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2026年3月17日火曜日

桜の季節に考える「武士道はまだ生きているのか」

 
三鷹駅前(玉川上水)

今年も桜の季節がやってきます。


桜を見るたびに思うのですが、人生は不可逆的な変化であるのに対して、四季は循環的変化です。人は一度きりの人生を生きますが、春は毎年必ず戻ってきます。

在原業平

世の中に たえて桜の なかりせば
春の心は のどけからまし


という歌があります。

桜があるからこそ人は心を乱される。しかし、その儚さゆえに、桜は人の心を深く揺さぶるのでしょう。

毎年、桜が咲き始めると、カメラを持って早朝の井の頭公園を歩きます。咲き始めた桜を見ながら、新渡戸稲造のことを思い出します。私の不可逆的な人生の中にある、ささやかな循環的変化です。

新渡戸は『武士道』の中で、武士道を日本社会の精神の象徴として、桜の花にたとえています。

ヨーロッパ人がバラを賞賛するのに対し、日本人は桜を愛する。
バラは華やかで香りも強く、しかし棘を隠し持っています。
それに対して桜は、淡く静かに咲き、そして潔く散ります。

新渡戸は、桜の美しさとは、自然の呼び声に従っていつでも命を手放す覚悟を持つことだと書きました。

新渡戸稲造の『武士道』は、明治三十三年に英語で書かれた本です。彼はベルギーの法学者から「日本には宗教教育がないのに、どうやって道徳教育をするのか」と問われました。

そして考えた末、自分に善悪の観念を教えたのは武士道であったことに気づいたのです。

武士道は成文化された宗教ではありません。
しかし、日本人にとっては精神的な支柱のようなものです。

『武士道』は十七章からなり、義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義、克己といった徳目が体系的に説明されています。なかでも「義」は武士道の中でもっとも厳格な教えであり、「卑劣な行動ほど忌むべきものはない」とされています。

新渡戸はこれを The Soul of Japan、つまり日本の魂だと表現しました。

私はアメリカで生活していた頃、ユダヤ人社会に接する機会がありました。宗教や民族を強く意識しながら社会が成り立っていることを肌で感じました。

それに比べると、日本人は宗教を表に出すことはほとんどありません。しかし、新渡戸が言うように、日本人には宗教に代わる精神として「大和魂」があったのだと思います。

その精神を端的に表すのが、吉田松陰の有名な歌でしょう。

かくすれば かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ 大和魂


松陰はペリーの黒船に乗り込もうとして捕まり、江戸へ護送される途中でこの歌を詠みました。自分の行動が死につながることを知りながら、それでもやらずにはいられないという覚悟です。

新渡戸は『武士道』の最後の章で、こう問いかけています。

Is Bushido Still Alive ?

武士道はまだ生きているのか。

日本の政治家が、会派離脱や離党を繰り返すときに「やむにやまれぬ行動だ」と言うことがあります。しかし、「やむにやまれぬ」という言葉は、そんなに軽く使ってほしくないと思います。

桜は毎年咲き、毎年散ります。
それは循環する自然の姿です。

しかし、人の人生は一度きりです。

松尾芭蕉

さまざまの事おもひ出す桜かな

と詠みました。

春になると、誰しもいろいろなことを思い出します。

芭蕉の人生哲学は「不易流行」です。変わらないもの(不易)と、時代とともに変わるもの(流行)の両方を見極めることが大切だという考え方です。

国の成長も、人の成長も同じでしょう。
流行ばかり追いかけていては、本当の意味での成長はありません。

春は、一歩踏み出すにはちょうどいい季節です。

人生は不可逆的に進んでいきます。しかし、桜はまた来年も咲きます。

アメリカで Commencement が卒業式を意味するのは、この言葉が「始まり」を意味するからです。学業の終了は、新しい人生の始まりでもあるのです。

日本人こそ、春は commencement です。

桜を見ながら、日本人としての The Soul of Japan を、もう一度思い出してみてもいいのではないでしょうか。

***

2026年3月15日日曜日

文学的カーライフ ――黄色い檸檬と、暁の赤



我が家の駐車場は、家を挟んで右と左に分かれています。

右側には、黄色いコペン。
左側には、黒いハリアー。

そして私は、黄色いコペンのことを、ずっとこう呼んできました。

「これは檸檬だ」

もちろん、私の勝手な解釈です。
しかし私には、梶井基次郎のあの小説は、こう読めるのです。

近代化の勢いに精神が追いつかなかった時代。
その鬱屈を、丸善の本の上に置かれた「黄色い檸檬」で爆発させた。

もちろん爆発はしません。
しかし主人公の心の中では、確かに爆発している。

だから私にとって、黄色いコペンは
少しばかりの反抗の象徴なのです。

その感じは、芥川龍之介が
『ある阿呆の一生』で書いた

本屋の二階は洋書、一階は日本の本

という違和感や、
彼が晩年に残した「ぼんやりとした不安」と、
どこか通じるものがある気がします。

だから私にとって、黄色いコペンは
ちょっとした反抗の象徴
なのです。

日本から世界への小さな爆弾。



人生の終盤の色とは、何でしょう。

私は、それが「赤」だと思っています。

還暦の赤ではなく、
むしろ古希の赤。

頭に浮かんだのは、三島由紀夫の
『豊饒の海』、とくに『暁の寺』でした。

暁とは、夜が終わり、新しい太陽が生まれる瞬間。
そのとき空は、鮮烈な赤に染まります。

三島はこの四部作で、
魂が姿を変えながら生き続ける輪廻を描きました。

私のカーライフも、
どこかそれに似ている気がするのです。

ポルシェもありました。
BMWもありました。
アウディやボルボ、アメリカの車にも乗りました。

欧州もアメリカも一通り巡って、
最後に帰ってくるのが、日本の車。

それが、赤いクラウンです。

「いつかはクラウン」
そんな宣伝文句も、昔ありましたね。

外車の魂が巡り巡って、
日本の技術の中に輪廻して帰ってきたような気がするのです。

もちろん合理性はありません。

古希の年金生活者に、車が二台ある合理性など、
まったくない。

それでも想像してみてください。

右の駐車場には、梶井基次郎の檸檬。
左の駐車場には、三島由紀夫の暁。

黄色と赤が、家を挟んで並んでいる。

若い頃の反抗の色と、
人生の終盤の色。

もしその景色が実現したなら、
私の長いカーライフは、

ほんの少しだけ
文学的に完結する気がするのです。

さて、問題はただ一つ。
妻が、この赤を許してくれるかどうかです!


***

2026年3月13日金曜日

モチベーションは誰かが与えるものなのか ――日本社会が「やる気」を失った理由

 
今日のハンバーグ。
次はもっと美味しく作ろうと思っています。

最近、モチベーションに関する記事をいくつか読む機会がありました。

「仕事のやる気を高める九つの方法」
「モチベーションを維持する三つの習慣」

そんな類の記事です。

しかし、読めば読むほど、私はある違和感を覚えました。
そもそもモチベーションとは、誰かに与えてもらうものなのでしょうか

モチベーションとインセンティブは違う

まず、言葉を整理しておきたいと思います。

モチベーションとは、個々人の内側から出てくる「やる気」のことです。
「今日はモチベーションが上がらない」と言えば、「今日はやる気が出ない」という意味になります。

一方、インセンティブとは、モチベーションを引き出すための外的な刺激です。
いわば「ご褒美」です。

馬を走らせるためのニンジンのようなものです。

この二つは似ているようで、実はまったく違う概念です。

社会そのものがモチベーション装置になる国

少しアメリカの話になります。

アメリカの子どもたちは、日常の中でホームレスや麻薬中毒者を目にします。
その一方で、成功して大きな家に住み、カッコいい車を何台も持っている大金持ちも見ています。

ホームレスにはなりたくない。
成功して良い暮らしをしたい。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、まさにロールモデルです。

