2026年3月8日日曜日

トランプの変化と戦後日本 ーー 私たちは本当に共和国になったのか

 

まず最初に、共和国とは何かを一言で説明しておきたいと思います。


共和国とは、国家が特定の支配者のものではなく、市民全体の公共のものとして運営される政治体制のことです。この考え方はラテン語の Res publica ──「公共のもの」という言葉に由来します。

国家は王のものでも、支配者のものでもなく、市民全体のものだという思想です。

最近のアメリカ政治を見ていると、少し奇妙な感覚を覚えます。

かつてのドナルド・トランプは、ニューヨークの不動産業者の延長のような政治家に見えました。粗野で、衝動的で、既存の政治秩序を壊す人物です(反抗側の人)。

ところが最近の彼を見ていると、むしろ「普通のアメリカ大統領」に近づいているように見えるのです(権力側の代表)。

軍事行動。
同盟関係。
国家としてのメッセージ発信。

そこには個人の気まぐれというより、国家という巨大な装置が動いている気配があります。トランプという異端の政治家ですら、その構造の中で動いているように見えるのです。

アメリカは共和国なのか、帝国なのか

アメリカは自らを共和国と呼びます。
しかし冷戦以降の現実を見ると、世界秩序を管理する巨大な国家でもあります。

軍事。
通貨。
技術。
情報。

これらを通じて世界に影響力を持つ姿は、古典的な帝国とは違いますが、確かに帝国的な構造を帯びています。

私は最近のアメリカを見ながら、どうしても別の国を思い出します。

日本です。

日本の安全保障は
  • 米軍
  • 米外交
  • 米軍産複合体
  • 金融
に大きく依存しているからです。

だから

アメリカの権力構造が変わると、日本の安全保障も変わります。

日本は共和国になったのでしょうか

1945年の敗戦のあと、日本はアメリカの占領のもとで新しい国家体制を作りました。

民主主義。
憲法。
議会制度。

形式としては、確かに共和国的な制度が整いました。
しかし、制度が整うことと、国家としての主体が確立することは同じではありません。

安全保障の根幹はアメリカに依存しています。
外交もまた、その影響から自由ではありません。

経済大国と呼ばれた時代でさえ、日本の国家としての独立はどこか曖昧なままだったように思います。

私は若いころから疑問でした

私は10代のころから、ずっと考えてきたことがあります。

なぜ日本は昭和の15年戦争を早々に終わらせることができなかったのか。

広島と長崎に原爆が投下され、日本は降伏を受け入れました。
その結果として生まれた戦後体制は、単なる敗戦処理ではありませんでした。

それは、日本を新しい世界秩序の中に組み込む仕組みでもありました。
その秩序の中で、日本は平和と繁栄を手に入れました。

しかし同時に、国家としての主体性をどこかに置き忘れてしまったのではないでしょうか。

魯迅が描いた阿Q

中国の作家魯迅は『阿Q正伝』の中で、敗北しても心の中で勝ったと思い込む「精神的勝利法」を描きました。いわゆる「阿Q精神」です。

現実の問題に向き合わず、内面の納得で済ませてしまう心理です。

戦後の日本にも、どこかそれに似た空気があるように感じることがあります。

安全保障。
歴史。
国家の責任。

深く議論することを避けたまま、私たちは経済成長の成功物語の中で暮らしてきたのかもしれません。

国家を支えるもの

国家は制度だけで成り立つものではありません。

ローマ史の研究者たちは、国家が衰えるとき、まず失われるのは制度ではなく市民の精神だと言います。

つまり、

自分たちの社会を
自分たちの責任で支えるという覚悟です。

戦後80年の問い

戦後80年を迎えたいま、日本は改めて問われているのではないでしょうか。

私たちは本当に共和国になったのでしょうか。
それとも、豊かな保護国として生きてきただけなのでしょうか。

トランプのアメリカがどこへ向かうのかはまだ分かりません。
しかし一つだけ確かなことがあります。

世界秩序が揺らぐとき、他国に依存してきた国ほど、自分自身の姿を問い直さなければならなくなるということです。

その問いから、日本もまた逃れることはできないのだと思います。

***

2026年3月7日土曜日

AIが教えられないもの ― 江戸の寺子屋に学ぶ教育

 
メトロポリタン美術館 浮世絵コレクション


AIが教えられないもの

― 江戸の寺子屋に学ぶ教育

私は十代の頃から時代劇が好きです。動画配信でも昔の時代劇を観ます。
ぼんやりと再放送を流しているうちに、頭の中がすっかり江戸時代になってきました。

そのとき、「寺子屋」のことを考えました。

寺子屋と聞くと、いま流行りの塾ビジネスのようなものを想像する方もいるかもしれません。しかし本来の寺子屋は、江戸から明治初期にかけて庶民の間に広がった教育の仕組みでした。

