2026年3月14日土曜日

自律的キャリア形成は本当に可能なのか

 
キャリアの分岐点。あなたはどちらの道を選びますか?

最近、人材育成の分野でよく耳にする言葉の一つに「自律的キャリア形成の支援」があります。かつてのように会社がキャリアのレールを敷くのではなく、社員一人ひとりが自分の将来を主体的に設計し、会社はそれを支援する。そうした関係がエンゲージメントを高め、企業と個人の双方に利益をもたらすという考え方だそうです。

理念としてはもっともらしく聞こえます。実際、欧米の企業ではジョブ・ポスティング制度やキャリア面談、リスキリング支援などが整備され、個人が主体的にキャリアを選択する仕組みが広がっています。しかし、この考え方がそのまま日本社会に根付くのかと問われると、私は少し疑問を感じます。

なぜなら、日本の教育環境と社会構造は、そもそも自律的なキャリア形成を前提としていないからです。日本人の多くは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そして就職と、ほぼ一貫して「用意されたレール」の上を歩んできました。自分で道を選ぶというより、制度の中で与えられた選択肢を選び続けてきたと言った方が正確でしょう。

私は十年ほど前の年末に、コンサルティングという仕事についてブログに書いたことがあります。コンサルティングの世界では、プロジェクトのことを「エンゲージメント(engagement)」と呼びます。仕事は一人ではできません。むしろ、ジャズやブルースのジャム・セッションのように、他者との関わりの中で価値が生まれるものです。そこで問われるのは、「どのように参加するか」という姿勢です。

フランスの哲学者サルトルは、人間は「アンガジュマン(engagement)」、すなわち関与の中で生きている存在だと言いました。私の理解では、それは「人は一人では生きられない」という意味です。そして同時に、人は主体的に世界に参加する責任を負っている、ということでもあるのでしょう。

ところが、日本の組織ではこの「参加」がしばしば形骸化します。ガバナンスやコンプライアンスの名のもとに監視が強まり、人は言われたことをこなすことに忙殺されます。それは一見すると秩序ある組織運営のように見えますが、別の見方をすれば、主体的な関与、すなわちエンゲージメントを放棄している状態とも言えます。

そうした環境の中で、突然「自律的にキャリアを設計してください」と言われても、多くの人は戸惑うのではないでしょうか。主体的に生きる訓練を受けてこなかった人にとって、それは簡単なことではありません。

サルトルは、人間は自由であるがゆえに不安を抱える存在だと言いました。自由とは、同時に責任を引き受けることでもあります。自分の人生を自分で選ぶということは、失敗の責任もまた自分で引き受けるということです。だからこそ、人は自由でありながら、自由であることに恐れを感じるのです。

現在の日本で語られている「自律的キャリア形成の支援」は、この自由と責任の問題を十分に議論しないまま制度化されているように見えます。社内公募制度やキャリア面談、リスキリング支援などの仕組みは整いつつあります。しかし、それだけで人が主体的に生きるようになるわけではありません。

本来のエンゲージメントとは、制度によって作られるものではなく、人が自らの意思で世界に関わろうとする姿勢から生まれるものです。言い換えれば、それはキャリアの問題というより、人がどのように人生を生きるかという問いに近いものです。

企業がキャリア支援制度を整えること自体は悪いことではありません。しかし、日本社会の教育や組織文化が変わらない限り、それは表面的な制度改革に終わる可能性もあります。

自律とは、制度が与えてくれるものではありません。本来は、人が自分の人生に責任を持つところから始まるものです。

そして、その覚悟を持った人だけが、本当の意味でキャリアを「形成する」と言えるのではないでしょうか。

***

2026年3月13日金曜日

モチベーションは誰かが与えるものなのか ――日本社会が「やる気」を失った理由

 
今日のハンバーグ。
次はもっと美味しく作ろうと思っています。

最近、モチベーションに関する記事をいくつか読む機会がありました。

「仕事のやる気を高める九つの方法」
「モチベーションを維持する三つの習慣」

そんな類の記事です。

しかし、読めば読むほど、私はある違和感を覚えました。
そもそもモチベーションとは、誰かに与えてもらうものなのでしょうか

モチベーションとインセンティブは違う

まず、言葉を整理しておきたいと思います。

モチベーションとは、個々人の内側から出てくる「やる気」のことです。
「今日はモチベーションが上がらない」と言えば、「今日はやる気が出ない」という意味になります。

一方、インセンティブとは、モチベーションを引き出すための外的な刺激です。
いわば「ご褒美」です。

馬を走らせるためのニンジンのようなものです。

この二つは似ているようで、実はまったく違う概念です。

社会そのものがモチベーション装置になる国

少しアメリカの話になります。

アメリカの子どもたちは、日常の中でホームレスや麻薬中毒者を目にします。
その一方で、成功して大きな家に住み、カッコいい車を何台も持っている大金持ちも見ています。

ホームレスにはなりたくない。
成功して良い暮らしをしたい。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、まさにロールモデルです。

