2026年2月4日水曜日

人生のグランドストラテジー ――なぜ日本人は「自分の物差し」を持てないのか

 

上の図は、私が今から20年ほど前に作成した「人生設計とキャリアプラン」を示すものです。

山登りに人生を喩え、社会人としての出発点から、50代以降に至るまでを、一続きの登攀として描いています。 足場は限られ、途中で引き返すことも容易ではありません。この図が示しているのは、成功モデルや理想像ではありません。むしろ、「人生にグランドストラテジーがないまま登ることの危うさ」を可視化したものです。

図の左下には「社会人登山口」があります。
  • 20代は「学に志す」。社会に出て、自分の専門性の軸を探し、学ぶことにエネルギーを注ぐ時期です。
  • 30代は「学を継続する」。資格取得や実務経験を通じて、学びを実装し、自分の足場を固めていく段階です。
  • 40代になると、「立つ&惑わず」。組織の中で一定の立場を得る一方で、自分は何者なのか、どこへ向かうのかという根源的な問いに直面します。
  • 50代、「人生を楽しめるか?」。ここで初めて、それまでの選択が静かに問い返されることになります。
この図の中央に置いた言葉が、「自分の物差し」です。

他人の評価や会社の肩書き、世間の常識ではなく、「自分は何を基準に、どの山を登っているのか」。これを持たないまま登り続けると、努力すればするほど、風の強い危険な稜線に立たされることになります。最悪の場合は、雪庇を踏み抜く。図の上部にある「無限風光在険峰」とは、雄大な景色は険しい峰の頂にこそある、という意味です。ただし、険しい峰である以上、足場は決して安定していません。自分の物差しを持たずに登れば、そこで立ちすくむことにもなります。

ここで多くの人が混乱するのが、「ビジョン」という言葉です。

ビジョンと聞くと、明確な理想像や、達成すべき成功イメージを思い浮かべがちです。しかし正直に言えば、理想の人生が何なのかなど、誰にも分かりません。若い頃にそれを描ける人は、ほとんどいないでしょう。 高齢になった今の私にも、正直なところ分かりません。

それでも、ビジョンを考えることには意味があります。それは、「人生の最後のフェーズを、おぼろげながら想像すること」です。私は、老人ホームでアルトサックスやハーモニカを吹いていたい!

自分は、どんな人間として人生を終えていたいのか。老いた自分は、どんな場所に立っていたいのか。そして、他者は最終的に、自分のことをどういう人間だったと思ってくれるのか。

ここで重要なのは、「自分がどう思うか」だけではありません。他者の記憶に、どのような存在として残るのか。言い換えれば、これはアイデンティティの問題です。

理想を完全に実現できる人は、ほとんどいません。しかし多くの人は、人生の終盤において、「この人には助けられた」「この人には感謝している」。そう言ってくれる人が何人かいることを、心のどこかで望んでいるのではないでしょうか。

恐らく、それで十分なのです。それこそが、「どんな人生を送りたいか」という問いへの、きわめて現実的な答えであり、ビジョンと呼んでよいものだと思います。ビジョンとは成功の設計図ではなく、自分はどんな存在として人生を終えたいのかという価値観の宣言なのです

ビジョンと戦略、戦術の違いを整理しておく必要があります。

ビジョンは「どんな山に、なぜ登るのか」。グランドストラテジーは、「限られた時間、能力、人間関係といった資源を、長期的にどう配分するか(resource allocation)」。戦術は、「今日、何をするか」です。

日本人は、この三つを混同しがちです。昭和の15年戦争を研究してみてください。日本社会は、目の前の課題を丁寧にこなす戦術能力においては、極めて優れています。しかし、「そもそもどの山に登っているのか」という問いを立てる訓練を、ほとんど受けてきませんでした。戦略性を学ばないまま大人になった人間が、次の世代を教えている。そう言ってしまえば、身も蓋もありませんが、現実はそこにあります。

