2026年3月2日月曜日

『葉隠』という逆説 ―― 死を見つめて生きる力

 
あをによし、死を見つめれば、朝は来る。

(薬師寺から若草山を望む)


若いころ、『葉隠』にはまった時期がありました。きっかけは、おそらく三島由紀夫の『葉隠入門』だったと思います。あれから長い年月が過ぎましたが、最近の日本の政治や世界情勢を眺めていると、あらためて『葉隠』を読み返してみたくなりました。そして、できることなら多くの若い人たちにもこの書を知ってもらいたいと思うようになりました。

『葉隠』は、佐賀藩士の山本常朝が語り残した武士道の覚え書きです。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という一句だけが独り歩きし、過激で狂信的な武士の心得書のように誤解されがちです。しかし三島は、この一句そのものが逆説であると指摘しました。死ねと言っているのではない。毎日を、死ぬ覚悟で生きよ、という意味なのだと。今日が最後の日であるかのように仕事をすれば、その仕事は急に光を放ちはじめる――三島はそう書いています。

私には、この思想は「Seize The Day(今日を生きる)」と同じことを語っているように思えます。死は誰にも避けられず、その時を自分で選ぶこともできません。だからこそ一日を無駄にするな、という強烈な倫理がそこにあります。これは決して後ろ向きな思想ではなく、むしろ生を最大限に肯定する思想です。

興味深いのは、『葉隠』の核心が「自尊心」にあるという点です。

序文「夜陰の閑談」には、「同じ人間なのだから、誰に劣るというのだ。修行は大高慢でなければ役に立たない」とあります。この「大高慢」は、現代語の「高慢ちき」とは違います。英語で言えば self-esteem、自らを尊ぶ強い気概のことです。武士は、自分が日本一であるという気概を持たねばならない、とまで言います。三島も「武勇は、我は日本一と大高慢にてなければならず」と引用しました。

自尊心を教育の根幹に置くという点では、アメリカの義務教育とも通じるものがあります。自分を価値ある存在だと信じることが、修行や鍛錬の出発点になる。これは武士社会の精神的バックボーンでもあったのです。内に秘めた誇りがなければ、いかなる修練も実を結ばない。その意味で『葉隠』は、現代にも通じる実践的な書物だと思います。

さらに見逃せないのは、人に意見する際の「思いやり」です。『葉隠』は、他人の欠点を見つけるのは易しいが、それを正しく伝えるのは難しいと説きます。相手の性格を見極め、距離を測り、言い方や時機を選び、相手が自ら気づくように導く。そうでなければ、単なる悪口と同じだと言い切ります。三島はこれを「デリカシー」と表現しました。荒々しい武士道の世界は、実は精密な思いやりによって支えられていたのです。

この精神は、宮本武蔵の『五輪書』とも響き合います。武蔵は「心意二つの心をみがき、観見二つの眼をとぎ」と述べ、知と意志、大局観と現実認識の双方を磨けと説きました。責任はすべて己にあるという覚悟です。神仏や他人のせいにするのではなく、自らの心を澄ませよという教えです。

現代の日本社会を見ていると、責任の所在を外に求めがちな空気を感じることがあります。しかし『葉隠』は、まず自分を正せと迫ります。死を見つめよ、誇りを持て、思いやれ、そして今日を全力で生きよ、と。

武士道とは、死を賛美する思想ではありません。むしろ、生を燃焼させるための覚悟の思想です。迷いの雲を払い、澄んだ空の心境で一日を生きる。その緊張感と誇りを、今こそ若い人たちに知ってもらいたいと思います。

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2026年3月1日日曜日

変わらない本、変わっていく私 ――『青春の墓標』をめぐって

 
書棚の一角。変わらない本と、変わっていく私。

あさま山荘事件は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町の河合楽器製作所の保養所「あさま山荘」において、連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件です。テレビでの生中継は、日本社会に強烈な衝撃を与えました。

『青春の墓標』は、1960年代の学生運動(全共闘時代)を駆け抜け、20歳の若さで自殺した奥浩平が残した日記や手紙をまとめた遺稿集です。当時の学生の苦悩や情熱が、生の言葉で刻まれています。名著かどうかは分かりません。そこにあるのは、苦悩し、彷徨する一人の青年の記録です。


