2022年10月3日月曜日

日本語の危機は考える力の危機

ibg『迷子になる地図』は日記帳であり雑記帳です 

文化庁の国語世論調査を受けて、「手書きの大切さ再確認したい」といった記事をあちらこちらで見ました。全体の82%が「国語に関心がある」と答え、関心がある点は「日常の言葉遣いや話し方」「敬語の使い方」が多かったそうです。デジタル機器の進化に伴い、漢字が書けなくなったと感じている人は多いし、日ごろから文字を書く機会は減っているのは事実でしょう。しかし、問題はそれほど表層的なことではないのです。

思考するためには概念の理解が必要です。他者との対話で必要となるのは、先ずは一定の抽象度に高める(abstract)レベルセッティングなのです。他者は自分と100%同じ意見やバックグランドを持っている訳ではないのですから重箱の隅から入ってはいけません。レベルセッティングの後に「概念」と「具体的」を行ったり来たりしながらコミュニケーションします。

漢字を忘れないようにするためでなく、自らの思想構築のために、日記というのは素晴らしいツールです。日記をつけることで、自分の頭の中に様々な概念が集積し世界観ができていくのです。または、自分の世界観を表現するために概念の蓄積があるのです。若い時から日記をつけておくと、高齢者になって自分というのがどういった人間かということも知ることになります。

何を書くか? 普段から問題意識や危機意識がないと、何を書くか何を話すか何を議論するかという内容が決まらない。表現が素晴らしく、ロジックが一貫していても内容がないものとなってしまいます。国語教育の議論はそういった点まで考慮して議論されていないのではないか? だとすると、日本人の考える能力(思考や思想構築)の低下はとどまるところを知らないでしょう。

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