その背景には、正解依存の教育、他者依存の社会構造、そして戦後日本が国家としてグランドストラテジーを自ら描かずに済んできたという歴史があります。企業が個人の人生設計を肩代わりしてくれた時代は終わりましたが、思考の習慣だけが、いまも残っています。AI時代に突入した現在、この思考習慣を変えられないままで、日本人はどこへ向かうのでしょうか。

だからこそ、これからの時代には、「自分の物差し」を意識的に持つことが必要になります。

完璧な答えを出す必要はありません。ただ、「自分はどんな存在として、誰に、どう記憶されたいのか」。その問いを言語化し、人生のどこかに据えておくこと。それこそが、人生のグランドストラテジーの出発点なのだと、私はこの図を見返しながら、あらためて感じています。

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2026年2月3日火曜日

子育ては一生続く。でも、干渉は一生いらない

子育てを考えるとき、私はいつも「起業」との共通点を思い浮かべます。

どちらも、成果は枝葉や果実として目に見える形で現れますが、本当に重要なのは、目に見えない「土壌」と「根」です。どんな養分や水分を、どの程度与えるのか。そして、どこで手を止め、成長を待つのか。その判断ひとつで、木の育ち方は大きく変わります。


子育てと起業に共通するのは、「育てる」ことではなく「育つ環境を整える」ことです。過度な養分や水分は、かえって根を弱らせてしまいます。

私の愛犬チャーリーは、正直に言って躾に失敗しました。

かわいい、かわいいと可愛がりすぎ、必要な距離を取らなかった結果です。叱るべき場面でも感情を優先し、こちらの都合よりも「まあいいか」を選び続けた。そのツケは、すべて飼い主である私に返ってきています。

一方で、息子はまったく逆でした。

親としては自由に育てたつもりですが、結果としては少々自立しすぎたきらいがあります。頼られることも少なく、拍子抜けするほどです。犬と息子を並べて考えるのは妙な話ですが、関わり方ひとつで、ここまで結果が違うのかと考えさせられました。

子育ては、おそらく自分が死ぬまで続くのだと思います。ただしそれは、死ぬまで子どもに干渉し続けるという意味ではありません。むしろ逆で、親がどう生きるか、その姿そのものが、子どもにとって最大の教材になるのではないでしょうか。

人間も動物です。情愛そのものに大きな違いはありません。しかし福沢諭吉は、人間と動物の違いを「相手に対する敬意」だと言いました。情愛だけでなく、敬意をもって相手を見ること。そこに、人間の教育の本質があるのだと思います。

情愛や敬意を欠いた子育てが続けば、社会正義は機能しなくなり、卑怯者ばかりが量産されてしまいます。私は息子が納税者になったとき、「これで親の務めは終わった」と正直ほっとしました。しかし福沢は容赦なく言います。子を生み、養い、教え、一人前の人間として社会に送り出して初めて、親の名に恥じないのだと。

シリコンバレーのパロアルトの飲茶レストランで、さまざまな訛りの英語が飛び交う光景を目にしたことがあります。インド訛り、中国訛り、韓国訛り、あらゆる英語が飛び交っていました。そこに、日本語訛りの英語はほとんど見当たりませんでした。日本人がいないわけではない。しかし選手層が薄く、存在感が出ないのです。

日本という社会は、テーマパークのようです。サファリパークと言ってもいい。安全で、親切で、居心地はいい。しかし、その中で過保護に育った人間は、ジャングルのような現実世界では目立ちません。世界には多様な「優秀さ」があるという事実を、親自身がまず理解しておく必要があると思います。

論語にある「切磋琢磨」という言葉も、私は少し違った意味で受け取っています。学ぶ側の努力というより、教える側への戒めではないか。素材を見極め、無理に削らず、的確に磨く。料理で言えば、素材に合った調理法です。流行の教育論や、誰かの成功体験を、そのまま我が子に当てはめる危うさを、親はもっと自覚すべきでしょう。

日光東照宮の三猿の彫刻を思い出してください。
子育てとは人生全体を見通す営みなのだと教えています。子育て、成長、挫折、友情、旅立ち。人生は順番通りには進みませんし、挫折は何度も訪れます。親ができるのは、転ばせないことではなく、転んだときに立ち上がる力を信じることではないでしょうか。