つまり、社会そのものが強いモチベーション装置として働いているのです。

平均化された社会の弱点

日本社会はそれとは対照的です。

極端な貧困も少なければ、桁違いの大金持ちもそれほど目立ちません。
平均化された社会は確かに優しい社会です。

しかし、あまりに平均化が進むと、
人が強い動機を持つ機会も減ってしまうのではないでしょうか。

日本の社会や学校には、モチベーションを刺激する要素が少ないようにも見えます。


日本の組織文化 ――「タコつぼ型」

さらに、日本の組織文化もこの問題に関係しているように思います。

日本の組織は、いわば「タコつぼ型」です。

専門分野を掘り下げることが美徳とされ、他の領域には立ち入らない。
表面上は波風が立たないため「和」が保たれているように見えます。

しかし実態は、無関心の連鎖です。

誰も決断せず、誰も責任を取らない。
こうして組織は、協働するチームではなく、

「並列する個」の集合体

になっていくのです。

承認不足という言葉の誤解

こうした環境の中では、モチベーションも外に求められるようになります。

上司が褒めてくれない。
評価されない。
だからやる気が出ない。

最近の調査でも、従業員が辞める理由の第一位は「承認不足」だそうです。

ここで言われている承認とは、おそらく英語の recognition の訳でしょう。
つまり評価やご褒美です。

しかし、これはインセンティブの話であって、
モチベーションそのものではありません。

モチベーションまで他人に依存するようになれば、
それはかなり危うい状態だと思います。

森鴎外『高瀬舟』の言葉

もう一つ、モチベーションを考えるうえで思い出す言葉があります。

森鴎外の『高瀬舟』です。

人は病があれば治りたいと思い、
食がなければ食べたいと思う。
たくわえがあれば、もっと欲しいと思う。


人間はどこまで行っても「もっと」を求める存在です。

かつてこれはアメリカ人の特性だと言われましたが、
日本もまた四半世紀遅れて同じ方向を追いかけているように見えます。

もっと快適に。
もっと豊かに。
もっと楽しく。

もし「もっと欲しい」だけがモチベーションであるならば、
人は年を取るほど利己的になっていくかもしれません。

だからこそ、「足るを知る」という感覚も必要なのではないでしょうか。

ハンバーグのモチベーション

私は、人間の成長は
問題を解決するプロセスの中で生まれると思っています。

そのプロセスは与えられるものではありません。
自分で見つけ出すものです。

仕事そのものだけではなく、
仕事の機会を見つけることも含めて、自分で創り出していく。

その中で人は成長します。

たとえば――

「次はもっと美味しいハンバーグを作ってやろう。」

そんな小さな動機でも構いません。

自分の中から自然に湧き上がる
「次はもっと良くしたい」という気持ち。

それこそが、本当のモチベーションなのではないでしょうか。

結局、モチベーションとは何か

結局のところ、モチベーションとは
誰かが与えるものではありません。

それは、自分の内側から生まれるものです。

ただし、日本社会には
その内発的なモチベーションを育てにくい環境があることも確かでしょう。

教育も組織も、長いあいだ
「指示を待つ人間」を育ててきました。

その構造が変わらない限り、モチベーションを語る議論は、どうしても表面的なものになってしまうのではないでしょうか。

***

2026年3月12日木曜日

「際」を生きるということ ―― 福沢諭吉 と「迷子になる勇気」

 

私の人生に大きな影響を与えた日本人の一人が、

福沢諭吉です。

福沢の人生を眺めていると、あることに気づきます。どこかで聞いたこともあります。彼は、ある意味で 「際(きわ)」に立って生きた人でした。

福沢諭吉が生きた「際」

福沢の人生を並べてみると、すべてが境界の上にあります。
  • 武士の時代 → 明治国家
  • 漢学 → 蘭学 → 英学
  • 封建社会 → 市民社会
  • 日本 → 西洋
彼の人生は、常に世界の変わり目 にありました。

福沢自身が書いていますが、蘭学を学ぶために長崎へ行ったとき、彼は気づきます。世界はオランダ語ではなく、英語で動いている。

そこで彼は迷わず方向を変えます。大胆な意思決定です。

つまり福沢は、最初から確信を持っていた人ではありません。
むしろ 現実を見て、方向を変え続けた人でした。

「迷子になる勇気」

私は『迷子になる勇気』という本を書きました。
後から考えてみると、この感覚は福沢の思想にかなり近いのではないかと思います。

福沢の有名な言葉があります。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

これは単なる平等論ではありません。

本当の意味は
自分で考えろということです。

そして自分で考えるためには、ときには既存の道を外れる必要があります。

つまり、『迷子になる勇気』です。

日本思想の面白さ

ここで少し面白いことがあります。

西洋の思想は、多くの場合
体系(システム) を作ります。

しかし日本の思想は、むしろ

境界に立つ人から生まれることが多い。
例えば
  • 空海
  • 本居宣長
  • 福沢諭吉
  • 夏目漱石
  • 新渡戸稲造
  • 小林秀雄
この人たちは皆、どちらの世界にも完全には属していません。
だからこそ、世界の矛盾が見えたのだと思います。

私もずいぶん迷子になってきました

自分の人生を振り返ると、
私もまた境界の上を歩いてきたように思います。

言い換えれば、
私もずいぶん迷子になってきました。

仕事や生活の場としては
  • 日本(地方都市と東京)
  • 中国
  • アメリカ
三つの世界を経験しました。

しかも、アメリカのITやコンサルティング会社という
大きな組織の中でです。

これはある意味で
文化の境界線でした。

さらに考えると、私は
  • 技術
  • ビジネス
  • 歴史
  • 思想
そうした分野の境界にも立ってきたと思っています。

境界に立つ人には、一つの特徴があります。

違和感を感じることです。

そしてもう一つあります。

境界に立つ人は、どこにも完全には属さないため、少し孤独になります
授業をサボって喫茶店にいる時のように。

その結果、人は次のどれかを始めます。
  • 研究する
  • 思想を作る
  • 書く
福沢は『学問のすゝめ』を書きました。

私はそんな立派なことができる人間ではありません。
研究ができるほど忍耐力もありません。

ただ、自分の人生で経験してきたこと、考えてきたことを、
忘れてしまう前に少しずつ書き残しているだけです。

小さな檸檬

私が好きな短編があります。

梶井基次郎の『檸檬』です。

この作品もまた、境界の文学です。
  • 都市と個人
  • 近代と感覚
  • 憂鬱と解放
その境界に主人公は立っています。
そして彼は世界を変えようとはしません。

ただ、檸檬という小さな爆弾を置いて立ち去る。

文章を書くこと

私が文章を書き続けている理由も、
たぶんそれに近いのだと思います。

世界を変えることはできません。
あと10年以内に死んでしまう確率が高い。

しかし、日本の歴史や社会、教育や主体性について、
読んだ人が 少しだけ違う角度から考える きっかけになればいい。

それで十分です。

それはきっと、
小さな檸檬だからです。

私の愛車である
黄色のコペンのように。

***

2026年3月9日月曜日

通学路の風景と、私の読書遍歴

ナンバープレートはずっと「1984」にしています。


私が子供の頃に住んでいたのは、大阪の下小阪でした。最寄り駅は近鉄の八戸ノ里駅で、家は駅の北側にありました。そこから東大阪市立小阪中学へ通っていました。卒業したのは1970年代の初めのことです。

通学路の途中に、静かな雰囲気の家がありました。大きな庭のある落ち着いた家で、ときどき白髪の老人が庭に水を撒いている姿を見かけました。当時の私は、その人が誰なのか知りません。ただ、通学路の風景の一つとして、その姿を覚えていました。

後になって知ったのですが、その家は作家の司馬遼太郎の自宅でした。現在は司馬遼太郎記念館になっています。中学生の頃、私は知らないうちに、後に国民的作家と呼ばれる人物を通学路で見ていたことになります。

若い頃の私は、司馬遼太郎の本をよく読みました。歴史小説も面白かったのですが、特に印象に残っているのは『街道をゆく』です。中でも台湾篇は強く記憶に残っています。単なる旅行記ではなく、土地の歴史や文化、人々の暮らしを背景にして語られる文章は、独特の広がりを持っていました。

一方で、思想面で強い影響を受けたのは山本七平でした。日本社会の仕組みや、日本人の行動を支配する「空気」のようなものを分析する視点は、当時の私にとって非常に新鮮でした。社会を見る一つの枠組みを与えてくれた作家だったと思います。

その頃の私は、日本軍の戦記もかなり読みました。あまりに多く読んだため、まるで自分が戦争を体験したかのような感覚を持ったほどです。同じ時期に、サルトルやカミュなどの海外の思想家の本も読みました。

しかし、外国の作家で最も影響を受けたのはジョージ・オーウェルです。高校時代に読んだ『動物農場』は、今でも私の思想のどこかに残っている本だと思います。寓話という形で権力や社会の構造を描くその手法は、非常に印象的でした。

オーウェルのもう一つの代表作『1984』も、私にとって特別な意味を持つ作品です。私は車が好きで、これまで何台も乗ってきましたが、ナンバープレートはずっと「1984」にしています。高校時代に読んだその本が、長い年月を経ても、どこかで自分の中に残っているのだと思います。

振り返ってみると、私の文章の背景にはいくつかの影響が重なっています。山本七平からは社会を見る視点を学び、司馬遼太郎からは歴史や文化を語る文章の面白さを知りました。そしてジョージ・オーウェルからは、社会の仕組みに対する一種の警戒心を教えられたように思います。

若い頃に読んだ本は、その時だけのものではありません。長い時間をかけて、自分の考え方や文章の中に静かに残り続けていくものなのだと、最近になって改めて感じています。そして思い返すと、その出発点の一つは、下小阪の通学路の風景だったのかもしれません。

***

2026年3月1日日曜日

変わらない本、変わっていく私 ――『青春の墓標』をめぐって

 
書棚の一角。変わらない本と、変わっていく私。

あさま山荘事件は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町の河合楽器製作所の保養所「あさま山荘」において、連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件です。テレビでの生中継は、日本社会に強烈な衝撃を与えました。