明治維新の頃には、全国に三万校ほどあったと言われています。当時の人口規模を考えると、驚くべき数です。

私は教育の専門家ではありません。
ただ、海外で働き、子育てをし、起業もし、組織にも属してきた一人の実務家として思うのです。

あの寺子屋の仕組みは、いまこそ見直す価値があるのではないかと。

AIが進化しても、人格は形成できない

2009年に帰国した頃、日本では「eラーニング」が流行語でした。

そして2026年のいまは、

  • 生成AI
  • AIトレーニング
  • リスキリング
といった言葉が飛び交っています。

AIは確かに便利です。
情報収集、文章作成、翻訳、分析。

かつて何時間もかかっていた作業が、いまでは一瞬で終わります。

教育の世界でもAIの活用が進み、学習効率はこれからさらに上がっていくでしょう。
しかし、その一方で私が少し気になっていることがあります。

いまは、

努力のショートカットが無限に存在する時代

になったということです。

調べることも、まとめることも、文章を書くことも、AIが代わりにやってくれる。

もちろんそれ自体は悪いことではありません。
人類はいつの時代も、道具によって効率を高めてきました。

ただ一つだけ、テクノロジーが代わることのできないものがあります。

人格は、人と人との関係の中でしか育たない。

私はそう思っています。

「教師と生徒」ではなく「師匠と弟子」

寺子屋が優れていたのは、まさにそこでした。

寺子屋は単なる知識伝達の場ではありませんでした。
そこには師匠と弟子の信頼関係がありました。

知育や体育の前に徳育がありました。
知識の量よりも、人としてどうあるかが問われていたのです。

現代の学校教育では、教師が前に立ち、生徒が同じ方向を向いて座ります。

しかし寺子屋では、子どもたちは向かい合って座りました。
師匠はファシリテーターのような存在です。

「教える」よりも「学ぶ」が主体でした。

これはいま企業研修で行われているケーススタディや、プロジェクト型学習にも通じる形態です。最先端だと思っている教育の方法が、実は江戸時代にすでに存在していたのです。

