみました。

日本では自由で平和で豊かな暮らしができることが民主主義と考えます。

「民主主義においては、自由は非常に高価なもので、高価なんだけどそれでも価値があるという考え方が前提になっている。ところが、日本人にとっては自由も平和もみんなタダである」。これは昭和の時代にはよく言ったものですが、平成になって30年あまり、最近では聞かなくなりました。

日本人の多くの人は多数決が民主主義だと思っています。戦後民主主義教育の根っこの部分でしょうか? 教育って恐ろしいですね。

リーダーというのは意思決定するからリーダーであり、それがdemocracyの仕組み(民主主義)そのものであると言えるのですが、日本ではどうも疑わしい。民主主義の「手段」である多数決というのは、主張を一つにするメソドロジー(方法論)です。リーダーを決め、責任の所在を明らかにする。そして、リーダー主導の下で相手の主張を聞き、自分の主張をぶつけ、一つの結論に到達することを目指します。

日本の場合、相手の主張や組織を慮って意思決定の決定がいつまでも決定にならない。リーダー不在の合議制だから、決定したことに対して責任の所在が不明確になります。すなわち全員が責任をとらないということです。場合によっては全く論理的でない結果になることだってあるのです。

あのトランプさんは自由と平和と豊かさを求めてdecision making(意思決定)するのが民主主義だと思っているはずです。非常に好意的にとれば、自分の決定が議論を活性化させればいいと信じているかも知れません。そして、最後に決定することが自分の仕事だと思っています。たとえそれが正しくなくても、、、。

日本の国会や会社では、決定前の段階で民主的に議論をつくすのではなく、決定を集団でやろうとするから時間がかかり過ぎます。最後には従来通りの凡庸な結論しか出てこない。日本人は自由も平和も豊かさも高価なものであるという認識に欠けます。基本は他力本願で事なかれ主義なのです。これまでの70年数年はラッキーだった。でも、cherry picking、つまり、いいところ取りはもう通用しないのですよ。

今の日本ってもしかしたら、島崎藤村が描いた江戸末期の木曽の山奥とあまり変わりがないのかも知れません。

木曾路はすべて山の中である。

***

0 件のコメント:

コメントを投稿