2012年2月16日木曜日

ソーシャルメディアじゃなくて、自分の足元を見る

石は石でしかないか?

「仁は遠からんや、我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る」 。(子曰、仁遠乎哉、我欲仁、斯仁至矣)。

孔子が言った。 仁の道は、我々の手のとどかない、遠いところにあるものではない。 自分が仁の道を求めさえすれば、すぐに仁の道は来るものだ。

禅で言うところの照顧脚下、つまり、「キョロキョロしないで、自分の足下を見ろ」ということですね。

アメリカで長く暮らし世界中を旅した禅の大家である鈴木大拙は、「人間の人間たる所は、社会的生活をなし能うところにある」と言っています。 「人間特有の価値ある生存を可能ならしめるところのものがなくてはならぬ。 このなくてはならぬものを完成していくのが万物の霊である」と。 「万物の霊」って福沢諭吉も言っていましたが、人間のあるべき姿のことです。 集団生活だと蟻や蜂のようだし、独立独行だと獅子や虎のようで、人間であるならば、社会的生活を全うしなければならないと説いています。 社会的生活を通して自己を見つめる。 日常を大事にしろということでしょう。

政治でもビジネスの世界でも、例え、それが国境を跨ぎグローバルになろうとも、人間ですから「社会的生活をなし能う」ことが大事ですね。 そして、自分の日常が存在するドメイン(領域)のレベルが高ければ高いほどいい。 どうも日本は社会的生活をマスメディアという媒体を通して行う。 自分の眼で見て判断しない習慣がついている。 だから、誰かに都合のよい幻想か、自分にとって都合のよい幻想となる。 結果、ハクスリーのディストピアの世界になっていくのだろうと思います。 つまり、常に全体主義に陥る危険性があるということです。

自分の「観の目」と「見の目」(宮本武蔵「目付之事」)で判断して、仁の道に至りましょう!

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2 件のコメント:

  1. 確かに、日本はマスメディアによる社会的生活が行われていると感じます。

    日本企業の意思決定には、流行に乗るような一面を感じます。近年では、クラウド、IFRS、BCPなどは、言葉が先行している傾向を感じます。クラウドの成功モデルであるGoogle、FacebookやSalesForceなどは、使い勝手の良いサービスを作って人々の生活をより便利にしようという必然性が根本にあり、クラウドのブームに便乗してやろうというものではないと思います。日本は便乗商売にあふれています。

    普段の生活においても、マスメディアは、現象を1つの方向から伝えます。
    普天間問題や消費税増税の報道を見ていると、あまりにも論調が揃っているので鵜呑みにするのは、非常に危険だと思います。
    企業や経済の停滞・将来を直視できない(本来の我々の姿ではないと考える)のも、メディアの誘導なんでしょうね。

    センスを磨く上で、インプットとしてある程度現象を踏まえておく必要があると思います。ただ、良識ある日本人として、情報との距離を適切に保ち、その内容から本質を見抜けるようしておきたいものです。

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  2. コメントありがとうございます。人の意見を聞くにも、まずは自分の考えをしっかり持つことが大事だということでしょうね。自分の意見が強すぎても問題ですが、、、(私のこと???)。

    日本の場合、考える暇(閑暇)がない。考える閑暇がないことが通常になっているのが問題です。閑暇がないから考えないか、安易にマスメディアの情報をうのみにする。情報は誰かのバイアスがかかってる。恐らく、データを手にいれて、データを情報に変換する各自の作業を省略するところに問題があるのでしょうね。

    私も、照顧脚下、自分の足元を再確認しないといけないと反省の日々です。

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