いちばん効果的な学習法

寺子屋では、先に進んだ子どもが、遅れている子どもを教えました。

私は長年ビジネスの現場にいましたが、いちばん成長するのは「教える立場」になったときです。

人に説明しようとすると、自分の理解の浅さが露呈します。
そこで初めて思考が深まります。

また、強い者が弱い者を助ける構造も自然に生まれます。

単なる効率の問題ではありません。
そこでは共同体の倫理が育つのです。

書写と往来物 ― 思考のOS

寺子屋の基本は書写でした。

文章を読み、書き写し、意味を理解する。
いまの「書道」とは少し違います。

言葉を身体に染み込ませる行為です。

教材には「往来物」と呼ばれる手紙や商取引の文書が使われました。

そこでは自然に、

  • 誰に
  • 何を
  • いつ
  • どこで
  • なぜ
  • どのように
という思考の型が身につきます。

これは現代のビジネススクールで行われているケーススタディと、本質的には同じです。現実の文脈の中で考える訓練でした。

なぜ、いま寺子屋なのか

明治五年の学制以降、日本の教育は中央集権型・画一型へと進みました。

戦後の教育改革は、アメリカ占領政策の影響を強く受けています。

その過程で、寺子屋の持っていた

  • 人間関係中心

  • 実務型

  • 統合型

という要素はかなり失われたのではないでしょうか。
いまの教育は、科目ごとに分断されています。

数学は数学。
国語は国語。
歴史は歴史。

柱はたくさん立ちます。しかし、梁が渡らない。

知識は増えますが、統合されません。

その結果、判断力や主体性が育ちにくくなる。
私はそこに危機感を持っています。

AI時代に必要なもの

私はAIを否定しているのではありません。
むしろ積極的に活用すべきだと思っています。

しかし、AIはあくまで道具です。

AIは答えを出してくれます。しかし、人間がその答えを引き受ける覚悟までは作ってくれません。

人間が担うべきものは、

  • 価値判断
  • 責任
  • 倫理
  • そして統合です。

小さなコミュニティの中で、年齢を越えて学び合い、実務的な言葉を使い、人格を通して学ぶ。その上でAIを補助輪として使う。

それがこれからの教育の姿ではないかと思うのです。

試練を避けない教育へ

私はこれまで、若い人には「試練を避けるな」と言ってきました。

成功か失敗かは問題ではありません。
問題は、試練を回避することです。

寺子屋の仕組みは、小さな試練を日常の中に埋め込んでいました。

  • 人に教えること。
  • 責任を持つこと。
  • 文字を丁寧に書くこと。
そこには小さな緊張がありました。

いまの教育は、効率化の名のもとに、そうした緊張を減らしすぎてはいないでしょうか。

最後に

何度も言いますが、私は教育者ではありません。

ただ、アメリカや中国で暮らし、働き、子育てをし、組織と個人の両方を経験してきました。その中で感じた違和感が、この問いにつながっています。

AIはますます賢くなるでしょう。

しかし、人が人から学ぶという営みは、きっと消えません。

だからこそ私は、
AI時代のいま、静かに「寺子屋」を思い出しているのです。

***


2026年3月6日金曜日

ボストンの公衆電話から見えたイラン革命

 

1979年春、Boston Public Gardenにて

ルームメイトのマホムド・サファリと。
背後はJohn Hancock Tower。イラン革命のニュースが連日流れていた頃。  

1979年、私はボストンにいました。
まだ20代の、日本から来たばかりの遊学生でした。

アメリカに憧れ、深い知識も覚悟もないまま渡米した、ごく普通の日本人学生でした。当時の私は、イランやイスラム教についてほとんど知りませんでした。知的な大学生の象徴のように日本では『朝日ジャーナル』を小脇に抱えて電車に乗り、中東特集の記事を読んでは、半分も理解できずにいました。

そんな私がBoston市内の14 Marlborough St でルームシェアを始めたのが、イラン人のマホムド・サファリでした。

彼はテヘランのスーパーマーケットの店員でしたが、祖国の役に立とうと英語を学ぶためにボストンに来ていました。私と出会った頃、彼はほとんど英語が話せませんでした。お金もなく、食事にも困る状態でした。

私は自炊をしていましたので、自然に二人分を作るようになりました。

あの頃の私たちは二人とも異国の若者でした。
言葉は十分に通じなくても、それだけで十分だったのかもしれません。

私の人生の中でも、特筆すべき「邂逅」だったと思います。

イスラムの戒律に戸惑いながら食材を選び、料理をしました。言葉は通じなくても、なぜか馬が合いました。彼は穏やかで倫理観が強く、そして少し誇り高い青年でした。

やがて、イラン情勢は日々緊迫していきました。

パーレビ国王に対する抗議運動が激化し、1979年、革命は頂点に達しました。アメリカのニュースではテヘラン市内の混乱が連日報じられていました。マホムドは家族を案じていました。