子育てにおける最大の敵は、「知らないこと」ではありません。「知ろうとしないこと」です。事勿れ主義は、親にとっては楽ですが、子どもも同じように育ってしまいます。独立自尊の個人とは、不安定で壊れやすい存在です。だからこそ、自信と自尊心を日々更新し続ける必要があります。その覚悟を、親自身が生き方で示すしかありません。

福沢諭吉は、まず身体を鍛えよと言いました。

獣のような身体をつくり、後で人の心を養えと。健康を管理できない人間は、社会人としても自立できません。子育てとは、知識を詰め込むことではなく、生き抜くための土台を整えることなのだと思います。

子育ては、起業とよく似ています。

種を蒔き、土壌を整え、あとは自然の力に任せる。根を育て、枝葉や果実は、その子自身のものです。親ができるのは、環境を整え、過度に手を出さないことだけです。

チャーリーを見て苦笑し、息子の背中を見て少し寂しくなる。その両方を引き受けながら、私は自分に問いかけざるを得ない。

子どもに何をしたかではなく、自分はどう生きているのか。子育ては一生続く。でも、干渉は一生いらないのだと。
 
福沢諭吉の言葉

福沢諭吉は、130年以上前に、すでに子育ての本質を言い切っていました。

天下の橐駝(たくだ=植木屋)は能く樹木の根を養うてその生力を盛んにし、枝葉花実はその自然の発生に任して各その美を呈せしむるのみ。教育の橐駝、果たしてここに見る所あるや否や。

(福沢諭吉『教育の方向如何』明治十九年)

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2026年2月2日月曜日

コンサルティングはジャズのジャムセッションだ ――契約と組織の違いから見える仕事の本質

 

コンサルティングはジャズのジャムセッションだ


契約と組織の違いから見える仕事の本質  

私はこれまで、日本の株式会社、米国のコーポレーション、シリコンバレーのスタートアップ(30年前)、そして米国型のパートナーシップによるコンサルティング会社と、いくつか異なる組織で働く機会を得てきました。その後、仲間に支えられて起業し、気がつけば二十年という時間が経っています。

こうして並べて書くと、いかにも経験豊富であるかのように聞こえるかもしれませんが、決してそういう話ではありません。自分自身の能力については、今でもたいしたものではなかったと思っています。ただ一つ言えるのは、いろいろな場所に身を置き、それぞれの組織のエコノミーにもまれ、その場の「当たり前」に戸惑い、時に失敗しながら過ごしてきた、という事実だけです。

日本の会社には日本の理屈があり、アメリカにはアメリカの、そして中国には中国人の動き方があります。本や理論で知ることもできますが、実際にその中に放り込まれると、頭で理解していたはずのことが、まったく別のものとして立ち現れてきます。その違いは、説明できる以前に、まず身体で感じるものだというのが、正直な実感です。

ですから、これから述べることも、何かを上から教えようという意図はありません。ましてや、経験を振りかざして優劣を論じるつもりもありません。ただ、自分が通り過ぎてきた現場で感じた違和感や納得感を、そのまま言葉にしているだけです。知らないことについて断言するつもりはありませんが、少なくとも自分が体験した範囲のことについては、「そうだった」と言い切るくらいの図々しさは、年齢相応に許していただいてもよいのではないかと思っています。

上の図で述べているコンサルティングビジネスの話も、その延長線上にあります。理想論でも、教科書的な定義でもなく、ある時代、ある環境の中で、実際に苦労して試行錯誤したコンサルタントの姿を、できるだけ分かりやすくお伝えしたいと思います。

コンサルティングビジネスを理解するうえで、まず押さえておかなければならないのは、日本と欧米では、ビジネスの前提となる制度や発想が大きく異なるという点です。日本には日本なりの合理性があり、欧米には欧米の歴史と制度に根ざした合理性があります。両者が百パーセント同じである必要はありません。しかし、その違いを理解しないまま表面的に真似をすると、誤解や齟齬が生じます。コンサルティングビジネスは、その典型例の一つです。