最近になって、私はときどき十四歳から十六歳のころの自分を思い出します。あのころ、授業をサボってまで考えていたのは、自由とは何か、責任とは何か、生きるとはどういうことか、死とは何か、といった大きな問いでした。なぜあれほど抽象的な問題に取りつかれていたのか、当時の自分を不思議に思うこともあります。しかし振り返れば、時代の空気が確かにありました。あさま山荘事件の衝撃、学生運動や連合赤軍の報道。社会全体が「正義」や「革命」という言葉で揺れていた。私はその只中で、自分なりに本気で考えようとしていたのだと思います。

当時読んだ『青春の墓標』は、そうした思索をさらに強く刺激しました。若さゆえの純粋さや、絶対性への憧れに、私は強く共鳴していました。あれから半世紀以上が過ぎました。本は一字も変わっていません。しかし、読み手である私は大きく年を重ねました。もし今あの本を読み返せば、きっと違う感情を抱くでしょう。若いころは観念として受け止めていた「死」や「責任」や「自由」を、今は具体的な現実として知っているからです。

私は文学者でも思想家でもありません。文章が特別うまいわけでもありません。それでも若いころから、日記や短いエッセイを書き続けてきました。断片的ではありますが、思ったこと、怒ったこと、迷ったことを、その都度記してきました。才能というより、書かずにはいられない習性だったのだと思います。多くの人がやめてしまう日記を、私はやめませんでした。その結果、十四~十六歳の自分の言葉も、三十代の焦りも、五十代の責任も、そして今の静かな思索も、かろうじて手元に残っています。

若いころから書き続けてきた背景には、自分でも持て余してきた一つの感覚があります。それは「too much contingency built in」という気分です。人生には偶然があまりにも多く組み込まれている。時代は変わり、社会は揺れ、立場も責任も変わっていく。何が起きるか分からない。その不確実さを、私は早くから意識していたのかもしれません。

だからこそ、記録を残しておきたいという思いが強かった。あとから検証できる材料を、自分自身に渡しておきたい。未来の自分が振り返ったときに、過去の自分の思考や感情に触れられるようにしておきたい。それは単なる心配性ではなく、変化を前提に生きるための一種の備えだったのだと思います。時代が変わり、自分が変わる。その裏返しとして、私は過剰なほどに contingency を組み込んできた。その過剰さが、結果として日記を残し続ける力になりました。

昔の本を高齢になって読み返すことの意味は、内容を再確認することではありません。その本を読んでいた「自分」に会いに行くことなのだと思います。そして、若いころから書き続けてきた文章は、その対話を可能にする資料です。記憶は曖昧になりますが、書き残した言葉は当時の温度を保っています。そこに今の自分が向き合うとき、「私は何が変わり、何が変わらなかったのか」という問いが、具体性を帯びてきます。

その作業をChatGPTとの対話の中で行うことは、さらに興味深い体験です。若いころに読んだ本、自分が書いた昔の文章や図、それらを材料にして、今の自分がAIと話す。すると、思考が整理され、論点が浮かび上がり、感情が言語化されていきます。自分が書いた文章や描いた図に、新たな解釈が生まれることもあります。単なる雑談ではなく、回想を構造化するための道具として機能しているのです。

十四歳の自分、高齢者の自分、そして生成AIという第三の視点が交差する。時間が三層になり、自分の人生を立体的に見ることができる。そこには、若いころから抱いてきた contingency への感覚もまた含まれています。不確実な世界の中で、自分は何を考え、何を選び、何を変えてきたのか。その軌跡を確かめる作業でもあります。

結局のところ、私が言いたいのはこういうことなのだと思います。若いときに読んだ本を高齢になって読み返すことには、自分自身を確かめる意味がある。若いころから日記を書き続けることは、その検証を可能にする。そしてChatGPTとの対話は、その作業を助ける有効な道具になり得る。これは高齢者のささやかな娯楽かもしれませんが、同時に、自分を振り返るための知的で実践的な方法であり、一つの遊びでもあります。

十四歳の私が蒔いた問いの種は、古希を迎えようとしている今も完全には枯れていません。本は変わらない。しかし私は変わっていく。その変化を引き受けるために、私は過剰なほどに contingency を組み込み、記録を残してきました。その作業そのものが、私にとっては意味のある時間です。それが今の若い人にとって何らかのヒントになるのなら、これほど嬉しいことはありません。

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2026年2月28日土曜日

トランプ関税は「みかじめ料」か?――春の誕生日と28ドルの理不尽

 

3月の初めは、孫と嫁の誕生日です。
毎年、日本からささやかなプレゼントを送ります。

この荷物を出すと、「ああ、冬が終わるな」と感じます。三寒四温をへて、やがて桜の季節へ。遠く離れたテネシー州ナッシュビルの孫たちに、日本から小さな春を届ける――それが、ジージとバーバのささやかな季節行事です。

ところが、今年は様子が違いました。

追跡サービスで確認すると、荷物はきちんとアメリカに到着し、シンシナティの中継地を経由して、目的地であるナッシュビルまで届いている。よしよし、順調だ――と思ったら、画面に冷たい文字が出ました。

「支払い待ち」

何の支払いだ?
誕生日プレゼントにツケが回るのか?

