2018年4月5日木曜日

西部邁

西部さんの笑顔は最高です

「『孤独』の肯定」 五木寛之さん「老人の自立と養生」を語る 3/31(土) 9:16配信

西部さんは世間やジャーナリズムと自分のギャップなんて全く平気だったでしょう。西部さんの「信念」に対して「疑念」を抱く相手がいない事で「生きる意味」を感じなくなったのだと思います。奥様が亡くなるまでは奥様が西部さんに疑念をぶつける唯一のパートナーだったに違いないのです。

西部さんは(自分の)生き方は仮説検証の連続だと言っています。自分の「信念」を他者にぶつけて議論する。他者には「疑念」を持ってもらいたい。そうすれば、自分の信念も検証することができる。全てのベースは奥様との会話で、「信念」と「疑念」のバトルだったのだと思います。奥様との会話を準備段階として他者(ジャーナリズムや知識人や学者)との更なるバトルを望んでいた。でも今の有識者の中で論理的に西部さんに対して疑念をぶつけてくる人がいなくなった。 

結局奥様が公私ともに最高のパートナーだった。だから、西部さんは「奥様と精神構造が一体化している」と言っていたのだと思います。その奥様が亡くなって、もう仮説検証はできない。信念と疑念のバトルもできない。要するに、生きる意味がない。 

会社も同じです。トップの意見(信念)に疑念を抱かない組織はダメです。(信念がないという会社も多いのですが、、、)。トップも社員の意見をオープンかつ柔軟に対応するマインドセットが重要です。これがなかなか難しい。「忖度」と「惻隠」(そくいん)の関係です。部下は上司を忖度する。同時に上司は部下を惻隠の心をもって接する。この場合、忖度は気遣い気配りであり、惻隠は愛情です。 

日本の会社だけでなく、日本全体や昨今の日本人は愛情が減ってきていると感じます。最も「忖度」の意味も何だか怪しくなってきていますが、、、、。 

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