2024年5月18日土曜日

Judy Blue Eyes ~ CSN&Y

 

Suite: Judy Blue Eyes(1969年)

ウッドストックでのCSN&Yは衝撃的でした。福岡市城南中学3年の時に『4 Way Street』がリリースされ自分の持っているギターとは全く音が違うことに戸惑いました。同級生の S君と毎日レコードを聴きながら頭を抱えました。レギュラーチューニング以外に別のチューニングがあるなんて想像すらしなかったのです。

当時は映像もなかったので、どう弾いているのか全く分からない。中三の一学期中悩んで諦めました。夏休みに大阪に引っ越しフォークロック愛好家の S君とも別れ、私の興味の対象はCSN&Yからクラプトンのクリームに移りました。

あれから半世紀、今やYouTubeにはチューニングの仕方から丁寧に弾き方を教えてくれる映像がいっぱいです。Easy come Easy go です。

CSN&Y at Woodstock was shocking. Soon after Woodstock, "4 Way Street" was released, and I was confused by the fact that the guitar sound was completely different from the guitar I had. I was scratching my head while listening to the record every day with my classmate. I didn't even imagine that there was another tuning other than regular tuning.
At that time, there was no video, so I had no idea how they were playing. I worried about it all semester before summer vacation and gave up. Then, I moved to Osaka, and my interest shifted from CSN&Y to Clapton's Cream.  
Half a century has passed since then, and now YouTube is full of videos that teach you how to tune and how to play carefully. Easy come easy go.


2024年5月17日金曜日

Hideaway ~ エリック・クラプトン

 

Hideaway(1966年)

この曲を最初に聞いたのは中学3年から高1の頃です。開局したばかりのFM大阪の田中正美のビートオンプラザという一時間の音楽番組でエリック・クラプトン特集をやっていました。洋楽ロックを中心に、毎日話題のアルバムを頭から終わりまで、基本的にはノーカットで放送してくれる番組だったのです。クリームを含むクラプトンの60年代の全アルバムを特集で流してくれました。私はオープンリールのテープデッキで録音しました。
Hideway のコピーに挑戦したのは初めて聞いてから40年後、つまり50代になってからです。コードが E の 3コードのブルース、全てのギター小僧の基本となる曲ですが、私は初老になってからのチャレンジでした。卓上ギターアンプをバスタオルで包んでの深夜のハムバッカーサウンドです。
The first time I heard this song was when I was in the third year of junior high school or the first year of high school. There was a one-hour music program called 「Beat On Plaza」by Masami Tanaka on FM Osaka, right after they had started the FM station. It was a program that mainly broadcast Western rock music and topical LPs(albums) from head to end every day, basically uncut. They featured all of Eric Clapton's albums from the '60s, including Cream. I recorded with an open-reel tape recorder.
I didn't try to copy Hideway until I was in my 50s; that was 40 years after I first heard it. It's a blues with three chords with a chord of E, and it's the basis of all guitar boys & girls, but it's a challenge for me when I'm in my 50s. Below is a after mid-night humbucker sound with a table-top guitar amp wrapped in a bath towel.

Ohio ~ CSN&Y

 

Ohio(1970年)

この曲を忘れていました。中3の一学期はCSN&Yの『4 Way Street』を毎日聞いていたような気がします。『Ohio』は『4 Way Street』に収められた一曲です。当時、この曲の背景に関しては、ベトナムの反戦歌であるということ以外は全く知りませんでした。この曲は、1970年5月のオハイオ州ケント大学の銃撃事件を題材にしています。ベトナム戦争をカンボジアに拡大しようとする政府に反対する学生のデモに対してオハイオ州の州兵が発砲し4人の学生が亡くなり多数の負傷者を出したのです。
2007年から2年間、仕事の関係で毎週のようにNYの自宅からオハイオに出張しました。同世代のアメリカ人のパートナーとこの曲の話で盛り上がりました。そして、我々以外のメンバーは全員が若く、 Kent State Massacre もCSN&Yの『Ohio』も知りませんでした。プロジェクトメンバーの中にはウクライナからの移民も混じっていました(優秀な若者でした)。
I almost forgot about this song. In the first semester of the 3rd year of junior high school, I listened to CSN&Y's "4 Way Street" album every day. "Ohio" is a song from "4 Way Street". At the time, I didn't know anything about the background of the song, other than that it was an anti-war song in Vietnam. The song is based on the May 1970 shooting at the Kent University in Ohio. The Ohio National Guard opened fire on a student demonstration against the government's attempt to expand the Vietnam War to Cambodia, killing four students and injuring many others.
For two years from 2006, I traveled from my home in New York to Ohio almost every week due to work. I had a lot of fun talking about this song with my American partner of the same generation. Other than us two, all the project members were young, and they didn't know Kent State Massacre or CSN&Y's Ohio. Some of the project members were immigrants from Ukraine (they were excellent young consultant).