第一の違いは、会社の形態です。欧米の大手コンサルティング会社の多くは、株式会社ではなく、法律事務所と同じようなパートナーシップ型の組織です( 2人以上の出資者であるパートナーが共同で出資・経営し、利益や損失を直接分配する組織形態です。法人格を持たず、事業の利益が直接メンバーの所得となります)。これは、日本的な企業組織の感覚からすると、やや異質に映ります。親分がいて、その下に子分がいるという、いわば「親分衆の集まり」のような構造です。パートナー一人ひとりが独立した強いテリトリー意識や専門性と責任を持ち、組織はそれらの集合体として成り立っています。一方、日本にはこの意味でのパートナーシップ企業は存在せず、欧米コンサル会社の日本法人も、日本の法制度のもとでパートナーシップを「シミュレーション」しているにすぎません。

第二の違いは、契約の考え方です。日本では「請負」という発想が強く、成果物の完成を目的として対価を得るという関係が一般的です。しかし、欧米のコンサルティングビジネスでは、原則として請負契約は結びません。クライアントとの間に相互の信頼関係を築いたうえで、委任契約、いわゆる Times and Materials (日本の法律では準委任契約)で仕事を進めます。これは弁護士との契約と同じ発想です。成果を「保証する」のではなく、専門性と誠実さをもって最善を尽くし業務の遂行が契約の本質になります。

こうした環境の中で働くコンサルタントとは、どのような存在なのか。

それを直感的に説明しているのが、上のスライドです。このスライドでは、コンサルティングビジネスを「一流のジャズミュージシャンによるジャムセッション」にたとえています。

ジャズのジャムセッションでは、まず前提として、全員が自分の楽器を高度に演奏できる熟練者です。同じように、コンサルタント一人ひとりも、それぞれの専門分野において高いスキルを持っています。誰かに細かく指示されなければ動けない存在ではありません

次に、演奏している姿だけを見ると、各プレイヤーは自由気ままに、自分勝手に演奏しているようにも見えます。しかし実際には、全員が音楽に対する高いレベルでの共通理解を持っています。だからこそ、即興でありながら、全体として調和が取れるのです。コンサルティングでも同様に、各人が独立して考え行動しながら、ビジネスの基本を理解し、問題意識や価値観を共有しています

さらに重要なのは、聴衆、つまりクライアントを楽しませたい、価値を提供したいという情熱です。コンサルティングは単なる分析作業ではなく、クライアントの前で知的なパフォーマンスを行う仕事でもあります。そして、音楽を演奏すること自体を楽しんでいる点も共通しています。楽しめない演奏が人の心を打たないのと同じで、仕事を楽しめないコンサルタントが良い仕事をすることはありません

最後に、ジャムセッションでは、曲の流れに応じて誰もがリーダーになり得ます。ソロを取る人が自然にバンドを引っ張る場面もあります。コンサルティングでも同様に、固定的な上下関係ではなく、状況に応じて誰もがリーダーシップを発揮します

以上、このスライドは、欧米型コンサルティングビジネスの本質を、制度や契約の話を超えて、人の在り方として分かりやすく伝えようとしたものです。

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2026年2月1日日曜日

とり天の記憶

 
大分のトリ天のイメージ

わが家の鶏天弁当

子どもの頃、何度か大分の耶馬渓や日田を訪れました。そこで食べた「とり天」の記憶が、なぜか今もはっきり残っています。あっさりした鶏むね肉ではなく、もっと脂のある、もも肉だったような気がするのです。確信はありませんが、噛んだときのジューシーさと衣のサクサク感だけは覚えています。

一方で、私は1980年頃に三年ほど仕事の関係で、四国に住んでいました。当時、うどん屋には通いましたが、「とり天」や「かしわ天」が当たり前に並んでいた記憶はありません。天ぷらといえば、ちくわ天、かき揚げ、えび天でした。

