2014年1月22日水曜日

お好み焼きでご飯


大阪は南で生まれた私も、大阪を出て35年たつと、夕べのお好み焼きの残りをおかずにご飯を食べるのはちょっとシンドイ。

大阪の街を隅々まで歩き回った織田作之助は、大阪の食をギョーサン書いていますが、お好み焼きについて書いてないように思います。 オダサクにとってお好み焼きは下手もの料理ではないのか?

『夫婦善哉』

柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ホンマ)にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭(ショウベンタンゴテイ)」の関東煮(カントダキ)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手(ゲテ)もの料理ばかりであった。


***

0 件のコメント:

コメントを投稿