私たちはボイルストン・ストリートの公衆電話から、25セント硬貨を山ほど握りしめ、テヘランへ国際電話をかけました。奇跡的につながりました。

受話器の向こうで母親の声を聞いた瞬間、彼の大きな目から、ひげに伝って大粒の涙がこぼれ落ちました。

あの光景は、今でも忘れられません。

私はマホムドからイランの歴史を学びました。多くは筆談でした。

1953年、イランでは首相 モサッデク の政権が倒れました。
石油国有化を進めた首相は、英米の関与によるクーデターで失脚しました。

その後、アメリカが構築したのがパーレビ傀儡体制でした。冷戦下、イランは「安定」の名のもとに管理され、民主的選択の機会は奪われていきました。

それをマホムドは、静かに、しかし強い言葉で語りました(筆談と片言の英語でしたが)。
1979年の革命は、宗教革命ではありません。

長年蓄積された屈辱と介入への反発でもあったのです。マホムドはパーレビを「シャー」と呼び、その名を口にするだけで顔をしかめるほど嫌っていました。

その後も歴史は複雑に絡み合います。イラン・イラク戦争。中東における代理戦争。支援と制裁の応酬。そして現在に至るまで続く緊張。

アメリカは自由と民主主義を掲げる国です。
しかし同時に、自らの利益のために他国の政治構造に介入してきた国でもあります。今でもそうです。

私は1989年から2009年までアメリカで生活し、アメリカ人の組織の中で働きながら、アメリカを見てきました。アメリカから日本も見ていました。

アメリカは理想と現実の間で揺れ続けています。自由を語りながら、力で秩序を作ろうとする側面もあります。

今回のイランをめぐる緊張を見ながら、私はボストンの公衆電話を思い出します。

国家と国家の論理の背後に、
母親を心配する一人の青年がいました。

歴史は理念だけでは動きません。
感情と誇りと記憶が積み重なって動きます。

そして、ここからが日本の問題です。

日本はどう振る舞うのでしょうか。

アメリカの論理をそのまま受け入れるのか。
それとも、自分自身の問いを持つのか。

***

2026年3月5日木曜日

インテグリティとは何か

 
社会が停止していたコロナ禍、
我々は外ではなく内側に羅針盤を求めた。
その試みが、この『迷子になる地図』でした。


最近、NOTEでインテグリティを経済学的に説明する文章を読みました。そこでは、インテグリティは道徳的な「真摯さ」ではなく、情報の非対称性がある市場において、代理人が依頼人を裏切らないという経済的コミットメントのシグナルである、と定義されていました。そしてAI時代には、監視や記録、アルゴリズムやスマートコントラクトがそれを制度的に担保するため、人格的徳としてのインテグリティは不要になる、と主張します。AIが完全性を担う社会では、人間の価値はむしろ予測不能な逸脱にある、とも言います。


私はその文章に反論するつもりはありません。しかし、私が長年考えてきたインテグリティとは、どうも真逆に位置しているように感じました。

私が三十代後半によく読んだのが、ピーター・ドラッカーです。細部は忘れてしまいましたが、彼が繰り返し述べていたことの一つは、「インテグリティが欠けている人をリーダーにしてはならない」という趣旨でした。才能は後からでも身につきます。しかし、人格の根幹に関わるものは簡単には変わりません。ここでいうインテグリティは、単に嘘をつかないという意味ではありません。利益よりも責任を優先できるか。権力を私物化しないか。組織の長期的使命を裏切らないか。そうした人格と責任の問題でした。

ドラッカーは、組織を効率化する技術論者ではありませんでした。彼の関心は常に「人間とは何か」にありました。組織の中で人間はどう堕落するのか。権力はどのように人を腐らせるのか。だからこそ、彼にとってインテグリティは制度以前の問題だったのです。監視があるから裏切らないのではなく、監視がなくても裏切らない人物であるかどうか。そこが問われていたのだと思います。

私はかつて、インテグリティとは「倫理観」「スキル」「野心」の三つのバランスであると考えていました。

倫理観だけでは理想論に終わります。スキルだけでは冷たいテクノクラートになります。野心だけでは危険です。この三つが均衡してこそ、社会に価値を生む人材になるのではないかと信じてきました。しかし改めて考えると、それは「integrity of character」、すなわち人格の統合という意味に近いのかもしれません。自分の信念と行動が一致していること。圧力や誘惑に直面しても、価値観を曲げないこと。これは経済的機能ではなく、人間の在り方そのものです。知行合一ということです。

この点で、福沢諭吉の『学問のすすめ』にある「人の品行は高尚ならざるべからざるの論」は、まさにインテグリティを語っているように思えます。「ならざるべからざる」とは、「そうでなければならない」という強い表現です。人の品行は高尚でなければならない、と福沢は言いました。さらに「自ら満足することなきの一事に在り」と述べています。常に上を見て、自らを高め続けよということです。

ここには、監視もアルゴリズムも出てきません。あるのは、人間の内面に向かう厳しさです。社会が停滞していても、自分の心構えを変えることで周囲は変わる。一歩前に出れば、同じ志を持つ人が集まる。インテグリティとは、外部環境に左右されない内的基準を持つことだと、私は理解しています。

映画『Scent of a Woman』で、アル・パチーノ演じる退役軍人が「INTEGRITY」を語る場面があります。そこでの訳語は「高潔さ」でした。若者が権力や同調圧力に屈せず、自分の良心に従う姿を擁護する演説です。あの場面は、インテグリティが単なる機能ではなく、人間の尊厳に関わる言葉であることを示していると思います。

