明治44年、夏目漱石が英語教育に関する提案を行ったのをご存知でしょうか? 漱石の提案は、イギリスでノイローゼや胃潰瘍になるまで苦しんだ経験の賜物ですから非常に重みがあります。経験の積み重ねから何かが生まれる「眼高手低」という訳です。
漱石は、「有機的統一のある言語を、会話とか、文法とか、読解とかいうふうに、細かな科目に分けて教えるのはよくない。学生各自が互いに連絡のつくように教え込んでいかなければならぬ」と言っています。漱石は文学者だからなのか、語学だけでなく、職業や日々の生活まで有機的な統一のある人間を中心に考えていたようです。英語を細かな科目別に指導するという方法は、100年経った今でも同じです。要するに、大学受験がゴールである限り、教える側、採点する側の都合が優先されているのです。
何も英語教育だけでなく、医学や全ての教育に云えることですね。 今の日本の基礎になってしまっている、、、、、。
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『語学養成法』(明治44年)
目次
1.
語学の力の有った原因
2.
語学の力の衰えた原因
3.
改良の効果如何
4.
改良の三要点
5.
教師の養成
6.
教師の試験
7.
教科書の問題
8.
時間の利用
漱石が7章で提案している教科書の問題は、学校や受験とは関係なく子供たちが自分で対応できることなので、学校の英語の点数がどうあろうと是非とも実践して欲しいと思います。
7.教科書の問題
教科書は大いに考ふべき問題である。
今の中学生はいろいろな書物を読んで、知らないでもいいような字を覚えるかわり、必要な字を覚えていない。まことにばかぱかしい話である。普通イギリス人はどれほどの単語を知っているかというに、きわめて僅少のものである。日本の中学生は、かれらの知らぬ字をかえって知っている。ひっきょう教科書がよく整理されていないからである。
そこで、文部省では中学の英語教科書を作る必要がある。
その教科書は一年から五年に通じて、普通の英国人がわかる文字と事項とを、まんべんなく割り振って排列するようにする。すなわち、かれらの一般に知っている文字と事がらには、五年中どこかで出会うが、そのかわりむずかしいジョンソンの『ラセラス』に出てくるような字はまったく省いて、生徒に無用な能力を費やさせないようにしてやる。そういう教科書を作るには、どうしたらよいかというに、わたしは外国の新聞を基礎にするのがいちばんよいように思う。
『ロンドン・タイムス』でも『デイリー・メール』でも、一月一日から一二月三十一日まで通読すれば、いかなる文字といかなる事がらがいかに多く繰り返されて社会に起こるかがよくわかる。それでだいたいの統計を取れば、どの字と、どの事がらと、どの句が比較的いちばん必要であるかがわかる。わかったところを組織だてて教科書に編入する。中には三百六十五日のうち、何百ぺんとなく繰り返されるもの名あるに相違ないから、そんなものには重きをおいて、教科書中にも幾度も繰り返しておくと同時に、年にいっぺんとか、半年に一度ぐらいしか見あたらないものは、まったく省くことにする。そうすると、二三年たつうちに、かなり経済的に英語を短い時間内で教えるできる教科書が、科学的な、秩序立った系統の下に編成される訳である。
こうしてこしらえた教科書をそのままに放り出しておかずに、外国新聞を基礎として、時勢の変化に伴って起こる言語文字の推移に注意して、十年に一度くらい宛改訂するつもりで永久事業としたら、生徒は大変な利益を得ることであろう。無論この事業は前に云った試験管の平生の仕事の一とするのである。顧問として適当な西洋人を雇うのも一法である。
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