2020年8月31日月曜日

青椒肉絲

青椒牛肉絲 

中国ではめったに見なかった青椒肉絲です。たまに出くわしても豚肉です。そういえば1980年初期の中国には牛肉なんて無かったような気がします。今では「和牛」ですから時代は変わったものです。

***

2020年8月28日金曜日

コロナによるストレスを議論する

今年はセミが鳴きだすのが遅かった。
梅雨明けの時期が遅かったせいか? 車のカバーで一生を終えるセミ。

コロナ鬱やコロナ疲れ更には日本独自のストレスといったことが、
マスメディアで議論されているようです。

働き方によるストレス

会社と家庭の境界線がなくなった。そういったライフスタイルに慣れていない多くの日本人に新たな問題が生じるのは想像に難くないのです。一日中パソコンの前で作業を強いられていると感じる人も多いだろうし、リモートワークでは会社でやっているように同僚とのやり取りがうまくいかないことも多くなるから些細なことでイライラしてしまう。仕事の遅れや不備をきたし精神的負荷をかえって強くしているのかも知れません。中小企業の経営や自営業、特に外食産業に携わる人は壊滅的な収入の減少を経験し途方に暮れている。ibgも同じような立場なので想像がつきます。

自らの選択で生きる

人は具体的な状況がなければ目的は具体化されないものです。二者択一の時に厳しそうなほうを選択し自分を追い込むというのもあります(私のことですが、、、)。戦争じゃなくても今のように世界的なパンデミックの状況は、人々に具体的に生き方や死に方を迫ってきます。自らの選択で主体的かつ具体的に生きる術を見つけ出さない限り、試練は乗り越えられません。

日本独自の自粛警察

自粛警察と言われるものも日本独自のストレスの結果でしょう。自分は自粛「要請」に自主的に従っているので、そうでない人に対して憤っている。日本社会の傾向(状況)は「大変だったね、、」じゃなくて「自業自得でしょう!」だと思います。それは日本独特の peer pressure というもので、それがために日本の重症者数・死者数が比較的少ないのかもしれません(皆がマスクをするとか)。日本はみんな一緒、つまり同質性を分かち合っていると考える(平等性重視)。だとすると、日本は真の民主主義かも知れません。一方アメリカは、個人は異質性を持っていると考える自由主義です。だからアメリカでは自粛警察なんて現象は起こらない。

根本的な問題

日本独自のストレスは、日本人が敗戦後70年以上もの間、自ら選択する自由と責任を放棄し、他者に自らの運命を委ね続けてきたことが根本の原因ではないでしょうか。これを機会に議論してみてはいかがでしょう?

***

2020年8月24日月曜日

新東名 east bound

新東名 east bound 

午前3時に奈良市内を出発すると、5:30am には名古屋を通過して岡崎で朝食となります。遠距離介護、、年に5~6往復としてこの10年間に東京‐奈良間を最低50往復したことになります。



人は具体的な状況にならければ、目的は具体化されないものです(だから自分で自分を追い込むという方法もあるのですが、、)。 

戦争じゃなくても世界的なパンデミックの状況は人々に具体的に生き方や死に方を迫ってきます。 つまり、自らの選択で具体的に生きる術を見つけ出さないといけないのです。 

コロナ禍で日本独自のストレスがあるとすれば、自ら選択する自由と責任を放棄し他者に運命を委ね続けていることが根本の原因ではないでしょうか?



***

2020年8月5日水曜日

いつもの風景



やっと土用干しができました(初日)。毎年20~24粒の南高梅で梅干しを作ります。
一年の消費量が20粒弱、のころはヴィンテージ梅干しとなります。これがまたいいんだ!


***

2020年8月4日火曜日

異文化理解の問題 ~ TVドラマ 『愛してくれと言ってくれ』

今年の百日紅は黄色い葉が混じっていてあまり美しくはありません

コロナ禍で様々な問題が明らかになって来ています。ほとんどが国家や組織や個人の一番弱いところを攻撃されているかのようです。問題の範囲も重要ですが、一つ一つの問題をどこまで掘り下げて考える事ができるか、そして問題解決へ実際の行動に移すことができるかどうか、これらの事がこれからの日本の将来を決めるのではなかろうかと思います。

話はずっと身近になります。

1995年のテレビドラマ『愛していると言ってくれ』が再放送され話題になったようです。全部録画して一気に観ました。日本のドラマは殆ど見ることはなかったので、私は相当有名なドラマも知りません。そもそも日本のテレビや新聞から距離をおく人生を送ってきました。そのことが、牢屋にも入らずに還暦を過ぎるまで来られた大きな要因だと自負しているくらいですから。ところが、ここ数か月に80年代90年代2000年代の主要な日本のドラマを興味深く鑑賞しました。『愛していると言ってくれ』は障碍者の画家と女優の卵の井の頭公園を舞台にしたラブストーリーです。主題歌はドリカムの『Love Love Love』、今回はじめてこの曲がこのドラマのための曲だと知りました。J-POPが流行った理由もわかりました。映像と音楽が実によくマッチしている。

コロナ禍のタイミングでこのドラマの再放送は何か意図があったのでしょうか?少し私の思ったことをお伝えします(遺言の一環として)。 25年前はニューヨークに住んでいました。アメリカ企業に勤めていたこともあり、考えや行動はアメリカ企業のルールに従っていました。四半世紀で私も世の中も劇的な変化を遂げたと思います。進化したり恐ろしく退化したり。一般的に言うとコミュニケーションに関しても進化というよりも退化した部分が多いかもしれません。それがこの再放送が今の日本人に好評を得た理由かとも思いました(そうだといいのですが、、、)。

『愛している。。。』は、健常者と障碍者や男と女という『異文化理解の問題』です。これはポストコロナの世界で重要となる項目の一つに間違いありません。敗戦後の日本はアイデンティティが喪失していると言われています。盲目的なアメリカ追従の当然の帰結ですね。アイデンティティは本来は他者との関係の中で、自分が他者の関心(関係)の対象となることで「他者の他者」として現れるものです。「互いに補完しないと成り立たない」と言うことです。ところが、日本人はこのことが実に苦手なわけです。日本の義務教育では教えない。それは、日本の学校教育が教育ではなく受験という点数序列主義だからです。

異文化理解の問題

この夏休み、受験勉強の遅れの取り戻しよりも、以下のような問題を子供たちと議論してもらいたいものです。人は14~16歳で考えたことから一生逃れられないものだからです。
  1. 異なるものとは何か(異なる言語、異なる民族、異なる文化、異なる世代、異なる身体、、)
  2. 思いやり社会の問題点(パターナリズム、同情、憐み、、)
  3. アイデンティティの問題
  4. 自尊心を育まない日本の教育
  5. 歴史を理解するとは?(過去とのコミュニケーション、主観と客観のバランス)
  6. 女性の社会進出の問題(男女共同参画)
等々

ポストコロナの世界では、対話と協調による共同主観の構築がますます重要になってくると思いますが、今の日本には二極化や絶対化に進む危険性は大いにあるのだろうと思います。

若い先生たちに反旗を翻してもらいたい。

***