2025年2月11日火曜日

ハンバーガーの思い出

近所のハンバーガーチェーン店(フレッシュネスバーガー)です。驚きの値段ですね。いつもお客さんでいっぱいです。私はまだここのハンバーガーは食べたことがありません。

小学生低学年の頃は鉄人28号やちばてつやの漫画に熱中していました。アメリカ製の漫画『ポパイ』もテレビでやっていました(1959年~1965年)。ポパイの中でウィンピーというキャラクターが登場し、口癖が「ハンバーガーをおごってくれよ(I'll gladly pay you Tuesday for a hamburger today)」でした。当時はハンバーガーなんて日本にないし、どんな食べ物なのか? ポパイの漫画の内容よりハンバーガーって何だと画面に食い入って観ていました。

https://youtu.be/68eue5cpbsE?si=wUEfYZ9_1eyXBi3f

1964年アメリカの原子力潜水艦シードラゴンが佐世保に入港し大騒ぎになりました。父親に連れられて福岡からシードラゴンを観に行きました。ランチにハンバーガーを人生で初めて食べました。そこはレストランではなく米兵相手のバーで、昼間は軽食としてハンバーガーを出していたようです。バーのカウンターで食べたハンバーガーは生の玉ねぎのスライスが入っただけのシンプルなものでしたが、今でも鮮明に記憶に残っています。

その後大阪で高校生になった私は近鉄布施の商店街でマクドナルドに遭遇(邂逅)することになりました(1972年)。一号店はアベノ近鉄のようですが、布施のマクドナルドもほぼ同時期でした。ビッグマックとフレンチフライには驚きましたね。ハンバーガーが80円、ビッグマックは確か200円だったと思います。当時放映されていたアメリカのTVドラマやアメリカンニューシネマの影響もあり、私のアメリカ熱は最高潮に達しました。もうアメリカに行くしかないと!












マクドナルド HP より(当時の布施店の写真があります!)


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2025年2月9日日曜日

日米首脳会談 ~ トランプとヤクザ

トランプは優しくなかった。150兆円まんまとせしめたんだからね。大したもんだ。


トランプって日本のかつてのヤクザに近い。私のいうヤクザは今のヤクザではなく日本の近代化や高度成長を下支えした時代のヤクザです。

ヤクザというのは、相手を相手の意図に反して従わせるときには、最終的には暴力を最大の武器として制裁を加える、もちろん説得とか影響力という側面はないことはないが。あるいは制裁を加えることができる力(代紋)を見せつけることによって相手を服従させる。これはアメリカのお家芸です。トランプはそのアメリカの中でも成功者であり、最もアメリカ的なリーダーという訳です。単に育ちの良いエリートではなく若いころからニューヨークの裏社会で数々の修羅場を通り抜けています。          
   
日本の政治家、特に今の総理と外相はヤクザの任侠道から一番遠い世界にいる2人です。アメリカでは義務に対して責任があります。日本の場合、義理と人情です。トランプはこの4つに対しての距離感が抜群です(普通のアメリカ人には義理と人情という思考回路はない)。トランプは頭の回転が速いのでしょう。ところが昨今の日本の政治家は義理と人情にも疎い人が多い。  
   
トランプにとって、自らすすんで風下に立とうとする態度は最も軽蔑することでしょう。日米会談を評価するのは日本のメディアやコメンテーターだけでしょうね。もっとも総理は軽蔑されていることさえ気づいていない。日本国民として悲しい事です。
    
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2025年2月4日火曜日

総理へのサジェスチョン

 

数多くの日本の教育の問題の一つは、作文を論文にする教育をしないことです。中学後半から高校生にかけて、小学生の作文が論文にならなければならない。ところが日本の教育システムでは論文を書く教育に焦点があたりません。     

昨日動物園にゴリラを見に行ったとする。それを文章に書く時、「昨日家族と一緒に動物園に行きました。そしてゴリラを見ました。大変大きくて強そうでした」。これは小学生の作文です。動物全般とか動物園とか地球の環境問題とか人と動物の関係とか、そういった抽象度を上げる(普遍性の高い社会全般の問題)話をした上で、具体的なトピックと統合していかないと大人の議論にならない。多くの日本の組織では抽象度の高さより、具体性や論理性の方が重要だと思われています。

文章を書く「形式」は大事なのですが、もっと重要なことは抽象度が高いところから具体的に落とすこと、ちゃんとした概念が文章に埋め込まれているかの2点です。これはプレゼンでも会談でも同じです。特に外国人と初めて会うときの会話においては意識しておかないとなめられます。終始風下に立たされることになる。   

抽象度が高いということは全体を見るということで、書き手や話し手の世界観・社会観を示すことなのです。小学生の作文じゃないので、正しい概念を使って文章を構成することも大事です。その人の教養レベルが分かります。私のようなロートル(老頭)は手遅れです。今更どうしようもない。しかし中高生にとって、小学生の作文を論文に進化させることは多くの日本人が考えるよりも重要なのです。

総理のトランプ大統領との会談が迫っています。いまから作文は論文にはならない。「形式」だけでもトランプ大統領のスタイルに合わせたほうがいい。これほど文化の違う相手には、総理の感情や態度では説得がむずかしい。だとすると、形式(論理)で話す以外に方法はない。外務省も担当の通訳も認識しておくべきことでしょう。   

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