『青春の墓標』は、1960年代の学生運動(全共闘時代)を駆け抜け、20歳の若さで自殺した奥浩平が残した日記や手紙をまとめた遺稿集です。当時の学生の苦悩や情熱が、生の言葉で刻まれています。名著かどうかは分かりません。そこにあるのは、苦悩し、彷徨する一人の青年の記録です。


最近になって、私はときどき十四歳から十六歳のころの自分を思い出します。あのころ、授業をサボってまで考えていたのは、自由とは何か、責任とは何か、生きるとはどういうことか、死とは何か、といった大きな問いでした。なぜあれほど抽象的な問題に取りつかれていたのか、当時の自分を不思議に思うこともあります。しかし振り返れば、時代の空気が確かにありました。あさま山荘事件の衝撃、学生運動や連合赤軍の報道。社会全体が「正義」や「革命」という言葉で揺れていた。私はその只中で、自分なりに本気で考えようとしていたのだと思います。

当時読んだ『青春の墓標』は、そうした思索をさらに強く刺激しました。若さゆえの純粋さや、絶対性への憧れに、私は強く共鳴していました。あれから半世紀以上が過ぎました。本は一字も変わっていません。しかし、読み手である私は大きく年を重ねました。もし今あの本を読み返せば、きっと違う感情を抱くでしょう。若いころは観念として受け止めていた「死」や「責任」や「自由」を、今は具体的な現実として知っているからです。

私は文学者でも思想家でもありません。文章が特別うまいわけでもありません。それでも若いころから、日記や短いエッセイを書き続けてきました。断片的ではありますが、思ったこと、怒ったこと、迷ったことを、その都度記してきました。才能というより、書かずにはいられない習性だったのだと思います。多くの人がやめてしまう日記を、私はやめませんでした。その結果、十四~十六歳の自分の言葉も、三十代の焦りも、五十代の責任も、そして今の静かな思索も、かろうじて手元に残っています。

若いころから書き続けてきた背景には、自分でも持て余してきた一つの感覚があります。それは「too much contingency built in」という気分です。人生には偶然があまりにも多く組み込まれている。時代は変わり、社会は揺れ、立場も責任も変わっていく。何が起きるか分からない。その不確実さを、私は早くから意識していたのかもしれません。

だからこそ、記録を残しておきたいという思いが強かった。あとから検証できる材料を、自分自身に渡しておきたい。未来の自分が振り返ったときに、過去の自分の思考や感情に触れられるようにしておきたい。それは単なる心配性ではなく、変化を前提に生きるための一種の備えだったのだと思います。時代が変わり、自分が変わる。その裏返しとして、私は過剰なほどに contingency を組み込んできた。その過剰さが、結果として日記を残し続ける力になりました。

昔の本を高齢になって読み返すことの意味は、内容を再確認することではありません。その本を読んでいた「自分」に会いに行くことなのだと思います。そして、若いころから書き続けてきた文章は、その対話を可能にする資料です。記憶は曖昧になりますが、書き残した言葉は当時の温度を保っています。そこに今の自分が向き合うとき、「私は何が変わり、何が変わらなかったのか」という問いが、具体性を帯びてきます。

その作業をChatGPTとの対話の中で行うことは、さらに興味深い体験です。若いころに読んだ本、自分が書いた昔の文章や図、それらを材料にして、今の自分がAIと話す。すると、思考が整理され、論点が浮かび上がり、感情が言語化されていきます。自分が書いた文章や描いた図に、新たな解釈が生まれることもあります。単なる雑談ではなく、回想を構造化するための道具として機能しているのです。

十四歳の自分、高齢者の自分、そして生成AIという第三の視点が交差する。時間が三層になり、自分の人生を立体的に見ることができる。そこには、若いころから抱いてきた contingency への感覚もまた含まれています。不確実な世界の中で、自分は何を考え、何を選び、何を変えてきたのか。その軌跡を確かめる作業でもあります。

結局のところ、私が言いたいのはこういうことなのだと思います。若いときに読んだ本を高齢になって読み返すことには、自分自身を確かめる意味がある。若いころから日記を書き続けることは、その検証を可能にする。そしてChatGPTとの対話は、その作業を助ける有効な道具になり得る。これは高齢者のささやかな娯楽かもしれませんが、同時に、自分を振り返るための知的で実践的な方法であり、一つの遊びでもあります。

十四歳の私が蒔いた問いの種は、古希を迎えようとしている今も完全には枯れていません。本は変わらない。しかし私は変わっていく。その変化を引き受けるために、私は過剰なほどに contingency を組み込み、記録を残してきました。その作業そのものが、私にとっては意味のある時間です。それが今の若い人にとって何らかのヒントになるのなら、これほど嬉しいことはありません。

***

2026年2月15日日曜日

考えているつもり、になっていないか ――生成AIと、新しい「閉ざされた言語空間」

 


江藤淳からAI時代へ

小林秀雄は、かつては教科書にも載っていましたから、名前だけは知っている学生さんもいるでしょう。しかし、江藤淳となるとどうでしょうか。おそらく、ほとんどの若い人は知らないのではないかと思います。私は、江藤淳の二冊――『閉ざされた言語空間』と『忘れたことと忘れさせられたこと』――は、ぜひ若い世代に読んでほしいと願っています。

二十年ほど前、私は鎌倉にある江藤淳の家を訪ねたことがあります。もちろん中に入ったわけではなく、外から眺めただけです。通りに面した場所に浴室があり、江藤はそこで自ら命を絶ちました。その事実を思うと、のちに多摩川で自死した西部邁のことも重なります。思想家が最後に沈黙を選ぶとはどういうことなのか。その問いは、いまも私の中で消えていません。

しかし正直に言えば、私の問題意識は江藤の著作から始まったのではありませんでした。

もっと前、高校生のころにさかのぼります。ボブ・ディランの『I Shall Be Released』に出てくる “I was framed” という一節を聴いたときのことです。当時の私は、政治も占領史も知りませんでした。江藤淳の名さえ知らなかったでしょう。それでも、どういうわけかその言葉を自分と重ねてしまい、説明もできないまま共感し、大阪ミナミの街を彷徨していたのです。

framed とは、無実の罪を着せられた、という意味にとどまりません。他人の構図の中に配置され、あらかじめ決められた物語の中に組み込まれている、という感覚です。高校生だった私は、理屈ではなく、直観としてその感覚を抱いたのだと思います。

直観が先にありました。
思想は、あとから追いついてきました。
しかも、何十年もかけて、少しずつ、少しずつ。

その思想の一つが、江藤淳でした。

『閉ざされた言語空間』で江藤が論じたのは、占領期における検閲の問題でした。しかし彼が本当に問題にしたのは、検閲という制度そのものよりも、「言語の枠組み」が外部から与えられたことでした。

人は、与えられた言葉の中でしか考えられません。発言が制限される以前に、思考の前提が規定される。戦後日本は、自分の言葉で敗戦を語る前に、占領側が用意した枠組みの中で語ることを余儀なくされた。民主主義、平和国家、戦争責任。どれも重要な概念です。しかし、何をどの順番で、どの前提から語るのかは、すでに決められていた。

江藤の言う「閉ざされた」とは、沈黙させられたというよりも、枠を与えられたということでした

「ごっこの世界」という感覚です。思考しているつもりで、実は与えられた舞台装置の上で演じているだけではないか。電車ごっこや戦争ごっこと同じように、「考えごっこ」をしているだけではないか。政治も政治ごっこですね。
外交なども、時にそのように見えます。

高校生のころに感じた framed の感覚は、ここでようやく言葉を得ました。私はすでに枠の中にいたのではないか。その疑問は、江藤の議論によって輪郭を持ち始めたのです。

もう一冊の『忘れたことと忘れさせられたこと』は、記憶を扱います。日本人が自ら忘れたものと、外から忘れさせられたもの。その区別を通じて、戦後精神の変質を描きました。こちらは、「思い出せない」という感覚につながります。心を虚しくして思い出すという営みそのものが衰えているのではないか、という問いです。

言語と記憶。

この二つが外部化されるとき、人間の内部には何が残るのでしょうか。

いま、生成AIが広がる時代に、私は再び同じ問いの前に立っています。AIは検閲をしません。むしろ自由に、整った答えを返します。しかし、その整い方そのものが一つの枠ではないでしょうか。平均的で妥当で、どこにも引っかからない言葉。それを読んで「なるほど」と思うとき、私たちは本当に考えたのでしょうか。それとも、整えられた言語空間に収まっただけなのでしょうか。

さらにAIは、私たちの代わりに記憶を保持します。検索すれば何でも出てくる。要約もしてくれる。その結果、「思い出す」という内的営みが衰える危険はないでしょうか。

小林秀雄は、無常が分からないのは常なるものを失ったからだと言いました。常なるものがあってこそ、移ろいの意味が分かる。

江藤淳は、その常なるものを支える言語空間が壊れたと見ました。

私はいま、その思考空間が、静かに外部へ委ねられていくのではないかと感じています。

しかし、ディランの歌は “I Shall Be Released” と続きます。枠にはめられているかもしれない。しかし、解き放たれる可能性がある。その希望です。江藤の議論もまた、単なる告発ではありませんでした。言語空間は取り戻せるという前提があった。