つまり、社会そのものが強いモチベーション装置として働いているのです。

平均化された社会の弱点

日本社会はそれとは対照的です。

極端な貧困も少なければ、桁違いの大金持ちもそれほど目立ちません。
平均化された社会は確かに優しい社会です。

しかし、あまりに平均化が進むと、
人が強い動機を持つ機会も減ってしまうのではないでしょうか。

日本の社会や学校には、モチベーションを刺激する要素が少ないようにも見えます。


日本の組織文化 ――「タコつぼ型」

さらに、日本の組織文化もこの問題に関係しているように思います。

日本の組織は、いわば「タコつぼ型」です。

専門分野を掘り下げることが美徳とされ、他の領域には立ち入らない。
表面上は波風が立たないため「和」が保たれているように見えます。

しかし実態は、無関心の連鎖です。

誰も決断せず、誰も責任を取らない。
こうして組織は、協働するチームではなく、

「並列する個」の集合体

になっていくのです。

承認不足という言葉の誤解

こうした環境の中では、モチベーションも外に求められるようになります。

上司が褒めてくれない。
評価されない。
だからやる気が出ない。

最近の調査でも、従業員が辞める理由の第一位は「承認不足」だそうです。

ここで言われている承認とは、おそらく英語の recognition の訳でしょう。
つまり評価やご褒美です。

しかし、これはインセンティブの話であって、
モチベーションそのものではありません。

モチベーションまで他人に依存するようになれば、
それはかなり危うい状態だと思います。

森鴎外『高瀬舟』の言葉

もう一つ、モチベーションを考えるうえで思い出す言葉があります。

森鴎外の『高瀬舟』です。

人は病があれば治りたいと思い、
食がなければ食べたいと思う。
たくわえがあれば、もっと欲しいと思う。


人間はどこまで行っても「もっと」を求める存在です。

かつてこれはアメリカ人の特性だと言われましたが、
日本もまた四半世紀遅れて同じ方向を追いかけているように見えます。

もっと快適に。
もっと豊かに。
もっと楽しく。

もし「もっと欲しい」だけがモチベーションであるならば、
人は年を取るほど利己的になっていくかもしれません。

だからこそ、「足るを知る」という感覚も必要なのではないでしょうか。

ハンバーグのモチベーション

私は、人間の成長は
問題を解決するプロセスの中で生まれると思っています。

そのプロセスは与えられるものではありません。
自分で見つけ出すものです。

仕事そのものだけではなく、
仕事の機会を見つけることも含めて、自分で創り出していく。

その中で人は成長します。

たとえば――

「次はもっと美味しいハンバーグを作ってやろう。」

そんな小さな動機でも構いません。

自分の中から自然に湧き上がる
「次はもっと良くしたい」という気持ち。

それこそが、本当のモチベーションなのではないでしょうか。

結局、モチベーションとは何か

結局のところ、モチベーションとは
誰かが与えるものではありません。

それは、自分の内側から生まれるものです。

ただし、日本社会には
その内発的なモチベーションを育てにくい環境があることも確かでしょう。

教育も組織も、長いあいだ
「指示を待つ人間」を育ててきました。

その構造が変わらない限り、モチベーションを語る議論は、どうしても表面的なものになってしまうのではないでしょうか。

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2026年3月12日木曜日

「際」を生きるということ ―― 福沢諭吉 と「迷子になる勇気」

 

私の人生に大きな影響を与えた日本人の一人が、

福沢諭吉です。

福沢の人生を眺めていると、あることに気づきます。どこかで聞いたこともあります。彼は、ある意味で 「際(きわ)」に立って生きた人でした。

福沢諭吉が生きた「際」

福沢の人生を並べてみると、すべてが境界の上にあります。
  • 武士の時代 → 明治国家
  • 漢学 → 蘭学 → 英学
  • 封建社会 → 市民社会
  • 日本 → 西洋
彼の人生は、常に世界の変わり目 にありました。