Voodoo Chile ~ ジミー・ヘンドリックス


Voodoo Chile (1968年)

好きなギタリストはいっぱいいますが、誰が一番かというとジミヘンですね。彼が凄いのは、自分の頭の中にある想像をギターや歌で見える形にしたということです。当時(1960年代)の録音は4トラックで、できることは限られていたはずですが、常識にとらわれないギターのセッティングやエフェクターの可能性を思う存分に引き出した。70年代以降のロックギタリストの原点は全てがジミヘンに詰まっていたといっても過言じゃないでしょう。本当はエレキとワウでやりたいのですが、なにぶん夜中なもんで、、、。

There are a lot of guitarists I like, but if I had to pick one that is the best, it would be Jimi Hendrix. What's amazing about him is that he was able to take the imagination in his head and make it visible through his guitar and songs. At that time (1960s), recordings were made on 4 tracks, and there must have been a limit to what could be done, but Jimi brought out the possibilities of guitar settings and effector pedals that were not bound by common sense. It would not be an exaggeration to say that the origin of rock guitarists since the 70s was all packed in Jimi Hendrix. I really wanted to do it with electric guitar and wah pedal, but it's the middle of the night now、、、。

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2024年4月29日月曜日

メディアの罪

 

自らの「運命」に責任を持つのが近代国家の国民です。『阿Q正伝』(1921年)の主人公である阿Qは全くそうした意識がない受動的な人生で最後には処刑されてしまいました。 魯迅は当時の中国社会を痛烈に批判し告発したかったのでしょう。 魯迅は祖国を愛する愛国者だったのです。

今回の東京15区の補選は日本の現状を非常によく表しています。もちろん政治家や候補者のレベル(リテラシー)の低さ、それを支える利権団体、低い投票率が示しているように、知性の高い人たちの虚無的な態度という問題はあります。しかし、メディアの罪は一番大きい。全く腹が立つほど酷いものでした。

日本のメディアが阿呆(ニーチェのいうマスマン)な理由は、仮説を立てて仮説を検証するアプローチが取れないことです。これは恐らく他の日本の大企業も同じでしょう。仮説を立てる前提として客観的な事実関係を確認する必要がある。メディアの存在価値の一つはこの前提作業である筈です。AS-IS を押さえることを省いて、関与する人たちの感情に流される。一番は利権(金)に流されているのですが、強い思い込みで世論を誘導しようとする。それは、自分らが上から目線で特権階級にいるという思い上がりがあるのだろうと思う。

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2024年4月23日火曜日

人間の心得

井の頭通り
 






長谷川幸洋 『ニュースの核心』(2024.4.20)
https://www.zakzak.co.jp/article/20240420-6Z4WRH6FLVNJXM5CTLO3NM7GO4/?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR1DXXsUOYCOFQs-mCLiNmDV6JYEdoQ8DEvXLn4odPDdpCYYTQMjKM4OZL0_aem_AU6PH9y5zP_KYOiaZLnvM9y9Z2IiaMcMunYUSEAc7olkEvXITg944fwMPgplajCEQLrqksDgIzfTdzvOITUiWwQf

多くの国が自分の国を守るには、「まず自分自身が強くなり、そのうえで志を同じくする国と連携する、それ以外にない」と気付いているのだ(長谷川さんの記事より)。

日本人も明治の初期には気づいていた。幕末維新を生きた元老と言われたリーダーたちが大正末期から昭和にかけて一人もいなくなって、日本はおかしくなった(もちろん元老たちも完璧ではなかったが)。

「自分の人間関係は自分で構築して、自分が生きやすいようにするためにはどうすればいいかを自分で考える」って、当たり前のことです。それが人間の心得というものです。今の日本にはそれが欠如する極めて幼児性の高い大人が多い。

いま起こっている多くの問題の本質は一人一人の倫理観の問題です。教育の意義とは子供たちに倫理観念を植えつけることでしょう。多くの問題に対する解決策は教育なのです。

日本はここ80年近く、その教育に失敗しました(自主的ドロップ・アウトの私がいうのはこれまで憚れてきたのですが、私も人生の先が見えて来たので、もう言ってもいいでしょう)。


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2024年4月9日火曜日

映画『オッペンハイマー』

 









当時、アメリカの政治家の人間への眼差しの中に日本人は入ってなかった。

ルーズベルト(FDR)のオレンジ計画から開戦、大都市の無差別爆撃から広島・長崎の原爆投下。チャーチルに踊らされたアメリカは、原爆で日本の市民を大量虐殺することによって、仲たがいが始まったソ連を威嚇しようとした。ところが、思ったほど効果はなく朝鮮戦争に至った。軍人であるマッカーサーは蒋介石のように梯子を外された。

原爆を正当化する(justify)アメリカの姿勢は今後も変わらないでしょう。だとすると、少なくとも日本人は、昭和の戦争がなぜ始まって、日本の戦後は「何を忘れて何を忘れさせられたか」をちゃんと教育すべきです。
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『オッペンハイマー』は科学者版『アウトレイジ』だ 込められたノーランの反戦への想い (msn.com)