息子に確認すると、返ってきた答えは一言。

「トランプ関税だよ」

なるほど。

これは日本からアメリカへの「輸出」と見なされ、受取人である息子に輸入関税28ドルの請求が来たというのです。

申告額は40ドル(手品用品)と40ドル(文房具)、合計80ドル。
実際はもう少し安いかもしれません。何しろ1ドル155円の円安ですから、ドル換算すると日本の品物は何でも安く見える。いいのか悪いのか分からない。

それにしても、80ドルに対して28ドル。

ざっと35%。
なかなかのパンチ力です。

なんだか、ヤクザのみかじめ料を取られた気分になりました。

「ここを通るなら払ってもらおうか」

そう言われたようなものです。
こちらは商売をしているわけでもない。レアアースでもない。
子ども用の手品道具と文房具です。

それでも28ドル。

トランプの国家戦略というのは壮大だそうですが、最前線はどうやら我が家の小包がターゲットらしい。

ジージとバーバにとって誕生日プレゼントは、品物の値段ではありません。
送るという行為そのものが、うれしいのです。送料が高くても仕方がない。

そこに「支払い待ち」。

なんとも味気ない。興ざめです。

まあ、払うでしょう(実際は受け取る息子が)。
孫の誕生日に、政治と喧嘩しても仕方がない。

それでも今年の春は、少しだけ苦い。

小さな手品道具と文房具に、
28ドル分の現実が添えられました。

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2026年2月27日金曜日

抽象度を上げて見るということ――阿Qと生成AIのあいだ

阿Qという精神は、過去の物語なのだろうか。


生成AIが急速に普及するなかで、日本でもさまざまな議論が交わされています。仕事はどう変わるのか、教育はどう対応すべきか、規制は必要か。いずれも重要な問いです。しかし、それらの多くは「どう使うか」という運用の次元にとどまっているようにも感じます。そこには鋭い指摘もありますが、人間そのものへの問いは、まだ十分に立ち上がっていないのではないでしょうか。

ここで必要なのは、抽象度を一段上げて見る姿勢です。生成AIを単なる便利な技術ではなく、「思考を外部化できる装置」として捉えるとき、問題は効率や制度ではなく、人間の主体のあり方へと移ります。

百年前、『阿Q正伝』を書いた魯迅は、敗北を合理化する精神の構造を描きました。阿Qは打ちのめされても「精神的勝利法」によって自分は負けていないと言い換えます。魯迅が問うたのは社会制度ではなく、現実を直視できない精神の型でした。

一方、日本の近代を生きた芥川龍之介は「ぼんやりした不安」と書き残しました。さらにさかのぼれば、夏目漱石は日本の近代化を「上ッ滑り」と表現しています。明治は「和魂洋才」を掲げましたが、結果として西洋の制度や技術を取り入れながら、それを支える思索の訓練を十分に育てられなかったのではないでしょうか。

私は、日本の教育のなかで、小学生の作文が高校生の小論文へ、さらに論文へと発展していく体系的な訓練が、本当に制度として根づいてきたのか疑問に思っています。受験制度は知識の処理能力を測ることには長けていますが、抽象度を上げて物事を捉える力をどこまで育ててきたでしょうか。

生成AIは、その弱点を静かに照らします。要約も構成も、ある程度は外部に委ねることができます。すると「考えた」という感覚だけが残り、本当に思索したのかどうかが曖昧になります。ここで思い出されるのが、パスカルの「人間は考える葦である」という言葉です。人間は弱い存在でありながら、考えることによって尊厳を持つ。もしその思考を外部化し続けるならば、その尊厳はどこに位置づけられるのでしょうか。

抽象度を上げて見るということは、具体的な利害を越えて、人間の条件そのものを問う訓練です。それは一朝一夕には身につきません。しかしその訓練がなければ、私たちは阿Qのように、現実を言い換えて安心するだけの存在になってしまうかもしれません。