福沢自身が書いていますが、蘭学を学ぶために長崎へ行ったとき、彼は気づきます。世界はオランダ語ではなく、英語で動いている。

そこで彼は迷わず方向を変えます。大胆な意思決定です。

つまり福沢は、最初から確信を持っていた人ではありません。
むしろ 現実を見て、方向を変え続けた人でした。

「迷子になる勇気」

私は『迷子になる勇気』という本を書きました。
後から考えてみると、この感覚は福沢の思想にかなり近いのではないかと思います。

福沢の有名な言葉があります。

天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

これは単なる平等論ではありません。

本当の意味は
自分で考えろということです。

そして自分で考えるためには、ときには既存の道を外れる必要があります。

つまり、『迷子になる勇気』です。

日本思想の面白さ

ここで少し面白いことがあります。

西洋の思想は、多くの場合
体系(システム) を作ります。

しかし日本の思想は、むしろ

境界に立つ人から生まれることが多い。
例えば
  • 空海
  • 本居宣長
  • 福沢諭吉
  • 夏目漱石
  • 新渡戸稲造
  • 小林秀雄
この人たちは皆、どちらの世界にも完全には属していません。
だからこそ、世界の矛盾が見えたのだと思います。

私もずいぶん迷子になってきました

自分の人生を振り返ると、
私もまた境界の上を歩いてきたように思います。

言い換えれば、
私もずいぶん迷子になってきました。

仕事や生活の場としては
  • 日本(地方都市と東京)
  • 中国
  • アメリカ
三つの世界を経験しました。

しかも、アメリカのITやコンサルティング会社という
大きな組織の中でです。

これはある意味で
文化の境界線でした。

さらに考えると、私は
  • 技術
  • ビジネス
  • 歴史
  • 思想
そうした分野の境界にも立ってきたと思っています。

境界に立つ人には、一つの特徴があります。

違和感を感じることです。

そしてもう一つあります。

境界に立つ人は、どこにも完全には属さないため、少し孤独になります
授業をサボって喫茶店にいる時のように。

その結果、人は次のどれかを始めます。
  • 研究する
  • 思想を作る
  • 書く
福沢は『学問のすゝめ』を書きました。

私はそんな立派なことができる人間ではありません。
研究ができるほど忍耐力もありません。

ただ、自分の人生で経験してきたこと、考えてきたことを、
忘れてしまう前に少しずつ書き残しているだけです。

小さな檸檬

私が好きな短編があります。

梶井基次郎の『檸檬』です。

この作品もまた、境界の文学です。
  • 都市と個人
  • 近代と感覚
  • 憂鬱と解放
その境界に主人公は立っています。
そして彼は世界を変えようとはしません。

ただ、檸檬という小さな爆弾を置いて立ち去る。

文章を書くこと

私が文章を書き続けている理由も、
たぶんそれに近いのだと思います。

世界を変えることはできません。
あと10年以内に死んでしまう確率が高い。

しかし、日本の歴史や社会、教育や主体性について、
読んだ人が 少しだけ違う角度から考える きっかけになればいい。

それで十分です。

それはきっと、
小さな檸檬だからです。

私の愛車である
黄色のコペンのように。

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2026年3月11日水曜日

「他人と比べない」は本当に可能か ――日本の教育を変えるために必要なもう一段上の視点

 
日本の教育は「他人と比べるな」と言いながら、
偏差値という序列の中で子どもたちを競わせている。

最近、長年教師を務め、海外の日本人学校でも教え、いまは帰国子女の支援などをされている方の文章を読みました。おそらく私と同じか、少し上の世代の方だと思います。教育の現場を長く見てこられた方らしく、非常に示唆に富む内容でした。

その中で紹介されていたのが、「分断支配(Divide and Rule)」という考え方です。弱い立場の人々を互いに競わせることで、支配する側が統治しやすくする古典的な戦略です。帝国主義の時代には、宗教や階級で住民を分断することがよく行われました。日本の江戸時代の「士農工商」も、似たような構造を持っていたと言われています。

筆者は、現在の日本社会には、この「分断」の仕組みが偏差値という形で広がっているのではないかと指摘していました。誰もが少しでも上へ、少しでも「勝ち組」へと競争することで、社会の枠組みそのものを疑わなくなるというわけです。

