2012年5月5日土曜日

(続)コンピュータ教育はどうあるべきか?

高度なアナログ人間になろう

アナログは古くて性能が悪いなんて間違った認識です。 私はヘッポコギタリストですが、ギターの不安定な音程が好きなのです。 不安定というよりも、ブルージーなペンタトニック・サウンド、、、と表現しておきましょう。

人間の生活はここ20~30年の間にどんどんデジタル化しました。 コンピュータそのものの発達、レコードからCDへ、カメラもデジタル一眼レフ、車だってコンピュータが走っているようなものです。 ところが、人間は極めてアナログなのです。 人間はデジタル化したロボットにはなりません(鉄人28号や鉄腕アトムはアナログ的なところがあるから魅力的なのです)。 私はiPadの成功はアナログ的なフィーリングをもっているからだと思います。 つまり、高度なマン・マシーン インターフェースを備えているのです。

精度が高いしコピー時に劣化もないというデジタルの良さはいっぱいあります。 しかし、重要なのは発信したり受信したりする人間や人間が生活する自然界はアナログだということです。 アナログの時間の流れの中で歴史は積み上げられていくのです。 だから、自分の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)や自分の思考といったアナログ感覚は劣化させてはいけないものなのです。 小さい時から美味しいものを食べて、美味しいものと不味いものを区別できることが重要でしょう。

人間は人間である以上、常にアナログ・デジタル変換が存在します。 アナログは精度が低いのではなく、デジタルよりも高度な感覚がないと理解できません。 アナログ人間なんていうと、デジタル機器を使えない人をバカにすることだと思われているかもしれませんが、冗談言ってはいけません。 0と1の間、無数の中間値を読み取る力のある高度なコミュニケーション能力や感性をもった人であるという褒め言葉なのです。

コンピュータ教育は、アナログ・デジタル変換の話から入るのがいいかも知れません。 だったら高等教育じゃないほうがいいかもしれない。

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