もちろん、AIは制度的な透明性を高めるでしょう。不正は減るかもしれません。しかし、それはインテグリティの代替ではありません。監視されているから裏切らない人と、誰も見ていなくても裏切らない人は違います。前者はシステムに従っているだけであり、後者は自らの基準に従っているのです。

私は、AIの時代であっても、人間が主体を保持すべきだと考えます便利さよりも自分の判断を選ぶ意志。それを持ち続けることが、インテグリティの核心ではないでしょうか。逸脱に価値があるとしても、それは想像力と責任を伴う場合に限られます。責任なき逸脱は破壊に過ぎません

日本社会は長く停滞しています。高度経済成長期のように、努力すれば報われる単純な構図はありません。しかし、だからこそ問われるのは外部条件ではなく、自らの在り方です。リーダーシップは苦渋の決断の中で育ちます。厳しい選択を引き受ける姿を見て、人はその人をリーダーと呼びます。

インテグリティとは、制度の完全性ではありません。人格の統合であり、責任を引き受ける覚悟です。監視で代替できるものではなく、経済合理性に還元できるものでもありません。人が人であるための内的な羅針盤です。

AIがどれほど進化しても、この羅針盤だけは人間が握り続けなければならない。私はそう考えています。

***

2026年3月4日水曜日

AI時代における「成長を阻む5つの壁」 ――主体を失わないために

 