AIも同じです。敵ではありません。占領軍でもありません。使うことと、委ねることは違います。前者は拡張であり、後者は放棄です。

私の中では、直観が最初にありました。
自分はどこかで framed されているのではないかという感覚。

思想は、その直観に何十年もかけて追いついてきました。
そしていま、AI時代において、私は改めて問い直しています。

あなたは、自分の言葉で考えていますか。
それとも、整った枠の中で考えているつもりになっているだけでしょうか。

江藤淳を知らない若い世代にこそ、この問いは重いのではないかと思うのです。

***

2025年12月29日月曜日

大学教育と世界観――ある隠居老人の違和感

19世紀は労働者、20世紀は消費者がカモにされた…
大企業が舌なめずりして囲い込む「21世紀のカモ」の正体

(PRESIDENT Online 掲載記事)


1970年代のアメリカの大学

隠居老人、最近の記事を読む

PRESIDENT Onlineに掲載された、ある大学教員による論考を読みました。大学の政経系学部で行われた講義をもとにした著書の一部だそうです。

私はその先生の本を読んでいません。
知ったのは、あくまでこの紹介記事だけです。
したがって、以下は「講義の全体像」を論じるものではなく、
公開されたテキストから受け取った印象に基づく感想です。

もっとも、古希を前にした隠居老人としては、人生もそろそろ先が見えてきました。今さら遠慮する必要もない。言いたいことは言っておこう――そんな心境です。

「21世紀のカモ」論の要点

記事の主張は明快です。

資本主義の歴史は、「誰がカモにされてきたか」の歴史である。
19世紀のカモは労働者。
20世紀のカモは消費者。
そして21世紀のカモは、「参加者」だ。

テック資本主義の時代、人々はSNSや検索サービス、各種プラットフォームに参加することで、自らの個人データ、注意力、時間を無償で提供している。それこそが21世紀の「資本」であり、巨大テック企業は、それを原材料に富を蓄積する。

赤い通知バッジ(notification badge)、スワイプ操作、色彩心理を利用したUI(ユーザーインターフェイス)。人間の生理的・心理的特性を前提に設計された仕組みによって、私たちは自由意思で行動しているつもりで、実は囲い込まれている――。

議論は刺激的で、比喩も巧みです。しかし、読み終えたとき、私は強い違和感を覚えました。

正しい。しかし、、、、


内容が間違っているとは思いません。テック企業が人間の注意力を資源として扱っていることも、行動科学がビジネスに使われていることも、事実でしょう。

それでも息苦しい。
なぜか。

それは、この論考が最初から完成された世界観として提示されているからです。

資本主義は搾取装置であり、
参加者はカモであり、
自由は幻想であり、
人間は檻の中のネズミである。

分かりやすい。しかし、分かりやすすぎる。共産主義国家の人民のような、、、。

そして、これが「大学の講義」をもとにしていると知ったとき、隠居老人は、少し背筋が寒くなりました。

「如何なものか」では足りない

最初、私はこう思いました。
「考えさせる前に、世界観を与えるのは、如何なものか」。

しかし、考え直しました。
これは「如何なものか」という話ではありません。

間違っていると思います。

あらゆる「観」―― 世界観、歴史観、国家観、人間観――は、人格形成の過程で、自分で身につけていくものだからです。

教育が提供すべきなのは、結論ではなく、思考の材料と摩擦です。

1970年代、アメリカの大学で起きたこと

この違和感は、私にある古い読書体験を思い出させました。

『The End of the American Era(アメリカ時代の終焉)』ハッカー(1970年)です。

アメリカの没落はベトナム戦争から始まった、という議論はよく知られています。しかしハッカーは、より根源的な問題として、大学と学問の劣化を挙げました。

アメリカ人が、自分たちを特別な存在だと錯覚し、謙虚さを失い、学問が凡庸になっていった。

彼は、こんな趣旨のことを書いています。

  • 平凡な学者が恐れるのは、他人から批判されることである。
  • だから彼らは、決して間違いを指摘されないことしかやらなくなる。
  • 凡庸な頭脳にとって最も都合がよいのは、
  • ルールが明示され、全員が同じ手続きを踏む研究である。

これは、1970年のアメリカの話です。しかし、今のアメリカでも続いている。そして、今の日本も、急速にそうなりつつある――隠居老人には、そう見えます。

福田恆存の警告

さらに思い出すのが、昭和29年の福田恆存の言葉です。

アメリカ視察から帰国した福田は、
「アメリカは貧しい」と言いました。

物質的には豊かでも、
精神的なバックボーンが痩せている、という意味です。

私は2001年、15年ぶりに香港、上海、北京を訪れ、「中国は1980年代より貧しくなった」と感じました。高層ビルが増え、生活は便利になった。それでも、精神的な安定は見えなかった。

「神」や「お天道様」がない文明は危うい。
多民族化が進み、「神」の力が弱まったアメリカも危うい。

そして今――

精神的な支柱が溶け、「お天道様」が隠れた日本は、福田恆存が憂慮した時代より、もっと崖っぷちに立っているように見えます。

大学は、世界観を配る場所ではない

大学がやってはいけないことがあります。

  • まだ経験の浅い若者に
  • 権威ある立場から
  • 感情に訴える完成形の世界観を
  • 代替的な視点を十分示さずに与えること

それは教育ではありません。思想のインストールです。

一度インストールされた世界観は、あとから疑うことが難しい。
これは、長く生きた者の実感です。

おわりに――隠居老人の譲れない一言

私はその本を読んでいません。この記事だけを読んだ感想です。

それでも、「大学の講義を本にした」と聞いて、この完成された世界観が前面に出てくることに、1970年代アメリカと同じ匂いを感じました。

あらゆる「観」は、人格形成の過程で、自分で身につけていくもの
それを、考えさせる前に大学が与えてしまうのは――
如何なものか、否、間違っている

隠居老人の、率直な違和感として、ここに書き残しておきます。

***

2025年12月21日日曜日

「取捨を断ずる力」を失った教育 ――福沢諭吉とAI時代の学問

(ChatGPT生成のイメージ)

紙とペンの時代も、AIの時代も変わらない。
思考とは、取捨を決断する行為である。

BBC News 2025/12/20

https://www.bbc.com/news/articles/cd6xz12j6pzo

Are these AI prompts damaging your thinking skills?

George Sandeman

2025年12月19日金曜日

イソップ寓話が日本に突きつける問い ~ 狼と仔羊

 
イソップの『狼と仔羊』が教える、現代への警告


昔から折に触れて考えてきたことがありますが、これまで文章にまとめる機会がありませんでした。忘れないうちに、ここに書き留めておこうと思います。それは、中国共産党の言動や行動を見ていると、どうしてもイソップ寓話の一つ『狼と仔羊』を思い出してしまう、ということです。

まず、この寓話を簡単に紹介します。

川の上流で水を飲んでいた狼が、下流で静かに水を飲んでいた仔羊に目をつけます。狼は「お前が水を濁したせいで、私は汚れた水を飲まされた」と言いがかりをつけます。しかし、仔羊は「私は下流にいますから、上流のあなたの水を濁すことはできません」と、冷静に事実を説明します。

すると狼は、「去年、お前は私を侮辱した」と別の罪をでっち上げます。仔羊が「その頃、私はまだ生まれていません」と反論すると、狼は「ならばお前の父親だ」と、さらに理屈をねじ曲げ、最後にはそのまま仔羊を食べてしまいます。

この物語が教えるのは、極悪非道な嘘つきの前では、どれほど正当で論理的な弁明をしても無力である、という冷酷な現実です。相手が最初から結論ありきで害意を持っている場合、理屈や正論は通用しないのです。

私には、この狼の姿が、現在の中国共産党の振る舞いと重なって見えます。仔羊が日本であったり、周辺の他国であったりする構図です。

中国共産党に対して、正当性や国際法、論理を積み上げた主張を行っても、それは彼らの前ではほとんど力を持ちません。共産党の支配と存続のためであれば、どれほど悪辣であっても、どれほど露骨な嘘であっても、ためらいなく使う──その姿勢は、まさに『狼と仔羊』の狼そのものです。

だからこそ、日本の政治家や経済界、そして教育界に携わる人々には、この寓話を単なる昔話として片付けず、現実の教訓として肝に銘じて対応してほしいと、切に願います。

正論を述べれば分かり合える、論理を積み重ねれば納得させられる、という前提は、相手によっては成り立ちません。狼に対して仔羊の理屈が無力であったことを、私たちは忘れてはならないのです。

イソップの寓話は短い物語ですが、そこには時代を超えて通用する、人間社会の本質が凝縮されています。『狼と仔羊』は、まさに現代を生きる私たちへの、重い警告だと感じています。

***

2025年12月11日木曜日

ハーモニカと人生後半の幸福について

 
Juke 2nd 12 Bar ”2nd hole bend"