この指摘には、私も基本的に賛成です。

そして筆者は、その対抗策として「他人と比べない」という姿勢の大切さを語っています。人はそれぞれ違う環境で生まれ育ち、持っている資質も違うのだから、他人と比較すること自体があまり意味のないことだというのです。

これも、まったくその通りだと思います。

ただ、ここで私は一つだけ言いたいことがあります。

「他人と比べない」という精神論だけでは、日本の教育は変わらないのではないか、ということです。

そもそも日本の子どもたちは、偏差値による序列の中で育っています。入試も就職も、基本的にはその延長線上にあります。「他人と比べるな」と言いながら、「一点でも高い点を取れ」と言われ続ける。これは子どもたちの責任ではありません。明らかに社会の仕組みの問題です。

学校、教師、文部科学省、受験制度、塾産業、そして親。すべてが相互にもたれ合う形で、この仕組みを維持しています。誰もが「仕方がない」と言いながら、結果として何も変えようとしない。ある意味で巨大な既得権益構造になっていると言ってもいいでしょう。日本の政治もよく似ています。

もちろん、教師個人の努力不足や経験不足という問題はあると思います。しかし、それを教師だけの問題にしてしまうと、本質を見失います。問題は教育システムそのものです。

私は長い間、海外で働いてきました。アメリカでも中国でも、多くの若い人たちと仕事をしました。そこで感じたのは、教育の違いというよりも、「主体性」の違いでした。自分で考え、自分で決めるという感覚が、日本の若者よりもずっと強いのです。

その背景には、もちろん社会の構造があります。日本のように、若い頃の試験の結果がその後の人生を大きく左右する社会では、どうしても「失敗しないこと」が優先されます。結果として、挑戦よりも安全な選択をする人が増えてしまうのです。

記事の最後に、帰国生の少年のエピソードが紹介されていました。彼はよく「It is what it is」と言っていたそうです。最初は「現状を受け入れるだけでは何も変わらない」と叱ったそうですが、実は彼の意味は違っていました。「自分に与えられた条件を最大限に生かす」という意味だったのです。

周りに合わせるつもりはない。自分の良心に従って生きる。
まだあどけない顔の少年のその言葉に、筆者は励まされたと書いていました。

私も、その話には希望を感じます。
ただ同時に思うのです。

こういう若者に期待するだけではなく、私たち大人の世代こそ、もう少し教育の構造そのものについて声を上げるべきではないかと。特に教育に従事している大人は。

子どもたちに「他人と比べるな」と言いながら、社会の入口では偏差値による序列を強制する。この矛盾を放置したままでは、日本の教育は変わらないと思います。

戦後80年が過ぎました。そろそろ私たち大人が、教育の仕組みそのものについて本気で考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

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2026年3月10日火曜日

世界がきな臭いとき、日本はいつも平和である

 

日本列島が、ひょっこりひょうたん島みたいに海を漂えたらいいのだが。

世界情勢も、もう少し気楽に眺められる。


イスラエルがガザを攻撃した、イランが報復するかもしれない、ホルムズ海峡が緊張している――そんなニュースが世界を駆け巡っています。2009年1月の話です。


テレビをつけると、専門家が地図を指しながら解説していますが、正直に言うと、中東の問題はなかなか簡単には理解できません。

無理もありません。
この地域の対立は、近代の政治というより、はるか昔の宗教と歴史にさかのぼる話だからです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。

三つとも同じ源流を持っているのに、聖地をめぐって二千年以上も争い続けています。人間というのは、信じるもののためならどこまでも戦える生き物らしい。宗教というものの力の大きさを思い知らされます。

もっとも、日本人にはこの感覚がなかなか分かりません。
日本には宗教がないわけではありませんが、神社もあればお寺もあるし、クリスマスも祝う。お正月には初詣に行って、結婚式は教会で、葬式は仏式という具合です。世界の宗教の人たちから見たら、かなり不思議な民族でしょう。

だから中東のニュースを見ていると、どうしても距離感があります。
「また戦争をしているのか」と思いながら、その横で日本では、花粉症の話とか、桜の開花予想とか、野球、そんなニュースも同じ調子で流れています。