この二つの記憶は、あとから調べてみると、実は食文化の歴史と驚くほど一致しています。大分のとり天は、もともと鶏文化が根付いた土地で育まれ、老舗では今でももも肉を使う店が少なくありません。耶馬渓や日田といった地域は、唐揚げを含め、鶏料理が生活に溶け込んでいた場所でした。うどんとは基本的に関係はありません。

一方、香川のうどん屋で「かしわ天」が全国的な定番になるのは、ずっと後の話です。1990年代以降の讃岐うどんブーム、そして丸亀製麺の全国展開によって、「うどんにはかしわ天」というイメージが広く共有されるようになりました。つまり、私が四国にいた頃に見なかったのは、単なる記憶違いではなく、まだ“定番になる前”だったということです。

面白いのは、丸亀製麺の「かしわ天」と大分の「とり天」が、似ているようで別物だという点です。前者は主に鶏むね肉を使い、讃岐うどんに合う軽さと下味を重視する。一方、後者はもも肉を使い、ポン酢やからしで食べる、立派な郷土料理です。名前も似ていれば見た目も似ている。でも、その背景にある土地の記憶と食べ方は、まったく違います。

食べ物の記憶というのは、不思議なものです。正確な年代や店名は忘れても、「あれは違った」「あれはうまかった」という感触だけは残る。その感触が、あとから歴史や文化とぴたりと重なる瞬間があると、自分の人生が、知らないうちに時代とつながっていたことに気づかされます。とり天一つで、そんなことを思い出しました。記憶は曖昧でも、舌は案外、正直なのかもしれません。

子どもの頃に出会った本物の味は、教えられなくても、ずっと体のどこかに残っている。

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自信という土台 ―― 人はどうすれば自信を身につけられるのか

 
試練に向き合い、助けを得ながら行動し続けることで、
人は少しずつ自信という土台を築いていく。

最近、日本の自殺者数が再び増加傾向にあると聞きます。詳しい統計を確認したわけではありませんが、私の記憶では、日本の自殺は先進諸国のなかでも高い水準にありながら、十数年前からようやく減少傾向に転じていたはずです。にもかかわらず、ここにきて再び増えているとすれば、それは単なる景気や一時的な社会不安の問題ではなく、もっと深いところで「生きるための土台」が揺らいでいるのではないか、そんな気がしてなりません。

私はその土台の一つが「自信」だと思っています。

自信と言うと、実績や能力、資格や肩書きを思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、若い時に必要なのは、そんな立派な裏付けのある自信ではありません。「根拠なんて無くてもいい」自信です。むしろ、そうした小さな、危うい自信こそが、後に本物の自信へと育っていくのだと思うのです。

昭和50年に出版された新書『日本の自殺』(文春新書)は、当時すでに、日本社会の内部からの崩壊を鋭く指摘していました。スペインの哲学者オルテガの『大衆の反逆』を引きながら、著者たちは、日本人が「甘やかされた坊ちゃん」になりつつあることに警鐘を鳴らします。バブル崩壊後の長期低迷は、その警告が現実のものになった姿だったのでしょう。資産インフレであろうが、長期デフレであろうが、問題の本質は変わっていません。

『日本の自殺』は、マス・コミュニケーションによる間接経験の氾濫が、人間の思考力や判断力、情緒性を衰弱させ、社会の自壊作用を強めると述べています。「人間がだまされ、知力を低下させられ、真実の視界を妨げられる」という指摘は、SNSと情報過多の時代を生きる私たちに、そのまま当てはまるのではないでしょうか。

そして昨今、AI、なかでも生成AIの急速な普及によって、この傾向にはさらに加速度がかかると感じています。文章を書き、要約し、判断材料らしきものまで即座に提示してくれる技術は、便利である一方で、人間が自分の頭で考え、試行錯誤し、迷いながら結論に至るプロセスを省略してしまう危険性を孕んでいます。