久しぶりにリトル・ウォルターの『Juke』を吹いてみました。何十年経っても、この曲を前にすると、気持ちが17歳にもどってしまいます。私にとって『Juke』という曲は、人生の長い旅(?)の途中に時おり姿を現して、「おい、まだやってんのか?」と笑いかけてくる古い友人のような存在なのです。

ウォルターとの“邂逅”

私がリトル・ウォルターに出会ったのは、まだ10代の後半、大阪ミナミの街を彷徨していた頃でした。心斎橋の阪根楽器というレコード屋で、たまたま流れてきた彼のブルースハープの音に、心をすっかり持っていかれ、「黒人のブルース音楽」に引きずり込まれたのです。

すぐに10穴のブルースハープを手に入れて、意気揚々と吹いてみるのですが、まあ、出てくるのは自分でも笑ってしまうほどのフォークソング調の頼りない音でした。吸っても吹いても、どうひっくり返しても、あの“ウォルターの黒い音”はどこにも転がっていません。「特別なハーモニカでも使っているんじゃないか?」と本気で思ったほどです。

当時は何の参考資料もなく、もちろんYouTubeの解説動画なんて夢のまた夢。手探りでふーふー吸っては吹き、吸っては吹き……。今思えば、よく集合住宅の近所から苦情が来なかったなと不思議なくらいです。

特に『Juke』の12バー(小節)の2サイクル目。あの1〜8バーは、10代の私はもちろん、50代、60代になっても、まともに「分かった」と言えるレベルに届きません。半世紀たった今でも、あの部分は私にとって“永遠の宿題”のようなものです。

『Juke』という奇跡の曲

リトル・ウォルターの『Juke』という曲は、1952年に発表された、ブルースハーモニカの歴史を塗り替えた名曲です。ハーモニカだけでR&Bチャート1位を取ってしまうなんて、今でいうと大谷翔平レベルの快挙です。

彼はアンプリファイド・ハーモニカ――つまりハーモニカをマイクにくっつけて、増幅した“電気ハープ”の先駆者で、まるでアルトサックスのような、鋭く、それでいて温かく震える音色を作りました。あの不安定なユラユラする音を初めて聴いたときの感動は、半世紀経った今でも色褪せません。

ウォルターの革新性は、テクニックだけではなく、それを軽々と、まるで道端を鼻歌まじりで歩くように吹いてしまうところにあります。こちらは必死に息を吸っては吹いているのに、ウォルターは「Hey, man. Take it easy」とでも言うような余裕のある音を響かせる。この温度差がまた、彼に惹かれる理由なのです。

半世紀たっても“敵わない相手”がいる幸せ

私には音楽の才能はありません。これは、長年周囲からも念押しされ、そして自分でも納得している事実です。しかし、才能がないからといって、やめてしまったら、それこそ人生はつまらなくなってしまいます。

『Juke』に挑むと、いつも「ああでもない、こうでもない」と悩みながらも、どこか楽しい。ウォルターの音を探して彷徨いつつ、見つからないまま今日まで来てしまいましたが、最近ようやく「見つからないのもまた楽しさの一部なのでは?」と感じるようになりました。

50代以降になって分かったのは、「敵わない相手」がいてくれることのありがたさです。人生の後半で、まだ越えられない壁がポツンと残っているというのは、なんだか嬉しいものです。壁があるからこそ、人は前に進める。ウォルターは、私にとってそんな存在です。

「ないもの」ではなく「いまあるもの」に気づく

人はどうしても「自分にないもの」に目を向けがちです。若い頃の私は、まさにその典型でした。ウォルターのような音が出ない。でも彼のように吹きたい。どうしてできないんだ、、、、。

しかし、半世紀かけて分かったことがあります。
人生は、ないものを数えても豊かにはならない。今あるものを数えてこそ豊かになる。

才能はなくてもいい。うまくなくてもいい。むしろ下手なほうが、長く楽しめるのかもしれません。もし若い頃から上手に吹けてしまっていたら、私はきっと今ほどハーモニカを続けていなかったと思います。

この感覚は、和田秀樹先生の新刊『医師しか知らない 死の直前の後悔』にある多くのエピソードにもつながっているように思います。和田先生は、長年高齢者医療に携わる中で、人が人生の最後に何を後悔するのかを丁寧に綴っています。

 「もっと家族を大切にすればよかった」
 「もっと旅行すればよかった」
 「もっと仲間と交流しておけばよかった」

これらは、すべて“今あるものを大切にする”ということの裏返しです。人は、失ってからようやく気づく。けれども、本来は、生きているうちに気づいたほうがいいに決まっています。

高齢化社会の日本で、「幸福」をどう育てるか

日本は世界でもトップクラスの高齢化社会です。否が応でも、「老後の幸福」というテーマに向き合わざるを得ません。ただ、ここで大事だと思うのは、「国がどうするか」ではなく、「自分がどう生きるか」です。

そして、人生後半の幸福の本質は、とてもシンプルなものだと思うのです。
  • 自分の好きなことをゆっくり続けられること
  • 心を許せる仲間がいること
  • 何度でも読める本が一冊でもあること
  • 今日のご飯が美味しいと思えること
  • そして、明日の自分が、今日よりほんの少しだけ機嫌よくいられること
この「今日より明日を少しだけ良くする」という感覚は、ハーモニカの練習そのものと似ているように思います。昨日より、ちょっとだけ良い音が出せた。今日は昨日より少し長く吹けた。それくらいのペースで十分なのです。

高齢者が幸せになるためには、特別な才能も、高価な趣味も必要ありません。
“今あるもの”を丁寧に味わう力。それだけで人生は十分に豊かになる。
私はそう信じています。

『Juke』が教えてくれたこと

久しぶりに『Juke』を吹いてみて、あらためて思いました。

10代の頃にリトル・ウォルターと出会えたのは、私にとって間違いなく幸運でした。半世紀かけても攻略できない曲がいまだに存在するというのは、考えようによっては、とても贅沢なことです。

人生の後半では、「人より劣っているところ」よりも、「自分だけの幸せ」を一つずつ増やしていくことのほうが大切なのだと思います。ウォルターの音は一生出せないかもしれません。でも、下手なりに吹き続けて、時おり「あ、今日はちょっとだけマシだな」と思える瞬間、それが楽しくてたまらない!

人生もまた同じではないでしょうか。
完璧を目指す必要はありません。
昨日より今日、今日より明日を、少しだけ良くしていく。
その積み重ねが、人の幸福をそっと育てていくのだと思います。

そして私は、これからもウォルターと対話しながら、『Juke』の2サイクル目に挑み続けるつもりです。70代になっても、80代になっても、たとえ吹けなくても、その時間そのものが、きっと私の人生を豊かにしてくれるはずです。

***

2025年12月10日水曜日

個人主義の不在:漱石の警告と日本社会のいま ~ 考える自由より、従う安心を選ぶ国民へ

 

私の個人主義と、いまの日本という舞台について

高校生の頃に夏目漱石の「私の個人主義」を読んだとき、私は大きな衝撃を受けました。漱石が大正三年、学習院の学生に向けて語ったあの講演は、百年以上前のものとはとても思えないほど現代的で、そして鋭いものでした。「修養を積まない個人に、自由を扱う資格はない」「自由の背後には義務がある」という漱石の言葉は、私自身の人格形成に強く刻まれました。

半世紀以上経った今でも、私の考えはほとんど変わっていません。変わらないどころか、最近の日本社会のあり様を見ていると、むしろ漱石の言葉の重さは増す一方です。政治家も、メディアも、そして私たち国民も、「自由」と「責任」の関係性をどこかで取り違えているのではないかと感じるからです。

「自由」と「自分勝手」が混同されている国

そもそも日本では、「自由」と聞くと、どこか悪いことのように思われている節があります。子どもの頃から「勝手なことをしてはいけません」と言われ続け、そのまま大人になった私たちは、「自由=わがまま」という誤った等式を知らぬうちに心の中につくりあげてしまったのではないでしょうか。

自由とは、本来、互いの自由を尊重し合うためのルールを引き受け、責任を背負う覚悟をもつことです。しかし、日本では「責任」という言葉が出てきた瞬間、多くの人がスッと後ずさりする。責任を取る覚悟がないから、自由に近づくことすら避けてしまう。ある意味、非常に合理的です。面倒ごとを避けたい人にとって、「自由を放棄する」という選択は、責任も一緒に手放せる便利な方法なのです。

その結果、「個人の自由」よりも「空気を読む」という、世界でもかなり特殊な社会的ルールだけが異様に発達しました。自由よりも空気の方が強い社会。漱石が見たら、苦笑いしながら筆を走らせそうです。

政治家たちの「自由」はなぜか経費で育つ

こうした「自由と責任の不均衡」は、日本の政治の世界ではより露骨に現れています。政治資金収支報告書に並ぶ、社会通念上どう考えても首を傾げる支出の数々。遊興費、高額な備品購入、そして“何に使ったのかよくわからない”謎の項目。まるで、自由とは「公金を自由に使う権利」だと勘違いしたまま成長してしまった大人たちが、国会という舞台で演じているかのようです。