世界がきな臭くなるほど、日本の空気は妙にのんびりしているように感じるのです。

もちろん、日本はこの問題と無関係ではありません。
石油のほとんどを中東に頼っている以上、ホルムズ海峡が封鎖されれば日本経済は大きな打撃を受けます。遠い国の戦争のように見えても、日本の生活とはしっかりつながっています。

それでも日本人の感覚は、どうも中東の人たちとは違います。
宗教や歴史のために戦争をするという感覚が、どうしても実感として理解しにくいのです。

世界にはアメリカ、中国、ロシアといった大国があり、それぞれが自分の国益を考えて動いています。中東の戦争も、宗教だけでなく、資源や軍事や政治が複雑に絡み合っています。

その中で、日本という国は、なかなか難しい場所にあります。
安全保障ではアメリカに頼り、エネルギーでは中東に頼り、経済では中国とも深く結びついている。どこにも完全には属していないのに、どこからも影響を受けるという立場です。

もし日本列島が、子どものころに見ていた
ひょっこりひょうたん島のように、海の上を自由に移動できる島だったらどうでしょう。

世界がきな臭くなったら、太平洋の真ん中あたりにそっと漂っていく。
情勢が落ち着いたら、またアジアの近くに戻ってくる。

そんな便利な機能が日本列島についていれば、日本人はかなり安心して暮らせるかもしれません。

残念ながら、そういう機能はついていません。
日本列島は動かないし、世界情勢のほうが動いてきます。

結局のところ、日本はこの複雑な世界の中で、どうやって立っていくのかを考え続けるしかありません。

世界がきな臭くなるたびに、ひょうたん島を考えます。
そして同時に思うのです。

それでも今日も日本では、電車は驚く精度で走り、コンビニにはお弁当が並び、夜になるとテレビではバラエティ番組が始まります。

世界は騒がしいのに、日本はいつもどこか平和です。
それが、この国の不思議なところです。

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2026年3月9日月曜日

通学路の風景と、私の読書遍歴

ナンバープレートはずっと「1984」にしています。


私が子供の頃に住んでいたのは、大阪の下小阪でした。最寄り駅は近鉄の八戸ノ里駅で、家は駅の北側にありました。そこから東大阪市立小阪中学へ通っていました。卒業したのは1970年代の初めのことです。

通学路の途中に、静かな雰囲気の家がありました。大きな庭のある落ち着いた家で、ときどき白髪の老人が庭に水を撒いている姿を見かけました。当時の私は、その人が誰なのか知りません。ただ、通学路の風景の一つとして、その姿を覚えていました。

後になって知ったのですが、その家は作家の司馬遼太郎の自宅でした。現在は司馬遼太郎記念館になっています。中学生の頃、私は知らないうちに、後に国民的作家と呼ばれる人物を通学路で見ていたことになります。

若い頃の私は、司馬遼太郎の本をよく読みました。歴史小説も面白かったのですが、特に印象に残っているのは『街道をゆく』です。中でも台湾篇は強く記憶に残っています。単なる旅行記ではなく、土地の歴史や文化、人々の暮らしを背景にして語られる文章は、独特の広がりを持っていました。

一方で、思想面で強い影響を受けたのは山本七平でした。日本社会の仕組みや、日本人の行動を支配する「空気」のようなものを分析する視点は、当時の私にとって非常に新鮮でした。社会を見る一つの枠組みを与えてくれた作家だったと思います。

その頃の私は、日本軍の戦記もかなり読みました。あまりに多く読んだため、まるで自分が戦争を体験したかのような感覚を持ったほどです。同じ時期に、サルトルやカミュなどの海外の思想家の本も読みました。

しかし、外国の作家で最も影響を受けたのはジョージ・オーウェルです。高校時代に読んだ『動物農場』は、今でも私の思想のどこかに残っている本だと思います。寓話という形で権力や社会の構造を描くその手法は、非常に印象的でした。

オーウェルのもう一つの代表作『1984』も、私にとって特別な意味を持つ作品です。私は車が好きで、これまで何台も乗ってきましたが、ナンバープレートはずっと「1984」にしています。高校時代に読んだその本が、長い年月を経ても、どこかで自分の中に残っているのだと思います。

振り返ってみると、私の文章の背景にはいくつかの影響が重なっています。山本七平からは社会を見る視点を学び、司馬遼太郎からは歴史や文化を語る文章の面白さを知りました。そしてジョージ・オーウェルからは、社会の仕組みに対する一種の警戒心を教えられたように思います。