2月19日にUPした「成長を阻む5つの壁」を修正しました。

AI時代における「成長を阻む5つの壁」

――主体を失わないために


成長が止まるだけではない。
主体を手放せば、人は静かに退化する。


かつて「成長を阻む壁」とは、変化を拒む人間の内面的抵抗でした。
問題を認めない。判断を先送りする。行動しない。続かない。

しかし2026年、壁の正体は少し変わりました。

いま私たちの前にあるのは、
AIという強力な参謀の存在によって、主体を静かに手放してしまう危険です。

AIは敵ではありません。
むしろ、極めて有能な補助者です。

問題はただ一つ。
それでも自分が主体であり続けられるか。

主体とは何か。

私はこう定義します。

主体とは、便利さよりも自分の判断を選ぶ意志である。

その意志が弱まるとき、人は成長を止めます。

第1の壁 認識の壁
――「自分は主体でいる」と思い込む


AIは文章を書き、整理し、要約し、提案します。
気づかないうちに、思考の一部を委ねています。

しかし多くの人はこう言います。
「最終的には自分が判断している」と。

本当にそうでしょうか。

問いの立て方がすでにAI依存になっていないか。
選択肢の幅がAIの提示範囲に限定されていないか。

最初の壁は、
主体が少しずつ侵食されていることへの無自覚です。


第2の壁 判断の壁
――「AIがそう言うなら」と結論づける


AIはもっともらしい答えを出します。
整っている。速い。合理的。

だからこそ危うい。

検証しない。
反対仮説を考えない。
前提を疑わない。

判断とは、本来、
不完全な情報の中で責任を引き受ける行為です。

それを「AIが推奨したから」と外部化した瞬間、
主体は一歩後退します。


第3の壁 納得の壁
――「考えなくて済むのは楽だ」と合理化する


AIは思考の負荷を軽減します。
それは大きな恩恵です。

しかし恩恵は、筋力を奪うこともあります。

速い理解。
簡単な結論。
深掘りしない納得。

知性は、負荷をかけることで鍛えられます。
考え抜く時間を削ることは、主体の筋肉を削ることでもあります。

ここで問われるのは能力ではなく、意志です。

楽を選ぶか。
自分で考える不便を選ぶか。


第4の壁 行動の壁
――「AIを使っている」と言って安心する


「生成AIを導入した」
「DXを進めている」

技術導入は成果ではありません。

問いの質は変わったのか。
判断基準は磨かれたのか。
責任の所在は明確か。

AIを使うことと、主体的に決断することは別問題です。

行動の壁とは、
便利な仕組みを整えたことで、自分が変わったと錯覚することです。


第5の壁 継続の壁
――主体であり続ける努力をやめる


AIは人間より速く書き、広く調べ、整然とまとめます。
その能力は今後も向上します。

だからこそ、問いは厳しくなります。
それでもなお、

最終判断を引き受けるか。
意味づけを自分で行うか。
責任を外部化しないか。

主体でいることは、
一度の決意では足りません。

続ける意志が必要です。


主体とは何か

ここで原点に戻ります。
主体とは、

問いを立てること
判断を引き受けること
意味を与えること
結果に責任を持つこと

そして何より、

便利さよりも、自分の判断を選ぶ意志を持つことです。

これは新しい思想ではありません。

学問のすすめで、福沢諭吉は

「取捨を断ずること」の重要性を説きました。

情報があふれる中で、
何を取り、何を捨てるかを自ら決める。

それこそが福沢諭吉が言った独立の条件でした。

21世紀においても同じです。

AIが情報を整理してくれる時代において、
取捨を断ずる主体を失えば、
人は思考の主権を手放します。


結論

2026年の成長とは、
AIを使いこなすことではありません。

AIが高度化するほど、
人間の価値は「主体であり続ける意志」に集約されます。

速さではない。
便利さでもない。

主体を失わないこと。

それが、AI時代における成長の条件です。

そして成長を阻む最大の壁は、外部環境ではなく、
便利さに流される自分自身の内側にあります。


***

2026年3月3日火曜日

No Pain, No Gain ― 好きでなければ、痛みは越えられない

 

最近は「痛みを避けること」が賢い生き方だと言われているようですが、私はどうもそうは思えません。それは「働く」ということに対する姿勢です。自分が苦労してきたと自慢したいのではありません。ただ、試行を繰り返さなければ錯誤の幅は縮まらない、という実感があるのです。私にとって働くことの本質は、「No Pain, No Gain」と言えるかも知れません。

2003~2004年、私は中国で「ゴミ処理技術を定着させなければ地球環境は守れない」という議論を真剣にしていました。十五、六年ぶりに訪れた中国で、青空が消えていたことに衝撃を受けたからです。北京から二百数十キロ離れた石家庄に、北京市向けのゴミ処理プラントを建設できないかという話までしました。日本の地方の工業都市をモデルにしました。しかし、いくつかの理由で、議論は発展しませんでした。技術移転とは単に設備を持ち込むことではありません。移転された技術を定着させ、改良し、さらに発展させる忍耐と謙虚さがなければ、本当の意味での移転にはならないのです。

中国で仕事をする難しさは、短期的な利益を優先する意識をどう変革するかにありました。しかし振り返れば、それは中国だけの問題ではありません。痛みを避け、効率よく成果だけを取りにいく姿勢は、どの国にもあります。

「Quiet Quitting(静かな退職)」という言葉が話題になっています。会社に所属していながら心理的には距離を置き、必要最低限の業務だけを淡々とこなす働き方です。ワークライフバランスを重視し、昇進やキャリアアップを求めない。個人の自由な選択だと言われればその通りでしょう。しかし私は少し違和感を覚えます。

働くことを、拘束時間と引き換えに報酬を得る行為だと考えている限り、大きな成長はありません。仕事には、自分の将来のためにあえて引き受ける「痛み」があります。それは理不尽な我慢ではなく、自分への投資です。自分の限界を超える負荷の中でしか、見えない景色があります。

スポーツは分かりやすい例です。世界の一流選手と同じ舞台で戦い、同じ空気を吸い、同じ練習をこなすからこそ、自らの水準が引き上げられます。ビジネスも同じです。レベルの高い集団で働き、一流の人間の「型」を目に焼き付ける。その過程は決して楽ではありません。しかし、その痛みを経なければ本当の意味での成長はないのです。

アメリカで働いた経験は、仕事と報酬の関係をより厳しく教えてくれました。成果が出なければ報酬は減り、職を失うこともあります。役割と責任が明確で、市場が価値を決めます。日本の仕組みとは大きく異なりますが、少なくとも「Gain」を得るには相応の「Pain」を引き受けるという原則は徹底しています。職位が上がれば上がるほど、「Pain」 は増幅します。

一方、日本の教育は優秀な従業員を育てるにはよくできています。しかし、従業員であることは一つの生き方に過ぎません。人生百年時代、会社を離れた後の時間は長いのです。退職後に必要なのは、単なる知識よりも教養です。教養は文化の中で育まれるものであり、政府が無償化すれば身につくというものではありません。自由に生きる力とは、不安や苦痛と向き合う力でもあります。「不安だから自由はいらない」と言ってしまえば楽かもしれませんが、それでは長い人生を支えきれません