間接経験が、もはやマス・メディアだけでなく「思考そのもの」にまで入り込んできたとも言えるでしょう。

自分の頭で考え、自分の足で立つ感覚を失ったとき、人は自信を失います。そして自信を失った人間は、生きる意味さえ見失いかねない。『日本の自殺』が半世紀近く前に鳴らした警鐘は、AI時代を迎えたいま、むしろいっそう切実な響きをもって私たちに迫っているように思われます。

私にとって、そのことを強く意識させてくれたのが、夏目漱石の「私の個人主義」でした。漱石は「自己本位」という四字を手にしたことで、「ここに立って、この道からこう行かなければならない」と初めて確かな足場を得たと言います。この自己本位とは、自分勝手になることではありません。自分の軸を持つこと、自分の見識と判断力を信じることです。

日本では「自己実現」という言葉がよく使われますが、私には、その意味がどうにも腑に落ちません。漱石の言う自己本位、すなわち自信を持つこと、自分の立脚点を自覚することの方が、はるかに実践的で、生きる力につながる概念だと思います。

自信は、与えられるものではありません。アメリカの市井の哲学者エリック・ホッファーは、「独立自尊の個人は慢性的に不安定な存在であり、自信と自尊心は日々新たに生成しなければならない」と述べています。今日の達成は、明日への挑戦にすぎない。立ち止まれば、どんな高みにいても不安に襲われる。これは、私自身の経験とも完全に一致します。

私は料理を作るのが好きです。下手の横好きの典型ですが、それでも台所に立つ時間は嫌いではありません。うまくいかないことの方が多く、失敗も少なくない。家人に罵倒されます。それでも、手を動かし、やり直し、次は少し良くなるかもしれないと考える。その積み重ねが、私にとっての小さな自信になっていきます(と信じています)。一回目はまあまあでしたが、二回目の蕎麦打ちで大失敗したとき、私は文字通り落ち込みました。しかし、三回目に挑戦し、成功したことで、自信は五割ほど回復しました。失った自信は、立ち止まっていては回復しない。成功するまでやり直すことでしか取り戻せないのです。これは蕎麦打ちに限らず、人生そのものにも言えることだと思います。

サルトルは「アンガジュマン(engagement)」を説きました。

人は世界から距離を取って眺めているだけではだめで、そこに関与し、引き受け、責任を持って行動しなければならない。自信とは、そのアンガジュマンの積み重ねの中でしか生まれません。実は、コンサル業界で、プロジェクトのことを engagement 、つまり、アンガジュマンと呼びます。

思想の世界で語られてきたアンガジュマンは、実務の現場でも、生き方としても、同じ重みを持っているのです。

教育も、子育ても、そして国家のあり方も同じです。過保護に守られ、試練を奪われた社会では、自信は育ちません。挑戦し、失敗し、それでも前に進む経験こそが、人を強くします。禅宗の大家である鈴木大拙が言うように、民主主義には「自主の精神、独創の思想、いかなる責任をも辞せぬという自信と覚悟」が不可欠なのです。

自信を持つとは、何かを信じることでもあります。

宗教でなくてもいい。伝統でも、文化でも、自分なりの価値でもいい。日本の祭祀や神道が示すように、外からの思想を受け入れつつ包み込み、新たに創造してきた柔軟さは、日本人が本来持っていた強さでした。

もっと信じていい。
もっと自信を持っていい。

若い時の小さな自信は、やがて本物になります。そして、その自信こそが、生きることを引き受ける力となり、絶望から人を遠ざける最後の砦になるのだと、私は思っています。

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2026年1月31日土曜日

プロフェッショナルとは何か

 


プロフェッショナルとは何か


― ゼネラリストとスペシャリストを混同し続ける日本社会へ


日本のビジネス界を見渡すと、長年変わらない「基本的な勘違い」があります。それは、プロフェッショナル、ゼネラリスト、スペシャリストという概念の区別が、極めて曖昧なまま使われていることです。言葉だけが一人歩きし、レベルセットが行われないまま議論が進む。その結果、抽象度の低い、噛み合わない会話が延々と続く。これは日本のビジネスシーンの慢性病と言っていいでしょう。