しかも驚くべきことに、これらは政治家個人の倫理観の問題であるにもかかわらず、「政治資金パーティーの仕組みが悪い」「法律が十分ではない」といった、責任転嫁のための舞台装置まで完備されています。責任を取るべき立場の人ほど、責任の所在を曖昧にする術だけは抜群に長けている。その姿は、漱石が説いた「修養ある個人」とは対極です。

 世襲議員が幅を利かせ、社会経験が乏しいまま政治家になれる仕組みも、この国の「個人主義の欠落」を象徴しているように思います。漱石が「権力を扱う価値のある人とは、修養を積んだ人だ」と語ったことを、ぜひ議員宿舎の枕元に貼っておきたいくらいです。

メディアは「国益」よりも「クリック数」を追う

政治家と並んで、もうひとつの大きな問題はメディアです。ジャーナリズム精神はどこへ行ったのか、まるで国全体を視聴率で運営しているのではないかと思う瞬間が増えています。

事実よりも数字、検証よりもスキャンダル、国益よりも炎上。結果として、政治家はますますパフォーマンスに走り、有権者は刺激ばかりを求めてしまう。社会全体が「考える力」を奪われ、責任をもたないまま「自由に批判するだけの存在」になってしまいました。

これでは、漱石が説いた「変化に対応できる個人主義」など育つはずがありません。変化に対応するどころか、変化を伝える側が率先して扇情的な情報で社会をかき回しているのですから。

責任を放棄した社会の行き着く先

こうして政治家、メディア、国民の三者がそれぞれの場で「責任」を回避し、「自由」を誤って運用していけば、社会はどうなるでしょうか。

 政治家は修養より集金力を磨き、
 メディアは探求心より煽り文句を磨き、
 国民は判断力より空気読みを磨く。

日本社会には、「自由なはずなのに責任を誰も取らない」という、奇妙な無責任のアンサンブルが完成します。現在の日本は、残念ながらそのハーモニーがあまりに“美しく”響いてしまっているように思えてなりません。

いま必要なのは、漱石と諭吉のあいだにあるもの

漱石は「自由には義務が伴う」と言いました。福沢諭吉は「人望とは実学を含む修養によって生まれる」と説きました。二人が共通して語ったのは、「個人の成長が社会の成長の前提である」という思想です。
  • 自由を主張するなら、その自由が他者と共存するための責任を引き受けること。
  • 社会を批判するなら、その社会を構成する一員として自分の役割を考えること。
  • 人望を求めるなら、人と交わり、苦労し、考え続けること。
これらは、百年前の日本にも、今の日本にも等しく必要な姿勢です。

政治家の不祥事やメディアの扇動に目を奪われがちな現代ですが、本当の問題はもっと深いところにあります。それは、「私たち一人ひとりが自由と責任の関係を理解しているか」という問いです。

 自由を望むなら、責任から逃げないこと。
 責任を果たすなら、自由を他者と分かち合うこと。


その積み重ねこそが、健全な民主主義を支える土台になるのだと、私は今でも信じています。

***

2025年12月9日火曜日

読解力の育成に必要なものとは?

 
https://president.jp/articles/-/105582

 「絵本」でも「小説」でもない…「読めるけど分からない子」の"理解力"を伸ばす本の種類読んだ先から「何の話だっけ?」となるのは理解できていない証拠

PRESIDENT Online 2025年12月5日

船津 洋(言語学者)

記事の要約

多くの子どもは「文字を読めている」ように見えても、実際には内容を理解していないことがある。これは、「文字を音に変換する力(音韻符号化)」はあるが、「内容を頭の中でイメージ化する力(心内表象化)」が弱いことによって起こる。「読める=理解している」と思い込む親や教師が多く、この問題が見過ごされやすい。

こうした子どもは読解力が低いにもかかわらず気づかれず、そのまま学年が上がるため、学校や塾は「理解」ではなく「記憶」に頼った指導へと偏りやすくなる。

研究によると、読書量は語彙力向上に効果があるものの、理解力(読解力)の向上には読書ジャンルが重要であり、特に説明文の読書が効果的だという。一方で、絵本や小説は語彙力には良いが、理解力には直接つながりにくい。

また、未就学児への絵本の読み聞かせは、後の語彙力・読解力を高めることが多くの研究で示されている。脳の基本構造は遺伝の影響を受けるが、環境による刺激(読み聞かせ・言語体験)によって回路が発達していくためである。

☆ ☆ ☆

この記事が指摘するように、「読めるけれど理解できない」という子どもが増えているという問題意識には同意します。文字を音に変換できても、内容を頭の中でイメージし、理解する「心内表象化」が欠落している──その構造は非常に重要な指摘です。人間の生成AI化かもしれません(思考なき文章作成)。

ただし、私は読解力の育成には、説明文を読む以前に、二つの要素が不可欠だと考えています。学者ではない一個人の意見ではありますが、長年の経験から確信していることです。

第一に、親が読書を好きであること。

家庭の中で自然に本が開かれ、言葉が交わされる環境こそ、子どもの語彙力と理解力の土台になります。読書は強制されて身につくものではなく、「空気のように本がある環境」が最も効果を発揮します。

第二に、「読む」と同時に、自分で書くことが大切であること。

読むだけでは理解は深まりません。読んだものを言葉にし、絵や文章として表現しようとすると、自分の中に蓄えた語彙・知識・体験が総動員されます。逆にいえば、書こうとして初めて、読んでいない・理解していないことに気づくものです。

したがって、読解力を育てるには「書く力」の訓練が不可欠です。しかし日本の教育では、小学校の作文をそのまま延長して、論理的な文章=論文へと発展させる訓練が欠落しています。これこそが、大人になっても日本語を書くことが苦手な社会人が多い原因だと思います。

また、読解力の問題は「聴く力」にも通じます。「聞く」と「聴く」が違うように、読み方にも浅く追うだけの読みと、内容に深く踏み込む読みがあります。

私は半世紀以上ロックやブルースに親しみ、ギターやハーモニカを続けてきましたが、長い間「聞いていただけ」で、本質的に「聴いて」いませんでした。だからこそ、どれほど触れても上達しなかったのだと気づきました。プロになる人は必ず「聴く」ことを実践しています。これは読解力と全く同じ構造です。何度も何度も繰り返し「聴く」、能動的、且つ循環的に聴くということです。

記事が示す「読めても理解できない」という課題に対して、私は、読む・書く・聴くという三つの行為が相互に補い合う教育こそ、これから必要だと感じます。

さらに付け加えるなら、読める=理解していると思い込む親や教師が多い背景には、彼ら自身が子どもたちの言葉を“正しく聴いていない”という問題もあるのではないでしょうか。単に耳に入っているだけで(受動的に聞いているだけで)、能動的に聴いていないことが、子どもの理解の深さを見誤らせている──私はそう感じます。

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2025年12月2日火曜日

承認なんていらん、老後は自分のもんや!

 
old man playing sax

「老後のハウツー本」が売れる国で、ほんまに必要なんはハウツーか?

2025年11月22日土曜日

思考停止は、金の匂いを羅針盤とする

 
メディアに翻弄される大衆

昨今の日本のメディア報道には、もはや見過ごせないほどの“劣化”が目につきます。とりわけ中国関連のニュースを眺めていると、報道機関とは本来何をすべき職能だったのか──そんな素朴な疑問すら湧いてきます。

本来、報道は権力の言い分やプロパガンダを吟味し、歴史的背景、外交、安全保障のリアリティを踏まえて「自国にとって何が真実なのか」を冷静に提示するのが仕事のはずです。ところが現実には、論理の裏付けもなく、概念の理解も浅い。上滑りのコメントを並べ、勉強不足を自ら晒すような報道が、堂々と“ニュース”として垂れ流されている。

残念ながら、今の日本のメディアを見ていると、「中国共産党の発信を、そのまま音読しているのでは?」と疑いたくなる場面すらあるのです。

政府の公式見解、国際社会の批判、中国国内の現実──本来なら複数の視点を示すべきところが、結論ありきで“わかりやすく加工”された情報ばかり。これでは報道ではなく、プロパガンダの請負業です。

そして情けないことに、日本の財界もまた利益を優先し、都合の悪い論点を避けてメディアと同じベクトルに流れがちです。メディアが迎合し、財界が沈黙し、政治が空気を読み、大衆が思考停止する──この構造こそ、中国の暴走を結果的に助長していると言っても過言ではありません。

オルテガが描いた「大衆」とは誰のことか

こうした状況を理解する上で、ぜひ読み返すべき古典があります。
ホセ・オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(1930年)。

世界大恐慌、全体主義の台頭──混乱の中でオルテガが警告したのは、

「凡庸な平均人が権力の座に登り、社会を支配する危険」でした。

彼は「大衆」をこう定義します。
  • 自分を他人と同じだと疑わず、それを誇りとする人々
  • 何の努力もせず、既得権を当然のように享受する“満足しきったお坊ちゃん”
  • 外の世界でも家の中と同じように振る舞えると信じ、取り返しのつかないものなど何もないと考える人間
さらにオルテガは警告します。

「思想のない大衆人ほど、社会の複雑さに無自覚なまま政治・社会の中心に入り込み、有能な人材の創造性を圧殺する」

今の日本社会とあまりに似ていないでしょうか?