生成AI時代において、私たちは本当に考えているのか。それとも、考えたと感じているだけなのか。和魂洋才が果たせなかった課題を、今あらためて引き受ける必要があるのではないかと思います。抽象度を上げる意識そのものが、主体を守るための静かな条件になるのだと感じています。

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2026年2月26日木曜日

阿Qと生成AI時代の主体

 

私が『阿Q正伝』を読んだ頃の中国は、プロレタリアート文化大革命の真っただ中でした。革命の名のもとに思想が統制され、精神の自由が揺らいでいた時代でした。

中国近代文学の父と呼ばれる魯迅は、若い頃、日本に留学し仙台で医学を学びました。当時の中国は清朝末期、列強の圧力と内政の混乱の中で衰弱していました。魯迅は医学によって同胞の身体を救おうと志します。しかし日露戦争中、授業で見せられた一枚の幻灯写真が彼の進路を変えたといわれています。処刑される中国人と、それを無関心に見つめる同胞の姿。彼はそこで、肉体よりも精神のほうが深く病んでいるのではないかと感じました。身体を治すだけでは足りない。精神を覚醒させなければならない。そう考え、文学の道へ進みます。

その代表作が『阿Q正伝』(1921年)です。主人公の阿Qは、侮辱され、袋叩きにあいながらも「精神的勝利法」によって自尊心を守ります。殴られても「これは息子に打たれたのだ」と言い換え、自分は敗北していないと思い込むのです。現実を直視せず、言葉によって現実を逆転させる。魯迅が描いたのは、特定の人物ではなく、敗北を引き受けられない精神の構造でした。明治の文明開化で、いつのまにか和魂洋才を忘れてしまった日本を見て気づいたのかもしれません。

一方、日本の近代を生きた芥川龍之介もまた、別のかたちで精神の危機を見つめていました。芥川は中国のような国家的停滞ではなく、むしろ近代化を急速に成し遂げた社会の内部で、不安と神経の過敏さを抱え込みます。彼が遺書に記した「ぼんやりした不安」という言葉は、個人の内面に沈殿する近代の影を象徴しているように思えます。魯迅が群衆の麻痺を見たとすれば、芥川は暴走した知性の脆さを見たのかもしれません。

では現代の私たちはどうでしょうか。

生成AIの普及により、要約や文章作成、構想整理までが容易に外部化できるようになりました。技術の進歩そのものは歓迎すべきものです。しかし同時に、私たちはどこまで自分の思考を引き受けているでしょうか。AIの出力を読み、理解した気になり、考えた気になる。そのとき、主体そのものはどの程度立ち上がっているのでしょうか。

阿Qの「精神的勝利法」は敗北の合理化でした。現代においては、思考の外部化が「安心」の装置となり、別の形の合理化を生んでいる可能性もあります。魯迅と芥川がそれぞれの時代に見つめた精神の危機は、形を変えながら続いているのではないでしょうか。生成AI時代において、私たちは本当に考えているのか。それとも、考えたと感じているだけなのか。その問いは、いま改めて静かに自らへ向けられるべきもののように思えます。

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2026年2月25日水曜日

AIをめぐる議論の高度について

 
世界を自分の理解可能な形式(カタカナ)に翻訳する


ある有名な実務家の方が、AIに関する動画で非常に明快な整理をされていました。技術の原理を構造的に捉え、それをどのように経営や業務に実装していくかを論じる内容です。AIを道具としてどう使いこなすか、その際に何が本質で何が誤解なのかを丁寧に解きほぐしておられました。実務の最前線に立つ方ならではの視点であり、多くの示唆を含んでいると感じました。

その議論は、「AIをどう扱うか」という高度にあります。つまり、AIを使う主体がどう理解し、どう設計し、どう活用するかという問題です。企業や組織がAIを導入し、生産性を高め、競争力を維持する。そのために必要な知識や視座を提示することは、きわめて重要です。

しかし、動画を拝見しながら、私は自分の関心が少し別の場所にあることを改めて自覚しました。

私が気になっているのは、「AIに囲まれた社会で、人間はどう変わるのか」という高度です。技術の有効性や利便性ではなく、それが私たちの思考様式や精神のあり方をどのように変質させるのか、という問いです。