添付した1枚目のスライドでは、「プロフェッショナル」を中心に、ジェネラリスト、スペシャリスト、エキスパートという概念を整理しています。ここで最も重要なのは、プロフェッショナルとは職種や専門分野の名称ではなく、姿勢であるという点です。

プロフェッショナルの前提にあるのは、顧客第一主義、すなわち「真のニーズに応える」ことです。自己満足でも自己中心でもない。常に相手の価値を最大化するために、自分をどう使うかを考える存在です。

ところが日本では、専門知識や技能を持っている人、つまりスペシャリストを「プロ」と呼んでしまう傾向が強い。極端な話、「うちはスペシャリストしかいません」と胸を張る会社すらあります。しかし、専門性があることと、プロフェッショナルであることはイコールではありません。スペシャリストやエキスパートは「スキル中心」の世界にいます。一方でプロフェッショナルは、スキルを含みつつも、それをどう使い、どう統合し、誰のために価値を出すのかという「働き方・生き方」の問題なのです。

2枚目のスライドでは、プロフェッショナルを支える三つの柱として、People Management、専門性、自己管理能力を示しています。

ドラッカーが繰り返し述べているように、マネジメントとは他人を動かす技術ではありません。本質は「自らをマネジメントすること」にあります。これは新渡戸稲造が『武士道』で語った「克己(こっき)」と同義でしょう。自分をコントロールできない人間が、他者をマネージできるはずがないのです。

政治家は英語で “Law Maker” とも呼ばれます。法律を作り、私たちの税金を使うことを国民からアウトソースされている、れっきとしたプロフェッショナルのはずです。それにもかかわらず、今の政治にプロフェッショナルの姿が見えないのはなぜでしょうか。責任と権限の概念を理解せず、言葉だけで場を取り繕う。その姿は、ビジネスの世界とも不気味なほど重なります。

プロフェッショナルとは、決して「できる人」ではありません。自分に満足せず、常に次の壁に挑み続ける人です。一つ壁を越えれば、また次の壁が現れる。その過程を苦行ではなく、楽しみとして引き受ける。論語にある「知る者は好む者に及ばず、好む者は楽しむ者に及ばず」という言葉の通り、楽しみながらやっている人の中からしか、本物のプロフェッショナルは生まれません。

小林秀雄は「模倣は独創の母である」と言いました。完璧に模倣できた地点が、プロフェッショナルのスタートラインです。エリック・クラプトンも、ジミー・ペイジも、ジェフ・ベックも、最初は徹底したコピーから始めています。中途半端な理解のまま「オリジナリティ」を語るのは、単なる自己満足に過ぎません。

黒澤明監督の映画『七人の侍』は、実に見事なチームビルディングの教科書です。リーダーは同質な人材を集めるのではなく、技量も性格も異なるプロフェッショナルを集め、全体としてのバランスを取ります。ムードメーカー、無口な達人、参謀役、橋渡し役。それぞれが自分の役割を理解し、自律的に動く。これこそがプロフェッショナル集団です。

今の日本では、新卒一括採用やハウツー偏重の教育が、「自分を知る(know yourself)」機会を奪っています。流行のスキルを追いかけるだけでは、死ぬまで漂流者のままです。ブログや日記を書くことは、自分とのコミュニケーションを始めるための有効なツールでしょう。

結局のところ、プロフェッショナルとは肩書きではなく、覚悟です

自分を律し、学び続け、楽しみながら壁を越え続ける。その姿勢を持つ人が増えない限り、日本はこれからも「埋もれたまま」なのでしょう。

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2026年1月30日金曜日

タコツボ社会という病理

タコツボ社会という病理

日本社会から世界へ広がる「自閉的共同体」の弊害

この図は、もともと日本社会の構造的な問題、いわゆる「タコツボ社会」の弊害を表現するために描いたものです。

タコツボ社会とは、組織や集団がそれぞれ狭い内部論理に閉じこもり、全体最適や他者との連携を顧みなくなる状態を指します。

日本の大企業を思い浮かべると、その姿は分かりやすいでしょう。製造部門、販売部門、物流部門、財務管理部門が、それぞれ自分たちの論理と都合で動き、横の連携が極端に弱い。部分最適は追求されますが、全体として会社がどこへ向かっているのかを誰も把握していない。結果として、非効率や責任の所在不明が常態化します。

