2013年7月24日水曜日

日本の教育が生んだ無党派層

東名 富士宮SAの朝 ~ West Bound

参院選は終わりましたね。 海外メディアの報道内容はまちまちです(海外メディアだってお金で動くのです)。 日本の報道は、いつものように「中韓がどう言ったか」を伝えています。

それにしても、私には「無党派層」というのは理解不能です。 だったら、投票を棄権してもらったほうがいいと思うのです。 如何でしょうか? 日本のメディアって、「無党派層」は「インテリ層」だと勘違いしていませんか? 無党派層が多い東京は、知識人が多く集まるところ? そうじゃないでしょう。 単に無国籍なコスモポリタンなだけだ。

このあたりにも、教育の弊害がでていると思いますね。 「同じて和せず」、つまり、個々人の思想を確立させることなく、協調性ばかりを押し付ける教育を長年続けて来たからこうなったのでしょう。 確立することがないから一貫性がない。間違っていても一貫性があるほうがいいのです。 

伊藤博文という人がいました。 1000円札は野口さんになって久しいので、あっさりと執念深くない日本人は忘れ去ったかも知れません。 伊藤さんの生涯を辿ると、日本がどうやって今の日本になったかが少しは分かります。 政党政治、日本における憲法の難しさ、とことん悩み考えたのでしょう。 今の日本で、伊藤博文のように、日本にあるべき憲法を考えるのは誰でしょうか?

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