若い頃に読んだ本は、その時だけのものではありません。長い時間をかけて、自分の考え方や文章の中に静かに残り続けていくものなのだと、最近になって改めて感じています。そして思い返すと、その出発点の一つは、下小阪の通学路の風景だったのかもしれません。

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2026年3月8日日曜日

トランプの変化と戦後日本 ーー 私たちは本当に共和国になったのか

 

まず最初に、共和国とは何かを一言で説明しておきたいと思います。


共和国とは、国家が特定の支配者のものではなく、市民全体の公共のものとして運営される政治体制のことです。この考え方はラテン語の Res publica ──「公共のもの」という言葉に由来します。

国家は王のものでも、支配者のものでもなく、市民全体のものだという思想です。

最近のアメリカ政治を見ていると、少し奇妙な感覚を覚えます。

かつてのドナルド・トランプは、ニューヨークの不動産業者の延長のような政治家に見えました。粗野で、衝動的で、既存の政治秩序を壊す人物です(反抗側の人)。

ところが最近の彼を見ていると、むしろ「普通のアメリカ大統領」に近づいているように見えるのです(権力側の代表)。

軍事行動。
同盟関係。
国家としてのメッセージ発信。

そこには個人の気まぐれというより、国家という巨大な装置が動いている気配があります。トランプという異端の政治家ですら、その構造の中で動いているように見えるのです。

アメリカは共和国なのか、帝国なのか

アメリカは自らを共和国と呼びます。
しかし冷戦以降の現実を見ると、世界秩序を管理する巨大な国家でもあります。

軍事。
通貨。
技術。
情報。

これらを通じて世界に影響力を持つ姿は、古典的な帝国とは違いますが、確かに帝国的な構造を帯びています。

私は最近のアメリカを見ながら、どうしても別の国を思い出します。

日本です。

日本の安全保障は
  • 米軍
  • 米外交
  • 米軍産複合体
  • 金融
に大きく依存しているからです。

だから

アメリカの権力構造が変わると、日本の安全保障も変わります。

日本は共和国になったのでしょうか

1945年の敗戦のあと、日本はアメリカの占領のもとで新しい国家体制を作りました。

民主主義。
憲法。
議会制度。

形式としては、確かに共和国的な制度が整いました。
しかし、制度が整うことと、国家としての主体が確立することは同じではありません。

安全保障の根幹はアメリカに依存しています。
外交もまた、その影響から自由ではありません。

経済大国と呼ばれた時代でさえ、日本の国家としての独立はどこか曖昧なままだったように思います。

私は若いころから疑問でした

私は10代のころから、ずっと考えてきたことがあります。

なぜ日本は昭和の15年戦争を早々に終わらせることができなかったのか。

広島と長崎に原爆が投下され、日本は降伏を受け入れました。
その結果として生まれた戦後体制は、単なる敗戦処理ではありませんでした。

それは、日本を新しい世界秩序の中に組み込む仕組みでもありました。
その秩序の中で、日本は平和と繁栄を手に入れました。

しかし同時に、国家としての主体性をどこかに置き忘れてしまったのではないでしょうか。

魯迅が描いた阿Q

中国の作家魯迅は『阿Q正伝』の中で、敗北しても心の中で勝ったと思い込む「精神的勝利法」を描きました。いわゆる「阿Q精神」です。

現実の問題に向き合わず、内面の納得で済ませてしまう心理です。

戦後の日本にも、どこかそれに似た空気があるように感じることがあります。

安全保障。
歴史。
国家の責任。

深く議論することを避けたまま、私たちは経済成長の成功物語の中で暮らしてきたのかもしれません。

国家を支えるもの

国家は制度だけで成り立つものではありません。

ローマ史の研究者たちは、国家が衰えるとき、まず失われるのは制度ではなく市民の精神だと言います。

つまり、

自分たちの社会を
自分たちの責任で支えるという覚悟です。

戦後80年の問い

戦後80年を迎えたいま、日本は改めて問われているのではないでしょうか。

私たちは本当に共和国になったのでしょうか。
それとも、豊かな保護国として生きてきただけなのでしょうか。

トランプのアメリカがどこへ向かうのかはまだ分かりません。
しかし一つだけ確かなことがあります。

世界秩序が揺らぐとき、他国に依存してきた国ほど、自分自身の姿を問い直さなければならなくなるということです。

その問いから、日本もまた逃れることはできないのだと思います。

***