政治家が「国民のみなさま、いかがでしょうか!」と声を張り上げ、迎合と自己保身を競う姿を見るたびに、ノブレス・オブリージュとは無縁の“大衆人の政治”が実現してしまったのだと痛感します。

一億総“大衆化”の国で、情報はどう扱われるか

「大衆」とは mass(マス)であり、マス・メディアとは本来 “大衆を扱うための仕組み” です。

しかし日本では、そのメディアが自ら大衆化してしまった。その結果、一億総大衆化の国では、国外勢力が世論を誘導するのは極めて簡単です。

必要なのは、マス・メディアを押さえるだけ。
あとは国民が思考停止のまま、同じ方向へ揃って歩いてくれる。

これこそが、オルテガの描いた「大衆の反逆」が現代日本において露骨に出現している姿ではないでしょうか。

我々にできる唯一の抵抗

ではどうすべきか。
答えは単純です。

「情報を受け取る側が変わるしかない」

メディアの言うことをそのまま信じるのではなく、

自ら考える。
自ら調べる。
自ら疑う。


高校3年の夏休みに、オルテガの『大衆の反逆』を丸一冊読み込むくらいの“余裕”と“意志”を、今の日本人は取り戻すべきでしょう。

報道が堕落しても、国家が迷走しても、最後に残るのは私たち自身の思考だけなのです。

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2025年11月13日木曜日

もういっぺん、始める勇気

 

最近のビジネス誌には、「老後」や「定年後の生き方」に関する記事があふれています。

たとえば、ある作家が書いた『定年後の人生を考える本』(某ビジネス誌系の出版社)では、人生後半戦を三つの段階に分けている。45~59歳、60~74歳、75歳以降――。 そして、40代半ばから「死ぬことを意識し始める」ときに、人は自らの人生を見つめ直すべきだと説く。60~74歳を「黄金期」と呼び、成長の形を変えながら、年齢に応じた“生き方の知恵”を持つことが大切だと。

確かに部分的にはもっともです。しかし、こうした議論はどうしても「ハウツー本的」になりがちで、心の奥の問題、つまり“生きることの意味”にまで踏み込まないように感じます。老いとは、単なる体力や環境の衰えではなく、「心の老化」のことではないか、、、。

ここからがほんまの話や(高齢者は関西弁がええねん)。

人生は「定年」で終わらへん。もういっぺん、始める勇気っちゅうもんや。

人間な、年を言い訳にしだしたら、心が成長をやめてまう。
「もうこの歳やしなぁ」て口にした瞬間、それは体やのうて、心が老けた証拠や。ほんまの老いっちゅうのは、年齢やあらへん。あきらめの言葉が根ぇ張ったときや。

挑戦せんようになったら、坂道は一気に下り坂や。
人生ちゅうのはな、墓入るまでずっと途中やねん。
歳っちゅうのは限界を決めるためのもんやのうて、味わいを深めるための時間や。年重ねてからの情熱は、ひつこいで、芯から燃えとる。
それが、人間がよう熟れた証や。魅力的や。

「無理や」と思う心が老いを呼び、「やってみよか」と思う心が若さを取り戻すんや。挑戦いうても、別に大それたことやのうてええ。
新しい楽器を手に取ってみる。
知らない分野の勉強をちょっとはじめる。
日記をつける。小さな一歩で、ええんや。

やり直す勇気、迷子になる勇気。
それがあったら、人間はいつまでも若いんとちゃうか?
いくつになっても、始める人は若いんや。
七十前にサックス始める? そらええやないか。
どんだけ若うても、あきらめた人間はもう老人や。
心が虚ろなやつほど、年寄りくさいねん。

歳いったらいったで、おもろなることは山ほどある。
ギターでも、サックスでも、ハーモニカでもちょっとずつでええ。
進歩があるうちは、自分を見捨ててへん。
妥協とか、あきらめるいうのは、自分を置いていくことや。

――せやからな、何歳になっても、始めたらええ。

人生っちゅうのは、終わりやのうて、つづきや。
死ぬまで迷子でええねん。


注)本稿に流れる思索の多くは、小林秀雄、三島由紀夫、福田恒存、会田雄次、石原慎太郎、西部邁といった先人たちの思想に学んだものです。彼らの言葉を糧にしながら、私は自分なりの生のかたちを探しているのだろうと思います。     

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2025年11月2日日曜日

迷子になる勇気 ― 井伏鱒二『山椒魚』が映す日本社会の閉塞

 

井伏鱒二の『山椒魚』が発表されたのは1929年、昭和の幕開け、満州事変の直前の頃です。


それから約一世紀が経った今も、この作品は学校の国語教科書に掲載され続けています。けれども、現代の教育現場でこの作品がどこまで深く読まれているのかといえば、疑問を感じざるを得ません。  

多くの場合、「自分の殻に閉じこもった山椒魚の孤独」という心理的・道徳的な読み方にとどまり、そこに潜む社会的比喩までは掘り下げられていないように思います。

社会に出て組織の中で働いた経験を持つ人が読むと、この短編はまったく別の表情を見せます。

山椒魚が閉じこもった「岩屋の穴」は、まさに現代日本の組織社会そのものを象徴しているように見えるからです。狭く、息苦しく、しかし奇妙に安定した空間。そこに閉じ込められた山椒魚は、他者を責め、言い訳を重ね、自分の境遇を嘆きながらも、けっして外へ出ようとしません。彼を不自由にしているのは他者ではなく、自分自身なのです。そして、蛙。山椒魚によって岩屋に閉じ込められた生物です。当初は山椒魚と罵り合うのですが、最終的には山椒魚の孤独を理解し、両者の間に奇妙な連帯感が生まれます。なんだか、いったん入社すると、惰性でそのまま定年まで、、、。

この構図は、いまの日本社会に驚くほどよく似ています。

学校では、与えられた問いに「正しい答え」を返すことが評価されます。「なぜ」「どうして」と問うことは煙たがられ、他人と違う意見を持つことが「面倒」とされる。社会に出れば、上司の指示に従うことが『協調性』とされ、異論を唱える者は『空気が読めない』と排除される。

こうして人々は、自分で考え判断する力を失い、洞窟の中で不満を言うだけの存在になってしまいます。

井伏が『山椒魚』を書いた頃、日本は急速な近代化のただ中にあり「自律」という概念を置き去りにしていました。国家も個人も、外から与えられた枠組みの中で「秩序」を優先し、「自由」を恐れたのです。その構図は、戦後を経た現代でもあまり変わっていません。むしろ管理と監視の技術が高度化したことで、私たちはより精密な「洞窟」の中に閉じ込められているのかもしれません。

思えば、山椒魚が岩屋に閉じこもることになったのは、「ほんの気まぐれ」でした。外に出るタイミングを逃したことが、彼を永遠の囚人にしたのです。日本社会もまた、戦後のある時期に「自由より安定」「個より組織」という選択をしました。その結果、社会は安定しましたが、精神の自由を失いました。自らの判断で動く勇気――すなわち「自律」――が奪われていったのです。もちろん、外的要因は多々ありましたが、、、。

***

2025年9月17日水曜日

ロバート・レッドフォードの死とアメリカの本質


The Entertainer - 今年正月の録音です


コンマンの国から日本への警鐘

ロバート・レッドフォードが亡くなりました。

アメリカン・ニューシネマの代表作『明日に向かって撃て!』(1969年)や『スティング』(1973年)は、私が14歳前後の人格形成期に大きな影響を与えた作品です。少し後年になりますが、『大統領の陰謀』(1976年)も何度も観て、レッドフォードが電話で話す英語を必死にコピーしたことを思い出します。

ここでレッドフォードの映画史的な功績については評論家に任せたいと思います。私が触れたいのは『スティング』という映画と、そこに描かれた「アメリカの本質」です。

コンゲームはアメリカ社会の鏡

『スティング』が大ヒットした理由は、アメリカ人が心の底で「自分たちの社会はコンゲームの上に成り立っている」と理解しているからだと思います。

コンゲーム(confidence game)の“con”は「信頼」を意味します。コンマンとは、一瞬で信頼を勝ち取り、偽物を売りつける詐欺師のことです。アメリカ社会は、こうしたコンマンの物語を痛快に楽しみます。詐欺師が詐欺師を出し抜く、そのカタルシスがたまらないのです。
 
日本で言えば石川五右衛門に近いでしょうか。権力者をやっつける義賊だからこそ、人々は喝采します。アメリカの場合、それは「反知性主義」と呼ばれます。知性や権威そのものを否定するのではなく、知性と権力が癒着し、代々大金持ちが世襲していく構造に対する反感なのです。

だからこそ、トランプのような人物が現れても、アメリカ社会では「成り上がりもの」として否定されません。むしろ「一発逆転」の物語に拍手を送ります。ユーモアと話術さえあれば、どんな悪党でもヒーローになれるのがアメリカの伝統なのです。