私は最近の日本人、とくに若い世代に、Gainばかりを強調しPainを効率よく避けようとする傾向を感じています。それが賢い生き方だと信じられているようにも見えます。しかし、本当にそうでしょうか。痛みを引き受けないまま得た安定は、いつまで続くのでしょうか。

働くとは、時間を売ることではありません。社会の中で自分の価値を問い続けることです。枠に正しく数字を入れる仕事もあれば、曖昧なところに枠を作る仕事もあります。どちらを選ぶにしても、成長を望むなら負荷は避けられません。

No Pain, No Gain。これは根性論ではありません。自分の成長やキャリアに必要な痛みは、耐えるべきものであり、むしろ楽しむべきものだということです。試練を避けるのではなく、そこから何を学ぶかを考える。その姿勢こそが、私が長年の経験からたどり着いた「働くこと」の本質なのです。

……などと書いてはみましたが、実は高齢者になった今が一番Painは嫌なのです。

***

2026年3月2日月曜日

『葉隠』という逆説 ―― 死を見つめて生きる力

 
あをによし、死を見つめれば、朝は来る。

(薬師寺から若草山を望む)


若いころ、『葉隠』にはまった時期がありました。きっかけは、おそらく三島由紀夫の『葉隠入門』だったと思います。あれから長い年月が過ぎましたが、最近の日本の政治や世界情勢を眺めていると、あらためて『葉隠』を読み返してみたくなりました。そして、できることなら多くの若い人たちにもこの書を知ってもらいたいと思うようになりました。

『葉隠』は、佐賀藩士の山本常朝が語り残した武士道の覚え書きです。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句だけが独り歩きし、過激で狂信的な武士の心得書のように誤解されがちです。しかし三島は、この一句そのものが逆説であると指摘しました。死ねと言っているのではない。毎日を、死ぬ覚悟で生きよ、という意味なのだと。今日が最後の日であるかのように仕事をすれば、その仕事は急に光を放ちはじめる――三島はそう書いています。

私には、この思想は「Seize The Day(今日を生きる)」と同じことを語っているように思えます。死は誰にも避けられず、その時を自分で選ぶこともできません。だからこそ一日を無駄にするな、という強烈な倫理がそこにあります。これは決して後ろ向きな思想ではなく、むしろ生を最大限に肯定する思想です。

興味深いのは、『葉隠』の核心が「自尊心」にあるという点です。

序文「夜陰の閑談」には、「同じ人間なのだから、誰に劣るというのだ。修行は大高慢でなければ役に立たない」とあります。この「大高慢」は、現代語の「高慢ちき」とは違います。英語で言えば self-esteem、自らを尊ぶ強い気概のことです。武士は、自分が日本一であるという気概を持たねばならない、とまで言います。三島も「武勇は、我は日本一と大高慢にてなければならず」と引用しました。

自尊心を教育の根幹に置くという点では、アメリカの義務教育とも通じるものがあります。自分を価値ある存在だと信じることが、修行や鍛錬の出発点になる。これは武士社会の精神的バックボーンでもあったのです。内に秘めた誇りがなければ、いかなる修練も実を結ばない。その意味で『葉隠』は、現代にも通じる実践的な書物だと思います。

さらに見逃せないのは、人に意見する際の「思いやり」です。『葉隠』は、他人の欠点を見つけるのは易しいが、それを正しく伝えるのは難しいと説きます。相手の性格を見極め、距離を測り、言い方や時機を選び、相手が自ら気づくように導く。そうでなければ、単なる悪口と同じだと言い切ります。三島はこれを「デリカシー」と表現しました。荒々しい武士道の世界は、実は精密な思いやりによって支えられていたのです。

この精神は、宮本武蔵の『五輪書』とも響き合います。武蔵は「心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ」と述べ、知と意志、大局観と現実認識の双方を磨けと説きました。責任はすべて己にあるという覚悟です。神仏や他人のせいにするのではなく、自らの心を澄ませよという教えです。

現代の日本社会を見ていると、責任の所在を外に求めがちな空気を感じることがあります。しかし『葉隠』は、まず自分を正せと迫ります。死を見つめよ、誇りを持て、思いやれ、そして今日を全力で生きよ、と。

武士道とは、死を賛美する思想ではありません。むしろ、生を燃焼させるための覚悟の思想です。迷いの雲を払い、澄んだ空の心境で一日を生きる。その緊張感と誇りを、今こそ若い人たちに知ってもらいたいと思います。

***