2023年6月7日水曜日

甘えの構造

土居健郎(1971年)

今の日本は「甘え」の解釈もアヤフヤだし、甘えや友情なんていうのもきわめて薄っぺらで、土居先生が『甘えの構造』で説明している「内」と「外」が曖昧になっていると思います(下図参照)。真の意味で甘える場所がなくなっているのではないでしょうか?


人間関係本来のコアは家族だし次は友達。それから、楽屋のような仲間と時間を共有する場所が大事です。今の日本は楽屋とステージの境(際)も曖昧です。緊張すべきステージは緊張しないし、ステージの緊張をほぐす仲間との意見交換の場である楽屋がない(楽屋は修練の場でもある)。時間を共有して成功も失敗も共に経験して友人を作る手間を省く。facebookの友達が友達になった、、、あまりにも安易すぎる。適度に甘えられる環境は自分で時間をかけて作るしかないのです。

甘えの前提は「trust & respect(信頼と尊敬)」です。相手を respect するには、自分も respect されるように努力が必要です。甘えの過剰はどこかの首相の親子関係のように相互依存につながるけど、親子関係(特に父親と息子の関係)は一生 trust & respect 構築のプロセスだと思います。

日本人と甘えの議論は、ibgのポストコロナの羅針盤である『迷子になる地図』の主旨とズバリ重なります。個と公共の問題であり教育の問題であり異文化コミュニケーションの問題です。内と外のバランスって本来は日本人が得意とする部分だったと思う。近代化や近代国家が推進したアトミズムって、原子だけあれば分子は要らないという考えです。成れの果てが今のアメリカ社会だし、日本は30~40年遅れてヒョコヒョコとついて行っているように感じます。

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