この構造は、日本の教育システムにも色濃く表れています。

学校教育では、国語、数学、理科、社会、英語といった教科ごとに、多くの「柱」を次々と立てていきます。それ自体は知識を身につけるという意味で必要な作業です。しかし問題は、その柱同士をつなぐ「梁(はり)」が、ほとんど意識されないまま教育が進む点にあります。

知識をどう統合し、現実の社会や人生にどう結びつけるのか。本来ならば最も重要な問いが置き去りにされたまま、教育は大学受験へと突き進みます。そして入試が終わった瞬間、それまで必死に立ててきた柱は役目を終えたかのように忘れ去られていきます。学んだ知識が社会生活や現実の問題とどう関係するのかを考える機会は、ほとんど与えられません。

これはまさに、知のタコツボ化です。教科という名の壺の中で知識を詰め込み、壺の外とのつながりを考えない。その延長線上に、社会に出てからも全体を見渡せず、自分の担当領域だけに閉じこもる人間が生まれていくのは、ある意味で必然なのかもしれません。

このタコツボ構造は、戦前・戦中の日本にも重なります。

昭和の戦争を振り返れば、日本帝国において陸軍と海軍が事実上バラバラに行動していたことはよく知られています。国家存亡をかけた局面でさえ、組織間の連携や相互理解が欠如していた。ここにも、巨大なタコツボが並列して存在していた姿を見ることができます。

この図の下半分に描かれているのは、そうした「内輪だけの狭いコミュニティ」です。

外部の声は遮断され、異なる価値観は拒絶される。内部では自己正当化が繰り返され、やがて他の共同体に対して敵意すら向けるようになります。閉じこもるだけでなく、他者に対して攻撃的になるのが、この構造の危険な特徴です。

最たる例として、この図では宗教を象徴的に描いています。

本来、宗教は人間の内面を支え、倫理や節度をもたらすものだったはずです。しかし、共同体が自閉化すると、宗教は排他的なアイデンティティ装置へと変質します。「自分たちだけが正しい」「外は敵だ」という思考が強化され、反目と対立が固定化されていきます。

そして、この構図は宗教に限りません。昨今の世界情勢を見渡すと、強大な軍事力や経済力を持つ国家や巨大組織が、外部からの監視やコントロールを受けないまま、自分たちの利益と面子のためだけに行動している姿が目に入ります。閉じこもるだけでなく、他の共同体に対して攻撃的になる。その姿は、巨大化した自閉的共同体そのものです。

一方で、この図の上半分は「本来あるべき姿」を示しています。

組織は別であっても、人間である以上、相互理解と相互扶助が可能なはずです。立場や役割が違っても、対話を通じて相手の状況を想像し、必要であれば手を差し伸べる。そこには壁はあっても、完全な断絶はありません。

この上半分を貫くキーワードが「寛容」です。

寛容とは、相手に迎合することでも、無条件に許すことでもありません。自分とは異なる価値観や立場が存在することを認め、その存在を前提に関係を築こうとする態度です。教育においても、組織においても、国家においても、この寛容がなければ統合の梁は架かりません。

タコツボ社会の怖さは、当事者自身がその閉塞に気づきにくい点にあります。壁の内側だけが世界になり、外が見えなくなる。その状態が長く続くと、疑問を持つこと自体が裏切りとみなされるようになります。そうして社会は静かに、しかし確実に硬直していきます。

30年前に描いたこの図の問題意識は、残念ながら色あせるどころか、いまや日本社会を超え、世界全体の課題として私たちの前にあります。だからこそ、この図は過去の回顧ではなく、現在への警鐘として、改めて読み直されるべきものだと傲慢なジジイは思うのです。

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