生成AIが高度な文章を即座に生み出し、問いに答え、思考を構造化してくれるようになると、人間はどこまで自分で考え続けるのでしょうか。とりわけ日本社会において、もともと標準化や同調の傾向が強い中で、思考までもが外部化されていくことに、私は一抹の不安を覚えます。

優秀な若者が、自ら問いを立て、迷い、逡巡し、思索する時間を失ってしまわないか。便利で整った答えが常に与えられる環境は、知らぬ間に精神の筋力を弱めてはいないか。そうした懸念は、単なる保守的感情ではなく、社会の質に関わる問題のように思えます。

生成AIの時代は、いまなお過渡期にあります。私たちはこの技術を拒絶することも、盲信することもできます。しかし本質的なのは、そのどちらかを選ぶことではなく、自分の内に生じている「ぼんやりとした不安」を自覚し、それを思考の対象にすることではないでしょうか。

「将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉を残したのは、芥川龍之介です。この言葉は、近代人の繊細な内面を象徴するものとして語られることが多いものです。しかし私は、それを単なる絶望の言葉ではなく、時代の変化を敏感に感じ取る感受性の表れとして読み直したいと思います。

芥川龍之介は、近代文明を身にまといながらも、それを精神の深部まで消化できない日本の姿に、かすかな不安を抱いていたのではないでしょうか。文明は輸入できる。しかし文化や精神は、それほど容易に更新されない。そのずれが、「ぼんやりとした不安」という言葉に凝縮されているように思えます。

芥川は、文明開化後の日本を生きながら、その近代が精神の深部まで統合されていないことに違和を抱いていたのではないでしょうか。西洋の文明は取り入れられても、それを支える文化や精神の強度は容易には変わらない。そのずれが、「ぼんやりとした不安」という言葉に結晶しているように思えます。

不安を感じるということは、何か大切なものが揺らいでいると直感している証でもあります。問題は、その不安を放置するか、それとも思索へと昇華させるかです。

AIをめぐる議論は、活用法や制度設計、競争力といった実務的課題に集中しがちです。それは当然重要です。しかしその一方で、私たちがどのような精神の状態でこの技術と向き合うのかという問いが、後景に退いてはいないでしょうか。

実務の高度と、文明の高度。
使いこなす能力の問題と、使われる側の精神の問題。


この二つは対立するものではありませんが、階層は異なります。AIを扱う能力を高めることと、AI時代における人間の精神の強度を保つことは、別の努力を要します。

AIの進歩を止めることはできません。であるならば、せめて私たちは、不安を感じ取る感受性を失わず、その不安を言語化し、思考し続ける責任を持つべきではないでしょうか。

技術の議論の上に、精神の議論を重ねること。
それこそが、AI時代を主体的に生きるための最低限の態度なのだ
と、私は考えています。

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2026年2月24日火曜日

邂逅と謝念

 


昨日、1990年代後半から2000年代初めにかけて、ニューヨークで一緒に働いた仲間たちと再会しました。


当時の彼らは、皆とがっていました。若さゆえの自負もあったでしょうし、組織や常識への反発もあったのでしょう。それでも共通していたのは、能動的であること、自分の頭で考え、自分の責任で動くという姿勢だったと思います。

あれから25年以上が経ちました。

それぞれの道を歩み、立場も肩書きも変わった。紆余曲折もあったはずです。それでも昨日集まった彼らは、あの頃と変わらず主体的でした。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり言う。年長者の私にも遠慮しない。その言葉には、年齢を重ねた分だけの深みと、失われていない軽やかさがありました。

本当に心地よい時間でした。

私は改めて「邂逅」という言葉を思い浮かべます。偶然のようでいて、実は人生をかたちづくる必然の出会い。あの時代に、あの場所で、彼らと共に働いたことは、私の運の一部だったのだと思うのです。

振り返れば、私はいつも周囲に支えられてきました。自主的で、責任感があり、能力の高い人たちが、自然体でそこにいた。私は特別でなくてもよかった。場を前に進めていたのは、周囲の力だったのです。

昨日の会話が、それを静かに証明していました。

人は一人で歩いているようでいて、実は出会いによって形づくられている。
邂逅とは、時間を越えて、自分の来し方を照らし返す光なのかもしれません。

「どう生きるか?」も大事ですが、そろそろ「なぜ生きるか?」を考える時です。「邂逅の謝念に生きる者は幸福である」といったのは亀井勝一郎でした(『人間の心得』1963年)。自分のこれまでを振り返ると改めて人生は邂逅と謝念だと思います。

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