理念としてはもっともらしく聞こえます。実際、欧米の企業ではジョブ・ポスティング制度やキャリア面談、リスキリング支援などが整備され、個人が主体的にキャリアを選択する仕組みが広がっています。しかし、この考え方がそのまま日本社会に根付くのかと問われると、私は少し疑問を感じます。
なぜなら、日本の教育環境と社会構造は、そもそも自律的なキャリア形成を前提としていないからです。日本人の多くは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、そして就職と、ほぼ一貫して「用意されたレール」の上を歩んできました。自分で道を選ぶというより、制度の中で与えられた選択肢を選び続けてきたと言った方が正確でしょう。
私は十年ほど前の年末に、コンサルティングという仕事についてブログに書いたことがあります。コンサルティングの世界では、プロジェクトのことを「エンゲージメント(engagement)」と呼びます。仕事は一人ではできません。むしろ、ジャズやブルースのジャム・セッションのように、他者との関わりの中で価値が生まれるものです。そこで問われるのは、「どのように参加するか」という姿勢です。
フランスの哲学者サルトルは、人間は「アンガジュマン(engagement)」、すなわち関与の中で生きている存在だと言いました。私の理解では、それは「人は一人では生きられない」という意味です。そして同時に、人は主体的に世界に参加する責任を負っている、ということでもあるのでしょう。
ところが、日本の組織ではこの「参加」がしばしば形骸化します。ガバナンスやコンプライアンスの名のもとに監視が強まり、人は言われたことをこなすことに忙殺されます。それは一見すると秩序ある組織運営のように見えますが、別の見方をすれば、主体的な関与、すなわちエンゲージメントを放棄している状態とも言えます。
そうした環境の中で、突然「自律的にキャリアを設計してください」と言われても、多くの人は戸惑うのではないでしょうか。主体的に生きる訓練を受けてこなかった人にとって、それは簡単なことではありません。
サルトルは、人間は自由であるがゆえに不安を抱える存在だと言いました。自由とは、同時に責任を引き受けることでもあります。自分の人生を自分で選ぶということは、失敗の責任もまた自分で引き受けるということです。だからこそ、人は自由でありながら、自由であることに恐れを感じるのです。
現在の日本で語られている「自律的キャリア形成の支援」は、この自由と責任の問題を十分に議論しないまま制度化されているように見えます。社内公募制度やキャリア面談、リスキリング支援などの仕組みは整いつつあります。しかし、それだけで人が主体的に生きるようになるわけではありません。
本来のエンゲージメントとは、制度によって作られるものではなく、人が自らの意思で世界に関わろうとする姿勢から生まれるものです。言い換えれば、それはキャリアの問題というより、人がどのように人生を生きるかという問いに近いものです。
企業がキャリア支援制度を整えること自体は悪いことではありません。しかし、日本社会の教育や組織文化が変わらない限り、それは表面的な制度改革に終わる可能性もあります。
自律とは、制度が与えてくれるものではありません。本来は、人が自分の人生に責任を持つところから始まるものです。
そして、その覚悟を持った人だけが、本当の意味でキャリアを「形成する」と言えるのではないでしょうか。





