2014年1月30日木曜日

もっと余裕があっていい

50数年ぶりに訪れた明日香村 石舞台古墳(7世紀初頭)

生活や仕事に余裕がない、寛容さがなかったり、ユーモア精神のないぎすぎすとした状況が至る所に見うけられます。 学校では要領の良さを求められ、会社では時間的経済的プレッシャーを感じながら効率を追求されるからです。本来そうあってはならないジャーナリズムの世界でもそうです。 娯楽であるはずのTVドラマ制作においても然りです。

日本は優秀な人ほど余裕がない。 それは、教育や社会が余裕や無駄を悪いことだと刷り込むからです。ところが、余裕や無駄はコミュニケーションの緩衝剤になる。 人でも国家でも、それぞれのやり方や生き方があり、「バカの壁」は存在しますから、緩衝剤の存在は不可欠なのです。 知識があり英語ができても、余裕がないとコミュニケーションは上手くいきません。 欧米では底の浅い人だと思われてしまうからです。

無駄と思われることがコミュニケーションを促進することがあります。 余裕があってはじめて相手の立場をセンス(感知)することができます。 そして、状況に応じてレスポンス(反応)することが可能になるのです。

子供の頃からの習慣づけが必要でしょう。 親の役割って大事ですね。

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2 件のコメント:

  1. 私もその通りだと思いました。例えば、クラシック音楽は、当時の貴族の寛容な環境で許された娯楽(無駄)ですが、数百年経っても褪せることなく、聴者を魅了します。

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  2. 日本の学校教育って、教育が文化や歴史から分離しているところが問題ですね。余裕がなくポータルなスキルばかり追いかけ、それを評価するから、文化は育たず、これまでの文化伝統はどんどんとフェードアウトして行くのでしょう。かなり、手遅れだと思います。

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