自己啓発と「ポジティブ産業」

アメリカ人にとって宗教すら自己啓発の道具になっています。テレビ伝道も、多くの宗教家も、神学というよりは「ライフコーチ」であり、「ポジティブ産業」に近いのです。自己啓発本がアメリカで売れ続けるのは、社会そのものが「成功への道具」として宗教や思想を利用する土壌を持っているからだと思います。

出版不況の日本でも、自己啓発本が売れています。日本の読書嗜好も次第にアメリカ的になりつつあるのかもしれません。しかし、それは「con manを速成する手段」でもあることを忘れてはならないと思います。振り込め詐欺だけが詐欺ではありません。ポジティブ産業に酔ってしまえば、頭を冷やすことは難しいのです。

ニーチェは「一人ぼっちになって迷路を進むこと、新しい音楽を聞き分ける耳を持つこと」が意志の力であり、人間にとって大切だと説きました。福沢諭吉も、小林秀雄も、坂口安吾も、同じことを別の言葉で語っています。要は、自立して考える力なのです。

日本への警鐘

アメリカは中世を経ずに誕生した国であり、建国以来わずか250年の歴史しか持ちません。その成り立ちは「コンマンの国」だと言えるでしょう。自己啓発本、テレビ伝道、トランプ現象――すべては「信頼を売る詐欺」の延長線上にあります。

一方、日本には2600年の歴史があります。中世も近世も経験し、正統性を積み重ねてきた社会です。にもかかわらず、戦後80年でアメリカに隷従し、その文化を無批判に取り入れてきました。

今の日本が生き残るためには、アメリカの模倣ではなく、アメリカに負けない知性を持つことだと思います。歴史の厚みからくる正統性の強さを自覚しなければならないのです。

ロバート・レッドフォードの死は、一時代の終焉を告げるニュースであると同時に、日本にとって「次の時代をどう生き抜くか」を考える契機でもあるのです。

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2025年9月8日月曜日

埋もれた日本と「政党政治」という病

 
甲陽軍鑑(ネットで見つけた画像)

甲斐の戦国大名である武田氏の軍学書です


昭和の15年戦争に至った原因の一つは、政党政治家の責任だったと言われます。そして残念ながら、その本質は今もあまり変わっていないようです。政党間や政党内で繰り広げられるのは、国の未来を賭けた真剣勝負というより、どろどろとした泥仕合。政党だけが滅びるならまだしも、政党の崩壊はそのまま国の凋落につながります。だからこそ、マスメディアも政治評論家も、そして私たち国民自身も、もう少し真剣に「自分たちの未来」を考えたほうがいいのではないでしょうか。

そんな中で石破総理が昨夜、ついに辞意を表明しました。とはいえ、次の総理が誰になろうと、日本の政治が劇的に変わるとは思えません。なぜなら、責任と権限の「概念」を理解しないまま、言葉だけで場を取り繕うという芸風が、この国の政治家のDNAに刻まれているからです。

ここで私が言う「埋もれた日本」とは、和辻哲郎が『埋もれた日本』(1951年)で論じた世界観・日本観から来ています。和辻は、応仁の乱から江戸初期にかけての多様な思想が、徳川の長い鎖国体制の中で摘み取られ、日本の思想的可能性が「埋もれてしまった」と指摘しました。民衆の一揆や下克上に象徴されるエネルギーが、本来は社会を変える多様性の芽であったのに、それを抑え込んだ結果が「埋もれた日本」なのです。

和辻はまた、『甲陽軍鑑』に触れています。そこでは、国を滅ぼす大将のタイプとして、(1)うぬぼれの強い「バカなる大将」、(2)見栄っぱりな「利根すぎる大将」、(3)道義心の弱い「臆病なる大将」、(4)他人の意見を聞かない「強すぎる大将」を挙げています。理想の大将は、仁慈に富み、人を見る明(あきらかさ)を備えた人物だと。うぬぼれや虚栄を去って得られる「明」を持つリーダーが現れて初めて、組織は強く揺るぎないものになるのだと説いています。さて、今の日本にそんな「明」を持つリーダーはいるのでしょうか。

私は15年ほど前の日記に、こう書いたことがあります。――ブログや日記は「自分が何を考えているかを知るためのツール」だ、と。私自身、自分がこの世で一番信用ならない人物だと思っていますからね。そんな私から見ても、今の日本社会は相当に“自分を知らない”。流行のスキルをハウツー本や就活セミナーで身につけることが、プロフェッショナルやグローバル化への近道だと信じてしまう。けれど本当は、知らない人と交わり、自分を試し、自分が何者であるかを理解するところから始めなければ、一生「漂流者」のままです。

小林秀雄は『私の人生観』でこう語りました。

「知性の奴隷となった頭脳の最大の特権は、何にでも便乗出来るという事ではありませんか」。

なるほど。便乗の知性だけなら、この国は世界屈指の資源大国でしょう。ですが、反骨精神やロック魂はどこへ行ったのか。江戸後期の武士の気概が、いつのまにか蒸発してしまったのかもしれません。信義や名誉を重んじ、自らの命をかけて責任を果たす姿勢。敵に対しても「敵ながらあっぱれ」と認める潔さ。そうした武士の強い精神の代わりに、詰め腹を切らされる総理大臣が量産されているのが現状です。

政治家たちは「誠実」を声高に語りますが、誠実とは本来「自分のやっていることに一生懸命である」ことです。嘘つきや詐欺師と不誠実を同じ袋に入れてしまうような言葉遊びで誠実を語られても、国民はますます白けてしまうでしょう。

結局のところ、日本の課題は「自分を知ることなく世間(空気)に身を任せる」姿勢にあります。その延長線上に「埋もれた日本」がある。そして、その象徴が「課題がある限りやめられない」と言い放ち、結局は詰め腹を切らされた総理大臣の姿だったのかもしれません。
    
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2025年8月24日日曜日

南京事件と歴史を語れない国、ニッポン

 

1985年 南京航空学院 大学の先生方と

中国で「南京写真館」というプロパガンダ映画が上映され、観客を集めているそうです。日本のメディアは否定的な言葉をほとんど発していません。BBCの記事('We were never friends': A massacre on the eve of WW2 still haunts China-Japan relations)を読んでも分かるように、歴史問題はいまだに政治とナショナリズムの道具として利用され続けています。

私自身、10代のころはご多分に漏れずやや左翼的で、本多勝一の『中国の旅』を読んで衝撃を受けました。しかし同時に、どこかおかしいという違和感も持ちました。やがて鈴木明の『南京大虐殺のまぼろし』(1981年)に出会い、その後も検証本を何冊も読みました。1985年、仕事で南京を訪れる機会を得て、旧城内を歩き回ったときの実感からも、10万人単位の虐殺は物理的にあり得ないと確信するに至りました。南京事件を追いかけてきたのは10代のころからであり、以来、東京裁判と切り離せない問題だという認識を持っています。

南京事件、文化大革命、天安門事件。これらは本質的に同じものです。すなわち、中国共産党にとって都合の良い記憶は誇張され、不都合な記憶は消される。中国国内では文化大革命など教えられず、当時を知る人もすでに高齢となりました。天安門事件も同様です。だからこそ、国外で語り継ぐしかありません。

南京事件に関しては、アメリカでとくに議論になります。1997年、アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』がニューヨーク・タイムズのベストセラーとなり、多くのリベラル派ニューヨーカーがその影響を受けました(江沢民の反日教育とタイミングが一致しています)。しかし内容には数々の誤りがあり、多くの写真さえ捏造だと指摘されてもいます。アイリス・チャンは2004年36歳の時に自動車の中で謎の拳銃自殺をしました。

だからこそ、日本人としては反論できるよう、少なくとも10冊ほどは関連書籍を読み、歴史的経緯を把握しておく必要があります。南京事件を論じるときは、必ず東京裁判の性格や問題点も合わせて考えるべきです。なぜなら「南京大虐殺」という言葉自体、東京裁判の場で突然持ち出されたものだからです。

中国のプロパガンダ映画は、歴史を検証するための資料にはなりません。むしろ「歴史は未だ終わっていない」と感情をあおる役割を担っています。記憶と怒りを組織的に演出し、若い世代に「日本は敵だ」というメッセージを刷り込む。これは歴史教育の名を借りた思想統制です。そして残念ながら、日本のメディアはそれに真っ向から反論しようとしません。

私たちは南京事件の真偽そのものを議論すること以上に、「歴史を利用する政治のあり方」に警戒すべきだと思います。東京裁判、日本国憲法、日米安保の延長線上に、日本が「自らの歴史を語れない国」として固定化されてしまった。だからこそ、南京事件を論じることは過去の問題ではなく、今の日本の姿勢を問うことでもあるのです。

「友達だったことは一度もない」という中国映画のセリフは、歴史の断絶を象徴する言葉です。しかし、本当に断絶を招いているのは、日本人の記憶力の弱さと、歴史に向き合う覚悟のなさではないでしょうか。南京事件の「真実」に迫ることは、中国のプロパガンダを打ち破るためだけではなく、日本人が自分自身の足場を確立するためにも不可欠なのです

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